夢を見たんだ。
夢の中の俺はとてもとてもしあわせそうだった。
「きみ」の隣でとてもしあわせそうに笑っていた。

でもどうしてだろう。
「きみ」の名前が、どうしても聞き取れない。
君の名前−1−
ソランは、よく家を空けるようになった。
バイクで片道二時間もかかる街まで、ほぼ毎日通っている。
理由を尋ねても、用事がある、としか言わなかった。

子ども達は、寂しそうだった。
最年長であるエマでさえも、ソランが連日のように不在が続くことに、不安を覚え始めていた。

俺は、子ども達と同じように寂しさや疑問があったけれど、どこかで安心しているのもあった。
結局あの日ソランの部屋に入り、あの写真を見たことは、彼女に何も言っていなかった。
彼女の部屋から抜き出した絵本は、帰ってくる前にそっと本棚に戻しておいた。
確信が持てなかった。
あの写真は、本当に俺なのか。(双子の弟であるライルという可能性だってあった)
あの組織は、何なのか。
全てが疑問に満ちていて、切り出すに切り出せなかった。
付けたテレビではまたソレスタルビーイングに関する特別番組が放送されていた。
久しぶりにソランが家にいて、子ども達は裏庭で彼女と一緒に遊んでいる。
子ども達はこういう類の番組を好まない。
当然と言えば当然だ。
俺ももちろん進んで見ようとは思わないが、チャンネルを回す限り、それぐらいしか目に付く番組がなかった。
スタジオには、キャスターと、解説の教授らしい人間が二人、並んで座っていた。
そもそもの目的は何だったのか、とか、創設者であるイオリア・シュヘンベルグの人物像だとか、前に見たのと
大して変わらない内容だった。
解説の人間の、その一言を聞くまでは。

『彼らの活動は約一年と大変短いものでしたが、武力介入だけを見ても準備期間はそれなりに要したでしょう。
少なくとも、二年以上は時間を費やしたと思われます。
また、この四年ですが、おそらくまた力を蓄えているのではないでしょうか。
実際、創設者であるイオリア・シュヘンベルグは――――』

どくり、と心臓が音を立てた。


準備期間に、二年。
活動期間が、一年。
活動休止が、四年。

俺の記憶がないのは、大体、七年ほど前からの二、三年間。
ソランが孤児院を始めたのは、シリルの年齢のことを考えて四年前。

またどくり、と心臓が鳴った。
まさか、そんなこと―――。
けれど、つじつまは合った。
もしもソランの持っていたあの写真がソレスタルビーイングのものだとしたら。
もしも活動を休止したのと同時にソランがこの孤児院を始めていたとしたら。

俺も、ソランも、ソレスタルビーイングの人間だった―――?

どくりどくりと心臓がうるさかった。
ひどく脈打つのに、さらにぎしりと音を立てる。

まさかとは思っている。
でも、頭はやけにすっきりしている。
だからつまり、そういうこと、なのだろう。
玄関の扉が開く音が耳に入り、そちらへ顔を向けると、ソランがいた。
テレビに映っているソレスタルビーイングの映像を見て、顔を一瞬歪めたのを、見逃さなかった。

「何かあったか?」

何も気付かない振りをして、平然を装って言う。

「…いや。ヘンリックががシャベルがほしいと言うから、取りに来た」
「あぁ、ごめん場所変えた。シリルが変にいじると悪いと思って、上の戸棚に」
「そうか、すまない」

そこまで言って、彼女の背では届かないことに気付いた。
案の定、上を見上げて少し口を尖らせている。

「ごめん、俺取るよ」
「…悪い」

いつもならそんな風に口を尖らせる彼女に笑顔を向けるのだろうけど、今は、無理だった。

「はい、どーぞ」
「すまない」

ソランは手を差し出し受け取ろうとしたが、俺がいつまでも手を離さないことに疑問を感じて顔を上げてきた。
赤褐色の瞳に映る、自分の顔。
どうしてなんだろう。
どうして俺は、何も覚えてないんだろう。

だってこんなに大切に想っているのに。
こんなに、惹かれているのに。

「ニール…?」

女性のわりに低音の、耳に心地いい声で名前を呼ばれる。
でも、何か、違う気がした。


「あの、写真…どうして…?」

言葉にしたのはそれだけだった。
でも、ソランにはそれで充分通じたらしい。
彼女の赤褐色の眼が、大きく見開かれた。

「部屋…入った、のか…」
「ごめん、悪気はなかった…。シリルが絵本読んでほしいって言って、それで…」

そこに故意によるものがなかったことを言えば、彼女は責めるような視線を止めた。

「なぁ、教えてくれ。お前、知ってたんだろ?俺のこと。
俺のなかった記憶…お前知ってるんだろ?なぁ、教えてくれよ」
「…っ」

ソランは、ただ顔を歪ませていた。
彼女のそんな顔、見たくないけれど、でも、今だけは、どうしようもなかった。

「関係、ない…」

絞り出すように言った彼女の言葉。
違う。そんな言葉が聞きたかったんじゃあない。

「アンタには何も関係ない。ソレスタルビーイングとか、そんなもの…」
「じゃああの写真何だよ!?どう言い訳するんだよ!?俺は…っ!」


言葉を紡ごうとした、それを遮ったのは、玄関からのチャイムの音だった。
緊張感なんか何も読もうとしない、機械のそれ。
そもそもこの家にチャイムがあったことすら知らなかった。
だって、人が訪れるような場所じゃあ、ない。

俺が玄関の方に気を取られている隙に、ソランはまるで驚く様子もなくそちらに足を向けた。
扉を開けて、玄関の外にいるであろう人間と言葉を交わしている。
それが終われば、ソランはその人間を家の中に招き入れた。
入れ替わりに、ソランが外へ出る。
入ってきたのは三十代前後の夫婦だった。
俺の存在に気付けば、二人は軽く会釈をした。
何が起きているのか、全く理解出来なかった。
しばらくして、ソランが戻ってきた。
ヘンリックも、一緒だった。
彼も、俺と同様、ただ戸惑いを隠せない様子だった。

「ヘンリック。この人達が、お前の新しい親だ」

淡々と、事実だけを述べたような、その言葉。


この場所が好きだった。
失くした物を、取り戻したような気になれる、この場所が。
「どういうことだよ!!」

リビングで響いたのは、ダニエルの声だった。
キッチンからは声しか聞こえなかったが、彼のひどく怒っている顔や、他の子ども達の戸惑っている様子が
手に取るようにわかった。
人数分入れたココアをお盆に乗せてリビングに行けば、やっぱり、そうだった。

「そのままだ。ヘンリックはここを出て行く」

やっぱり淡々と、彼女がそう言う。
今までの子ども達への態度が、嘘のようだ。

「なんでヘンリックだけ…!」
「ヘンリックだけじゃない。お前達も、他の家に引き取ってもらうことになった」
「な、んだよそれ…!!」

ソランの言葉に、子ども達の空気がまた変わった。

「なんでだよ!なんでいきなり…!」
「ダニエル落ち着いて。シリルが怖がってる」

エマがひどく落ち着いた声でそう言った。
彼女の言う通り、彼女の腕の中のシリルは戸惑っているというより、ダニエルの声に怯えているように見えた。

「ソラン、ちゃんと説明してよ。そんなの納得出来ないよ」

エマの声は、落ち着いていた。
いや、落ち着こうと自分に言い聞かせているような、そんな声だった。
彼女の顔も、ひどく哀しそうだった。
そのことに、ソランも一瞬だけ戸惑いを見せた。

「…ここを、閉めることにした」
「それは、どうして?わたし達のこと、嫌になったの?」
「違う。…元々、長くやるつもりはなかった。しばらく経ったらお前達の引き取り先を考えることは、以前から決めていた」
「…そう」

エマは、それきり質問を投げかけることはしなかった。
あれだけ激昂していたダニエルも、言葉を発することはなかった。
ソランがここ最近家を空けていたのは子ども達の引き取り先を探していたのだと、ひどく冷静に考えた。



外では、いつの間にか雨が降っていた。
09.04.20


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