※若干のグロ表現あり。 朝になって目を覚ますと、シリルを挟んで寝ていたはずの刹那がいなくて飛び起きた。 夢だったのかと思って怖くなった。 物音がするキッチンを覗けば、彼女は朝食の支度をしながら忙しなく動いていた。 「おはよう」 そう言いながら、温もりを確かめた。 夢じゃない。 そのことだけが、俺を安心させてくれた。 君の名前−9− 記憶を取り戻し、刹那と再会して、残された問題はただ一つだった。 ソレスタルビーイングに、連絡をするか。 とは言え、連絡手段はないに等しい。 俺はもちろん連絡用の端末なんて持っていないし、刹那に尋ねても、身を隠す為に処分したという 答えが返って来た。 刹那が東京湾に沈めたというエクシアも、おそらくはもう回収されているだろう。 とどのつまり、連絡しようにも連絡出来ない、というわけだ。 もちろんこれは連絡をすることにした前提での話だ。 今はそこまで決断が及んでいない。 「お前は、どうしたい?刹那」 朝食を食べ終わって一息吐いて、刹那にそう聞いた。 彼女は俺の言葉に表情を暗くした。 隣の椅子では、シリルがきょとんと目を丸めている。 「…わからない、どうするのが、一番いいのかが」 「そうだな。俺も、わかんねぇ」 「だが」 刹那の言葉に、顔を上げた。 「プトレマイオスの人間達がどうしているかは、知りたい」 自分達がいなくなった、その後。 そうだ、彼らは、彼女達は一体どうなっただろう。 ニュースを見ても見つかったなどという類のものはないから、おそらくは身を隠しているのだろうとは思う。 だが果たして、みんな、無事なのだろうか。 ティエリアは。アレルヤは。フェルトや、クリス、リヒティ。ミス・スメラギに、おやっさん。 みんな、今はどうしているんだろうか。 「じゃあ、決まりだな」 刹那の癖毛を撫でながら、言う。 彼女は、ただこくんと頷いた。 一つだけ浮上した懸念は、刹那には言わないでおいた。 町に漂うどこか異質な空気に気付いたのは、その日の治療をドクター・メーベルのところで受けた後だった。 元々少し薄暗い空気を持っている町だったけれど、ここまで澱んでいたことはない。 刹那もそのことに気付いているようで、少し顔を強張らせていた。 襲い来る殺気に背筋が凍ったのは、一瞬だった。 けれど一瞬で充分すぎるほどだった。 知っている。 これは、「アイツ」だ。 なんで。なんでここにいる。 刹那を追ってきたのか? それとも俺を? いや、そんなことどうだっていい。 逃げなければ。 とにかく、「アイツ」に追い付かれる前に、逃げなければ。 「走れ!!」 叫んだ。 刹那はシリルを抱き上げて併走した。 思うように動かない右脚にもどかしさを感じた。 路地裏に入り込み、一息吐く。 心労も加わって、ひどく息が荒くなった。 「ロックオン…」 刹那の顔は不安で歪んでいた。 腕に力が入って、少しだけシリルが苦しそうだ。 「…とにかくここから出よう。アイツが来たら、」 「俺が、何だってぇ?」 背後からしたじっとりと絡みつくような声に、一気に血の気が引く。 刹那の顔は真っ青だった。 孤児院の時と同じように、ヤツから刹那が見えないように、刹那がヤツを見なくていいように、背中に隠した。 持っている武器は護身用の拳銃一つ。 身体は万全ではない。 ヤツの、アリー・アル・サーシェスの全身から感じる殺気のせいで、勝てる気なんてこれっぽっちもしなかった。 けれど、守らなければ。 今はもう刹那に守られるだけの自分ではない。 今度こそ本当の意味で、彼女をアイツから守らなければ。 そうしなきゃきっと、刹那は救われない。 俺の家族だって、報われない。 「ロックオン…」 一歩だけ前に出た俺に、か細い声で刹那が俺の名前を呼ぶ。 「下がってろ刹那」 視線はサーシェスに向けたままそう言う。 一瞬でも視線を動かせば、その隙を付かれる気がした。 「だが、」 「いいから、下がってろ。お前はシリルを守れ」 そう言うと、刹那は何も言わなくなった。 シリルを危険な目に合わせることだけはしたくないのは、俺も刹那も一緒だった。 けれど同時に刹那の動きも止められる。 シリルがいれば、刹那は決して余計な動きは取ろうとしないだろう。 刹那がこれ以上ヤツと何かあることだけは避けたかった。 ホルスターから拳銃を取り出し、銃口をサーシェスに向ける。 肩が少し軋んだけれど、気になんてしていられなかった。 それを見て、ヤツがにやりと笑った。 一歩、また一歩と刹那とシリルとの距離を作っていく。 「おーおー、怖い顔しちゃって」 鼻で嗤うサーシェスにひどく怒りが沸いたが、それでもヤツに向ける視線は変えようとはしなかった。 怯んだりしたらそこで終わりだと思った。 「そんな怖い顔してっと、もったいないぜ、色男がよ!」 「な…っ!」 気付いた時にはもうヤツは銃を構えていて、その銃口は刹那とシリルに向かっていた。 嘘だろ、おい。 刹那は反応しきれていない。 「刹那、シリル!!」 銃声が鳴り響く。 心臓が、止まりそうになる。 だが幸いにも弾は刹那達に当たることはなかった。 刹那の顔のすぐ横の壁に、弾痕があった。 「ほら、余所見なんかしてていいのかよ!」 安堵の隙を付かれ、一気に壁に追い込まれた。 わざと外した。 そう思う他なかった。 ヤツは左で銃を持っていたが、あの戦闘能力だ。 右だろうが左だろうが、おそらく関係はないだろう。 壁に身体が押し付けられ、右肩に痛みが走った。 「ぐ…っ」 「肩は本調子じゃねぇみてぇだなぁ」 ひどく面白そうにヤツが笑った。 「ロックオン!!」 刹那の叫んだ声がした。 ヤツの意識が完全にあっちに向く前に、なんとかしたかった。 「逃げろ!!」 「な…っ」 「シリル連れてここから早く逃げろ!いいから!!」 「そんなこと出来るわけ…!」 「早くしろ、シリルまで巻き込む気か!?」 俺のその言葉に、びくりと刹那の肩が揺れる。 彼女の腕の中のシリルはがたがたと震えていた。 ほんの一瞬だけ躊躇って、刹那はシリルを抱いたまま駆けて行った。 そのことに、心の中でだけ安堵する。 もう、目の前で大事な人間を失いたくはなかった。 しかも、この男に奪われることだけは。 刹那には散々責められるんだろう。もしかしたら今度こそ恨まれるかもしれない。 けど、それでも。 それでも、失いたくはなかったんだ。 「全く、人の腕に傷付けるわ獲物逃がすわで、散々やってくれたなぁ、兄ちゃんよ。 テメェ、楽に死ねると思うなよ」 サーシェスがそう言うが早いか、銃声と共に右足の甲に激痛が走る。 「ぐあぁあぁ!!」 バランスを崩すが、ヤツに肩を掴まれ立ったままになる。 「安心しろよ、テメェ逝かせたら、まず先にあのガキ送ってやる。 そうすりゃ寂しくもなんともねぇだろ、え?」 「…っふ、ざけんな…!んなことしてみろ…。ぜってぇ…許さねぇぞ…!!」 俺がそう言うと、サーシェスはまた鼻で嗤った。 「ハッ!聞き飽きたぜそのセリフ。『ぜってぇ許さねぇ』『お前と一緒にすんじゃねぇ』 もっと他に言うことねぇのかよ…!」 「あぁああ…!!」 右肩に銃口を押し付けられ、ねじ込まれる。 くそったれ、てめぇだってやってること前と同じじゃねぇかよ。 ドクターに消毒液ぶっかけられるの死ぬほど痛ぇんだぞ。 右手に力が入れられず、唯一の武器である銃が地面に落ちた。 「右ばっかじゃバランス悪ぃな。今度は左だ」 そう言って銃口を押し当てたのは左のわき腹だった。 銃声が鳴り響く。 わき腹にひどい痛みが走る。 「あ…ぐ、ぁ…!!」 立ってることは叶わなかった。 サーシェスも肩から手を離したせいで、ずるずると地面に倒れこんだ。 それでも視界に入った落とした拳銃を手に取ろうと手を伸ばした。 だが手の甲の上にはヤツの足が乗った。 ぐりぐりと、地面に押し付けられる。 「…っぐぁ…!」 視界がぼやけ始める。 頭が回らない。 あぁ、やばいかもな、これ。 「お遊びは終わりだ。いい夢見ろや、兄ちゃん」 サーシェスの銃口は真っ直ぐに俺の方を向いていた。 ぐ、と引き金に力を入れられたのがわかった。 けれど耳に入ったのは銃声ではなく、ざり、という砂を潰すような音と、荒い息遣いだった。 まさかと思った。 なんとか身体を捩って、視線を動かす。 そこにいたのは、シリルと一緒に逃げたはずの、刹那だった。 09.05.10 |