ダニエルがこの家を去って二週間が経って、ようやく、立ち上がれるまで回復した。
家の中を探って、持てるだけの食料と薬や包帯を手にする。

シリルも担げるだけの荷物を持ってくれた。
俺のことを守ってあげる、なんて張り切って言ってくれた事が、何より嬉しかった。

出来るだけ早く探しに行きたかった。
ソランだって、あの男にひどく扱われて、傷付いているはずなのだから。
彼女の身に起こり得る最悪のケースが頭を過ぎったけれど、それは、無理矢理かき消した。
君の名前−6−
とにかく人のいるところに行かなければいけなかった。
ただでさえ歩くのが困難な森の中を、なんとか歩いて、車が通りそうな道に出る。
一時間程度待ち続けてようやく来た車を止めて、ここから一番近い街まで乗せてもらった。
身体の痛みは、とりあえず家から持ってきた痛み止めで凌いでいる。
それでも、悪条件な道を通り、車体が揺れる度に身体に違和感を感じざるを得なかった。
シリルは何一つ文句を言わなかった。
一時間も何もないところで待ちぼうけをくらって、車にひどく揺られても、ただとにかく俺の側にいてくれた。
たどり着いた街で降ろしてもらい、運転手に礼を言う。
後は片っ端から、ソランを見たことがないか尋ね続けた。
彼女の部屋にあった写真は、持っては来なかった。
もし仮に写真からソレスタルビーイングのことがばれてしまったら、何か起きるのは自分だけではない、シリルや
ソランにも迷惑がかかると思った。
機密のために記憶まで操作する組織だ。
念には念を入れておいた方がいいと考えた。
ソランの容姿だけを尋ね、歩き回った。
けれど答えは皆同じだった。
皆同じように、首を横に振った。

それは、違う街に行っても同じことだった。
泊まるのは、いつも安いホテルだった。
ベッドは硬いし、食事もあまりおいしくはない。
けれど、長く時間のかかることを考えたら、あまり金はかけていられなかった。
そんなことを続けて、二週間近く経った頃だ。
外れにある小さな町にたどり着いた。
今までで一番、寂れた町で、どことなく空気が重たい場所だった。
治安はあまりよくないようだ。

シリルにも、さすがに疲れが溜まってきているようで、最近はよくぐずるようになった。
変わらない硬いベッドで規則正しい寝息を立てるシリルの横で、俺は痛みと戦っていた。
家から持ち出した痛み止めは、底を付きようとしていた。
ずきんずきんと、ひどく重い痛みが襲う。
脚はまだいい。
問題は、肩だった。

「…っ」

持ってるだけの薬と包帯でなんとか手当てはしてきたが、限界がある。
我ながら無茶をしたものだと思った。

「ニィル…?どぉしたの…?けが…いたい…?」

半分寝ぼけた状態で、シリルが尋ねてくる。
出来る限りの笑顔を作った。

「…大丈夫、だよ。ほら、夜更かししたらソランに怒られるぞ。もう寝な」

柔らかな髪を撫でて、眠気を促す。
幾分もしないうちに、可愛らしい寝息が耳に入るようになった。
その愛くるしい寝顔に、自然に笑みがこぼれる。
起こしてはいけないと思い、部屋を後にして廊下に出た。
床に座り込み、また痛みとの戦いが始まる。
結局、その日は一睡もしなかった。
翌日も朝からソランを見たことがないか尋ね続けたが、正直まともに対応出来ていたか自分でもわからない。
痛みはひどいし、頭もくらくらする。
シリルがお腹が空いたと言うので一休みしようかと思ったときだ。
ずきんと、今までにない痛みが襲い、視界が歪んだ。
シリルの声が意識の彼方に聞こえた。
あぁやばい。シリルに何かあったら、ソランになんて言えばいい。
目を覚まして一番に飛び込んで来たのは、白い天井だった。
視線を動かせば、見慣れた自分によく似た毛色が見えて、安心した。
簡素な室内だった。
自分が今寝ているベッドくらいしか物がない。

「あら、起きたのね」

カーテンを開く音と共にそう言って現れたのは、白衣を身に纏った女性だった。
見た目、三十から四十前半くらい。
白衣を着ていることで、医者なのだろうということがすぐにわかった。

「その子に感謝しなさい。泣きながら貴方が倒れたって近くにあった店に入り込んだらしいわ。
たまたまそこの店主がいい人間だったからアタシのとこに来てくれたけど、そうじゃなかったらヘタすりゃ誘拐よ。
気をつけなさい」

厳しい口調で、そう言われる。
注意していたことを突かれただけに、胸が痛かった。
傍らで眠るシリルを見て、心の中でごめんな、と呟いた。

「それにどういうつもり?そんなケガで歩き回るなんて。
もう少し放っておいた肩死んでたわよ。死にたいわけじゃないんでしょ?」

聞かれ、口ごもる。
彼女の言うことは当然だ。
自分でも、よく今まで歩き回れたものだと感心しているくらいなのだから。

「人を…探してます。この子の、母親を」
「…それは、急がなきゃいけないの?」
「彼女も傷を負っているんです。なるべく、早い方がよかった」

俺がそう言うと、彼女は呆れたようにため息を一つ吐いた。
白衣のポケットからタバコを一本取り出し、火を付ける。
一瞬驚いたが、彼女の口調や、無造作に切られたショートヘア、化粧っ気のない顔で、こういう人なのだ、と
勝手に結論付けた。
寧ろ開き直りすら見えて、自分は嫌な気はしなかった。

「ケガの理由は聞かないわ。ここに来る人間はわりとワケアリの人間が多いから。
ただ、覚えておいて。貴方の無理な行動は、その子を傷つけるだけよ」

煙を一つ吐いて、シリルを指して言う。
何も言えなかった。
彼女の言っていることは、何一つ間違いじゃない。

「そういうわけだから、しばらく通院ね」

そうか、通院…。
は?通院?

「ちょ、え…!?」
「何よ」
「つ、通院って…」
「言った通りよ。しばらくここに通いなさい。ケガが治るまでね」
「そんな余裕は…!」
「なら野垂れ死になさい。貴方はそこらへんで倒れて、またこの子は人を探して、今度はきっと運悪く誘拐ね。
下手すれば殺されるわ。お母さんとも会えず、すべては終了。それでもいいなら、自由になさい」

やっぱり何も言えなくなった。
余裕がないのは変わらない。
一刻も早くソランを見つけ出したい。
けれど、無茶をして、シリルが泣くことを考えたら、それこそ、ソランを探すどころじゃなくなる。

「……」
「…決まりね。安くていい下宿先紹介してあげるわ。そこに行きなさい」

俺が何も言わないのを肯定と取ったのか、彼女は勝手に話を進めていった。
簡単な地図を書いて、それを渡される。

「アタシはキリア・メーベル。ここの町医者よ。一応医師免許はちゃんと持ってるわ」
「ニール。ニール・ディランディ。この子はシリル。よろしく、お願いします…」

そう言って、頭を軽く下げた。

「その子の母親、この町にいるの?」
「あ、いや。全然、手がかりとかは…」
「容姿は?」
「癖毛の黒髪に、眼は赤褐色。中東系です」
「そう。知り合いに当たってみるわ。見たって人がいるかもしれないから」
「あ、ありがとうございます…」

シリルを起こさないよう、慎重に左腕に抱いて、立ち上がる。
部屋を去ろうとしたとき、呼び止められた。

「ミスター・ディランディ」

振り返ると、彼女は相変わらずタバコを燻らせている。

「ここで倒れたことをラッキーだと思いなさい。そうすればちょっとは気が楽よ」

メーベル医師はそう言って笑った。

「……はぁ」

はっきりとその意味がわからずに、曖昧な返事だけしてしまう。
彼女の言った言葉の意味は、とりあえずそのまま受け取ることにした。


夜、少しだけ楽になった身体で、シリルと共にベッドに横になる。
眠りに付く前に、ソランの顔を思い浮かべた。

彼女がどこかで無事でいることを、ただ祈った。
09.04.29


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キリアさんはオリキャラです。