家族ごっこ−8−
刹那がニールのマンションに帰って来たのは夜の十時過ぎだった。
前と同じように、ニールは玄関の前で刹那を待っていた。
刹那に何があったのか知らないのだろう。ニールは以前と同じように、怒ったような安堵したような
表情を見せた。
それは刹那の胸を締め付けるだけだった。

もう、家族の真似事はたくさんだ。


「全く、どこ行ってたんだよ。鞄はリビングに置きっぱなしだし、ケータイだってその中だから
全然連絡取れねーし。心配したんだぞ」

あぁ、うるさい。

「とりあえずメシだな。俺もまだ食ってないから、一緒に食おうぜ」

もう、たくさんだ。

「…どーした?刹那。学校で何かあったか?」

もう、「家族ごっこ」はたくさんだ――――。


「刹那?おい、せつ?どうし、」
「…っうるさい!」

乾いた音がリビングに響いた。
刹那の肩に触れようとしたニールの手を、勢いのままにはじき落とした。
ニールは、ただ何が起きたのかわからない、という顔をしていた。

「…アンタの、弟に会った…」

刹那がそう言った途端、ニールを纏う空気が一変した。

「なんで…」
「帰ったらここにいた…」
「何か、聞いたのか…?」

その言い方は、何もかも知っている言い方だった。
知られたくないことを知られた人間にしか、言えない台詞だった。
刹那は唇を噛んだ。

「全部、聞いた…。アンタが本当は親戚じゃないことも。アンタの家族が六年前に事故で死んだことも。
…それが、俺の両親のせいだっていうことも…っ」
「…っ」

ニールはただ目を見開くだけだった。
その表情が、刹那はおかしくすら思えた。
何を驚いているのだろう。
この男はそれを望んでいたのだろうに。こうやって自分を苦しめたいがために、この家に連れてきたはずなのに。

「楽しかったか、面白かったか。何も知らないで、アンタに連れて行かれる俺が。簡単にだまされる俺が」
「、せつ、」
「面白かっただろう、楽しかっただろう!家族を殺した人間の子どもがたらい回しにあってると知って!
存分に不幸な目にあっていたのを知って!いい気味だったろう!
滑稽、だったろう!…っ自分に懐いていく俺を見て…!!」

勢いのままに、刹那は言葉を発した。
壊れてしまえばいい。壊してしまえばいい。
結局自分が全て壊していくのだ。
日常も家族も、何もかも。
元々偽りの上で成り立っていたものだったのだ。
だったら、粉々に砕いたって何も変わりはしない。
最初の、出会う前の形に戻るだけだ。

だから、こんなにも胸が苦しいのだって、気のせいのはずなのだ―――。

刹那はニールの言葉も待たずに自室に篭った。
先ほどの勢いをそのままに、ベッドへ身を投げた。

何もかも、これで終わりだ。
あの男とも、これでさよならだ。
翌日浅い眠りから覚めた刹那は、ニールに何も言わずに家を出た。
キッチンからは微かにだが音が聞こえた。
顔も合わせずに玄関の扉を閉めることを、刹那は一瞬でも躊躇った。
扉を閉め、家を出た時、刹那は胸が締め付けられるような感覚に襲われた。
「日常の変化」が、刹那を苦しめた。
あんなにも鬱陶しいと思っていたのに。
今までだって何度も「変化」を味わってきたのに。
ただ、苦しい、と感じた。



学校に着いても刹那の気分は晴れることはなかった。
昼食前の三限に窓の外へ意識が行っていることに、刹那自身気付いていなかった。
授業の終了を報せるチャイムが鳴って、教室内は一気に騒がしくなった。
刹那は、いつものように真っ先に特別棟に向かうことはなかった。
向かう気になれなかった、と言った方が正しいのかもしれない。
巡り巡る思考のせいで、身体を動かすことすら億劫だった。
だが視界に人影を見て、それでようやく顔を上げた。
フェルトだった。
どうしてだか少しだけ、胸が軽くなったような気がした。

「…大丈夫?難しい顔、してる」

刹那は何も答えなかった。
それは、肯定を意味していた。

二人一緒に特別棟へ向かう途中、刹那は購買へ立ち寄った。
そのことにフェルトは少なからず驚いていた。
そのフェルトを見て、刹那はまた少し胸を痛めた。
実感してしまった。ニールが作る弁当も、もう「日常」だったのだと。


「何か、あった?」

そう言うフェルトだったが、刹那は何も返さなかった。
話す気にはなれなかった。
もし仮に話すにしても、どう切り出していいかわからなかった。
フェルトがまた口を開いた。

「…喧嘩、したの?」

誰と、とかはない。だがそれがニールとのことを指しているのだということは、すぐにわかった。
刹那はやはり何も答えなかった。けれど、否定もしなかった。

「…嘘を、」

刹那が小さな声で言葉を発した。
フェルトは、ただ耳を傾けた。

「嘘を、吐かれていたとわかったとき、どうすれば、いい?」

その背景に何があったかを話す気にはまだなれなかった。
だから、漠然と、そう言った。

「嘘…吐かれてたの?」

フェルトは刹那の言葉を反芻した。
自分の言葉で理解する為のようなものだった。
刹那は、フェルトの言葉にただ頷いた。

「…あの人に?」

刹那はまたこくりと頷いた。

嘘を吐かれていた、という言葉は正確ではなかったかもしれない。
そう言ってしまうと、まるで自分が被害者のようになってしまう。
わかっている。自分に、傷付く権利はない。
あの男はあの男のやり方で、ある種の復讐を果たしたのだ。
そこに自分が被害者ぶって食って掛かる権利は、きっと持ってはいけない。
けれど、このまま全てを終わらせることを、躊躇する自分がいるのも事実だった。
可笑しな話だった。
親族にたらい回しにあった六年よりも、ニールの元にいた短い期間の方が、ずっと胸を苦しめているのだから。


「きっと、理由があるはず」

フェルトが口にした言葉に、刹那は目を見開いた。

「わたし、あの人とは一回しか会ったことない。けれど、貴方の為にあれだけ怒ってたあの人が、
簡単な理由で貴方に嘘を吐くとは、思えない」

理由だなんて。そんなもの、もう聞かなくてもわかっている。
あの男は偽りの「温かな家族」を作って、そこに俺を浸らせて、そうして時期が来たら全てを暴くつもり
だったのだ。
それ以外に、家族を死なせた人間の子どもである自分を引き取る理由など、考えも付かない。
昨日あれだけ驚いていたのは、おそらく、弟の思わぬ出現に、自分が考えていた時期がずれたからだろう。
男のシナリオは、少しだけ時間を早めただけで、充分、成功していると言えるだろう。

「話、聞いた…?」

刹那はゆるゆると頭を振った。

「じゃあ、きっと、ちゃんと聞いた方がいい。ちゃんと、話した方がいい」

フェルトの言っていることは、きっと正しい。
だが、もう既に崩れ去ってしまった。
自分が、壊してしまった。
そこにまたすがろうとするなど、許されることなのだろうか。

口を閉ざしたままの刹那に、フェルトがまた言う。

「あの人、貴方のこと信じてた。あれは、わたしには嘘を吐いているようには見えなかった。
だから、貴方もあの人のこと、もう一回信じてみていいと思う」

フェルトの芯のしっかりした声は、刹那の胸に響いた。
教師二人に捲くし立て、自分がやってないと言ったただその一言だけで自分を信じたあの男。
例えあれも偽りだったとしても、そのことに刹那が胸を動かされたのは事実だった。
ならば、自分だってもう一度踏み出さなければいけない。
そうでなければ、不公平なまま全てが終わる。

フェルトに顔を向けて、刹那は小さく、「ありがとう」と、そう言った。
玄関の扉が開く音がした。
どくりと、心臓が音を立てたのがわかった。
それでも、逃げようとは思わなかった。
リビングのドアがゆっくりと開いた。
男は、刹那がそこにいることにまず驚いたようだった。
そしてその顔を、強張らせた。

逃げてはいけない。口を開かなくてはいけない。
刹那はそう自分に言い聞かせたが、口は渇く一方だった。
沈黙が続いた空間を、静かに破ったのはニールだった。

「ごめん、な」

刹那は、思わず顔を上げた。
目の前の男は、ただ本当に、悲しそうに笑っていた。
それが刹那の口を開かせた。

「知りたい」

ニールは、驚いたような顔を見せた。

「教えて、ほしい。全部、アンタの口から、ちゃんと聞きたい」
(例えそれで全てが終わったとしても、)
09.07.28


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次回で終わりです。