あぁ、こんなはずじゃあなかったのにな。
計算と誤算で創られたこの関係−1−
死んだ両親と妹に恥じないようにそりゃもう必死で頑張った。
高校でも成績上位をキープして、大学でも最終成績は「優」だ。
一流企業にも就職した。
社会に出ても努力して頑張ろうと思った。

けれど現実はそんなに甘くなかった。

思うように進まない企画。
どことなく倦怠感の漂う課内。
平気でセクハラしてくるメタボリック部長。
会長に媚びへつらうことしか考えない東洋かぶれの社長。

あぁ、こんなはずじゃあなかったのに。


「接待…ですか?」

呼び出された社長の部屋はなんとも豪勢だ。
床に敷かれた絨毯は一級品、社長の座る椅子は本革製。

「接待と言ってもそんな重苦しいものじゃない。酒の相手をすればいいだけだ。 ただ相手は今度の取引先の重役だ」
「そんな大事な接待、私でいいのですか…?」
「君だからこそ頼んでいるのだよ。将来有望な君ならきっと上手くやってくれると思ってね」
「…わかりました、やらせて頂きます」
「頼んだよ、ニール・ディランディ君」

そう言った社長と、隣で立つ部長の笑顔が、ひどく気持ち悪かった。
告げられた行き先はホテルのバーだった。
普通接待にこんなとこいきなり使うか、と思ったが、最初から自分に白羽の矢が立てられた のであるとすれば、それも納得が行った。
バーカウンターに腰を下ろして待っていれば、その「取引先の重役」のお出ましだ。

「初めまして。株式会社アロウズ、企画営業部のニール・ディランディです」

最大限の営業スマイルを駆使して、挨拶をする。
こんなこと慣れっこだけれど、でも、嫌悪感は消えない。

「あぁ、そんなに畏まらずに。今日は気軽に酒を飲もうと思ってね。
それにしても、こんなに美人さんが来てくれるとは思わなかったなぁ」

あぁほら、来た。
気持ち悪い。
早く、家に帰りたい。

「恐縮です」

深々と頭を下げて謙虚な態度を示せば、それだけでいい顔をする。
あぁ、世の中の男はいつからこんなになったのだろうか。
「そのシステムでしたら、わが社も取り入れておりますね」
「あぁそうですか。さすがはアロウズさんだ。全く恐れ入るよ。 …こんなに、綺麗な社員さんもいるし…」

さわり、と太ももの辺りに軽く触れられる。
触れてくる手が生暖かくて、ぞわりと嫌悪感が走った。
けれど嫌な顔なんか一切出来ない。
にこにこにこにこ。
とにかく笑って、笑い通す。
それさえ出来れば、何にも問題はない。
会社は安泰、俺の評価も伸びる。

「…ここのグランドスイートは夜景が本当に綺麗なんだ。是非君に見てもらいたいんだけれど…どうだい?」

まるで最後通告だ。
どうだい、なんて言って。俺に拒否権なんかくれやしないくせに。

「…素敵ですね、是非」

笑った。
とにかく笑い通した。

笑いながら、心で思いっきり泣いてやった。
視界が歪む。
足もおぼつかない。
少し飲みすぎたなと思ったけれど、どうせ明日は休みだ。
それに、飲まなきゃやってられるかこんなことあって。
帰る前に入念にシャワーを浴びたはずなのに、どことなく下半身に残る感覚に心から嫌気が差す。

ふらふらになりながら、ようやく我が家にたどり着く。
電気は付いていないから、ライルはもう寝たんだろう。
そりゃそうだ、もう夜中の二時なんだから。

家の前に着いた所で、足に力が入らなくなってへたり込む。
地面の冷たさが火照った身体にはちょうどよかった。
別に気にしない。どうせ見てる人間なんか誰もいやしないんだから。

そう思っていたら、視界に人影が入った。
視線を動かせば、そこにいたのはひどく懐かしい人間。

「あれー、せつなじゃんー。ひさしぶりー」

刹那は何も言わない。いや、言えないのか、こんな酔っ払い前にして。

懐かしいな、と思った。
家が隣通しということもあって、昔はよくライルと三人で遊んだものだ。
思えば俺の素がこんななのはライルと刹那とばっかり一緒にいたからだ。
歪んだ視界の中で見る彼は、ずいぶんと大人びている。
何年ぶりだと考えたけれど、今のこの頭じゃまともな考えなんて出来なかった。
けれど確か三年くらいはまともに会ってないはずだ。

「どうしたんだよこんな時間までー」
「…バイトだ」
「あーそっかー。えらいなー。俺はねー、今日は取引先のおっさんと飲んでたのー。
ホテルのバーで飲んで、それからー…」

言おうとして、止めた。
口に出して刹那に知られるのが嫌だった。
きっと刹那の知ってる俺は、今のこんな俺じゃない。

「…飲みすぎだ」
「おっさんと別れて飲みなおしたからなー。ウィスキーロックで六杯!」

指で六を表す。
刹那は別に何も言わない。あ、言えないのか。

「なー、刹那、大学楽しいー?」

ライルから聞いた情報を頼りに刹那にそう尋ねる。
確か工学部だったはずだ。

「…別に、普通だ」
「あー、そうなんだー。俺は大学楽しかったけどなー。
楽しくってー、たぶん社会出ても楽しいんだろうなーって思…っ」

途端、胃が暴れた感覚がした。
喉に一気に逆流する。

「…っぅ…え…っ」

あぁ、やっちまった。
せめて刹那に見えないように後ろを向いたことだけは褒めてやろう。

「おい、大丈夫か…」

そう言って、刹那が背中をさすってくれた。
その感覚に嫌な感じは全然しなかった。

少しだけ頭がすっきりする。
そうしたら、なんだか全部が虚しくなった。

「なんでだろうなぁ…」
「…ニール?」
「こんなはずじゃ、なかったのに、なぁ…」

高校や大学のときに想像してた未来は、大変だろうけれど生き生してる自分がいた。
両親や妹に誇れるような、そんな自分。
厳しくても、手助けしてくれる上司もいるんだろうな、とか思ってた。
でも現実は上手くいってくれない。
周りは自分達のことが何より大事な上司ばかり。
初めて会った男に抱かれて、会社の為だと自分に言い聞かせて。
こんなはずじゃなかったんだ。
どこで間違った?最初から?何が悪かった?自分が?

もう、全部投げ出したかった。


ぽんぽん、と頭を撫でられる優しい感覚に気付く。
顔を上げれば、刹那が真っ直ぐに自分を見ていた。

その優しい手付きに、ゆっくりと目を閉じた。
目を開けて視界に入ったのは見知らぬ天井だった。
真っ白い天井をしばらくぼーっと見つめて、我に返る。
なんだここ、どこだ。
がばりと起き上がったのと同時に、激しい頭痛が襲ってきた。
あぁ、なんて二日酔いだ…。
うずくまって、なんとか痛みに耐える。

「…ん?」

それでようやく、気付いた。
自分が、衣服を何も身に付けてないことに。

なんだコレなんだこの状況。
昨日俺何してた?取引先のおっさんと飲んで、飲み直して、家に着いて、それで…。
ていうかここどこだ。

頭が全く付いていかずに、混乱状態に陥る。
そこに、がちゃりという音で部屋のドアが開く。
いたのは刹那だった。
ズボンだけを履いて、濡れた髪をタオルで適当に乾かしている。

「なんだ、起きたのか」


刹那がそう言った瞬間全てを理解し、ざぁっと、一気に血の気が引いた。

「ご…っごめんなさい…!!!」

ベッドの上で、地面に付く勢いで土下座した。

何してんだ俺何考えてんだ俺…!!
これじゃああのおっさんと変わんねぇだろ…!
ずきんずきんと頭痛が走ったけれど、そんなのは今気にしている場合じゃない。

「おい」

刹那の声に、肩がびくりと揺れる。
恐る恐る顔を上げると、思いの他刹那が近くにいて驚いた。
刹那はベッドに腰掛けて、俺の顔を覗きこむように言った。

「そんなに謝らなくていい」
「や…だって…酔った勢いで…こんな…。久しぶりに会ったのによ…。
てかホントごめ…う、奪った…!」

居たたまれなくなって、また頭を下げる。
ひどく自分が情けない。

「…それは普通俺の言うことなんじゃないのか…?」
「や、全然…。この状況はどう考えても俺…」

そう言うと、刹那が立ち上がる。
謝らなくていいとは言ってくれたけれど、絶対、呆れてる。
ますます自分が情けなくなって、シーツを握り締めた。
ふわりと、肩に何かかけられる。
顔を上げて見れば、自分の脱ぎ捨てたのであろうシャツがかかっていた。
その優しさが身に染みる。
刹那はまたベッドに腰を掛けた。

「別に、気にしてない。だからアンタもそんなに気にしなくていい」
「で、でもよ…」
「いい」

簡潔にそう言われ、もうそれ以上俺が何か言うのを許さないような状況だった。
刹那の優しさに、甘えるしかないと思った。

「…何か、あったのか」

少し間が空いて、刹那がそう言う。
胸がずきりとした。
言いたくはなかった。けれど、ここまで付き合わせておいて何も言わないのも不公平だと思ってしまった。

「…仕事、が…あんまり上手い具合に行ってなくて…」

最大限オブラートに包んで言う。
刹那の顔は見れなかった。
刹那に全部は知られたくはない。
彼はまだ大学生で、社会の薄汚さとか、実感が沸かないだろうから。

「…愚痴くらいなら、聞いてやれる」
「……え?」

刹那の言った意味がわからずに、思わず顔を上げる。

「一人でそうやって酒に走るより、いいだろう。話くらいなら俺も聞いてやれる」
「え…それ、は…」
「木曜日なら時間が取れる」

なんだか付いていけない。
つまり、俺の仕事の愚痴を、刹那が聞いてくれると、そういうわけか。
…そんなの、アリか。いやナシだ。
三十路前の女の愚痴を聞かされる大学生。なんてひどい構図だ。

「いやいやいや、いいよそんな。なんか、悪いだろ…」
「気にしなくていい。俺も暇だ。それに、身体にはそちらの方がいいだろう」

ナシだ、と理性では思いつつ、本能ではひどく喜んでいる自分がいた。
溜め込まなくていい。聞いてくれる人がいる。
自分勝手と思いつつも、胸がなんだか急に軽くなった気がした。

「…ホントに、いいのか?」
「構わない」
「社会に出る前に、ひどい話ばっかり聞くことになるけど…」
「いい勉強になる」

どうしようか。本当に、甘えてばかりだ。
でも、その優しさに、甘えてみたいと思った。

「じゃあ、よろしく、お願いします…」
「あぁ」


ニール・ディランディ29歳。
人生何があるかわからないと実感しました。
09.05.27


title by=テオ


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ニールさんがアロウズ所属仕様なのは、トレミーの人たちがいい人すぎるから。笑。
さすがのニールさんも仕事で「俺」は使えないと思って「私」。
違和感ありますね。笑。