姿を消した彼女の代わりに側にあったのは、彼女の書いた手紙だった。
普段字をあまり書き慣れてないのだろう。
女性にしては、少しいびつな文字が並んでいた。

こんな字でも全てを伝えようとした彼女の想いが、ひどく哀しく、そして、愛おしかった。
君の名前−5−
まだ起き上がることは叶わず、ベッドに横になったまま、手紙に目を通した。
傍らには、シリルが床に座り込んでいる。
ソランがいないことを知っているのだろう。
目には涙が溜まっていた。
ソランの手紙は、謝罪から始まった。

巻き込んでしまって、すまない。
怪我をさせて、すまない。

そして、俺の知りたかった全てを、彼女はそこに書き記していた。
ソランと俺がソレスタルビーイングの人間で、ガンダムと呼ばれるMSに乗っていたこと。
俺は四年前アリー・アル・サーシェスと戦い、そこで命を落としたと思われていたこと。
俺の記憶は、ソレスタルビーイングのエージェントとかいう存在に、作為的に消されたのであろうということ。
それは、ソレスタルビーイングの機密が漏洩するのを防ぐためだということ。

ソランは、組織に黙ってこの孤児院をやっていたこと。
俺が家の前で倒れていたときには、本当に驚いた、ともあった。

孤児院を閉めたのは、年月からして組織の人間に見つかる可能性が高くなったからだということ。
ここの存在が知られたとき、子ども達がどうなるかわからなかったかららしい。
またその間だけでも、俺と、俺の家族に償いたかったということ。
家族が死んだテロが起きた時のことも、事細かに記されていた。


ダニエルの引き取り先が、約一週間程度で来ること。

ただシリルは、シリルだけは、どうしても他の人間に引き渡せなかったこと。
そしてシリルが、俺と、ソランの――――。
そこまで読んで、顔を手紙で覆った。
力が入って、彼女の想いを綴ったそれが、ぐしゃりとなった。


ずるい。
なんて、ずるいんだろう。

ほしかったのはこんな手紙なんかじゃなかった。
彼女の声で伝えられる言葉だった。


涙が溢れた。
組織を抜け、たった一人になって、死んだと思っていた人間の子どもを身篭ったとわかったときの 彼女の気持ちを考えた。
どうして気付かなかったのだろう。
この子は言っていたのに。
もうすぐ、五歳になると。
彼女がこの孤児院を始めた年月と重なるのに、俺が記憶を失ったとされる時とちょうど一致するのに。
どうしてこのことに、気付いてやれなかったのだろう。

「…ニール…?だいじょうぶ?けが、いたいの…?」

涙を流す自分を見て、不安げに声を出すシリルを見た。
彼女の胸元には、ソランの指輪がぶら下がっていた。
こんなにも自分によく似た容姿の子どもが産まれた時、彼女はどう思っただろう。
悲しんだだろうか。俺を、憎んだだろうか。
彼女の前でシリルを抱いたときのソランの顔を思い出す。
どんな、思いだっただろう。
自分の子どもが、死んだと思っていた父親に抱かれたのを見た時。
あの後彼女は、一人で泣いたりしたのだろうか。

ずっと、そうして一人で耐えてきたのだろうか。


「…シリル。その、指輪…」

俺がそう言えば、シリルは自分の胸元を見た。

「ソランがくれたの。だいじなひとからもらっただいじなものだから、シリルに もっててほしいって、ソランが…」

言いながら、大きな瞳からぽろぽろと涙が零れ落ちていた。

大事な人間からもらったのかと彼女に尋ねたとき、彼女は躊躇いながらも肯定した。
なんて馬鹿なんだろう。
彼女の目の前に、いたのだ。
その、指輪を贈ったであろう人間が。
あまりに滑稽で、また、涙が溢れた。

全てを知ったのに、そのことがどこか他人事に思えて、実感が沸かないことがひどく悔しかった。
記憶がほしかった。
彼女を愛しみ、彼女に愛しまれた記憶が。
彼女の手紙はこう締められていた。

この手紙を読み終わっても、どうか、何も知らない振りをして、生きていてほしい。
ソレスタルビーイングとは何も関係のない、幸せな人生を送ってほしい。

シリルを置いていってすまない。
けれど、素性も何も知らない人間の元に渡すよりも、アンタの側に、置いてやりたかった。

勝手な自分を、どうか、許してほしい。


どうか、幸せになってほしい―――。
何も知らない振りなんて。
こんなにも全てを知ってしまった上で、何も知らない振りをして、幸せに生きるだなんて。
そんなこと無理だ。

だって、今この瞬間だって、彼女を求めて止まないのに。

「なぁ、シリル…」
「なぁに?」

「ソランに、会いに行こうか…」
ごめん、ソラン。
お前の望むように生きることが、出来なくて。
それでも俺は、もう一度、お前に会いたいんだ――――。
それから三日ほど経って、ダニエルの引き取り先が家にやって来た。
彼女の手紙には一週間程度と書いてあったから、どうやら俺はソランが手紙を書いてから三日ほど
寝ていたらしい。
ダニエルは怪我がまともに治っていない俺を案じて渋る様子を見せたけれど、お前達を守ろうとした
ソランの気持ちを無駄にしちゃいけないと話せば、ここを出る決意をしたようだった。
俺の世話を、彼にいつまでもさせるわけにはいかないと思った。
誰もいなくなったこの家で、彼は一人頑張っていたのだ。
玄関まで送るどころか起き上がることも出来ず、ベッドに横になったまま別れを告げた。
ダニエルを抱きしめることが出来なかったソランの代わりに、彼を抱きしめた。

家の中は、今までで一番、静かになった。
子どもの話し声が一切しないことに、胸にぽっかりと穴が空いたような気分になる。
「ねぇニール、シリルは、だれもむかえにこないの?」

自分が最後まで残ったことに少しの不安を感じたのか、シリルがそう言う。

「あぁ、来ないよ。俺と、一緒」
「ニールと、いっしょ?」
「そう、嫌か?」
「ううん、いやじゃない!」

そう言って笑顔を見せるシリルの柔らかい髪を撫でてやる。

「じゃあ、一緒に、お母さんに会いに行こうな」
「おかあ、さん?シリル、の?」
「そう、お母さん。ソランの、ことだよ」
「ソラン…シリルのおかあさん…?」

きっと理解が難しいのだろう。
シリルの中でソランは「拾ってくれた人」と認識されているようで、「母親」という位置には いかないようだ。

「そう。ソランがお母さんで、俺が、シリルのお父さん」
「ニールは…おとうさん…?」

ますます疑問を深くした彼女の頭を、ただずっと撫でた。
彼女が、慈しんでこの子を抱いた時のように。
まってて、かならずあいに、ゆくから
09.04.26


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