おはようおやすみいただきますいってきます

おかえり ただいま
家族ごっこ−9−
しばらく沈黙が続いた。
その沈黙は、それまで少し荒いでいた空気を鎮めるのには充分だった。
そしてその空気に合わせるかのように、ニールが静かに、口を開いた。

「…俺が、お前のことをライルに調べてもらうように頼んだのは、お前に会う少し前だよ。
相手の方に子どもがいたことは知ってたんだ。まだ小さいってことも。
だから事故の後どうしてたか、気にはなってた。…色んな、意味で」

ニールはそこで一度言葉を切った。
少しの躊躇いが、そこには見えた。

「…俺自身、やっぱり許せなかったよ。お前の両親も…お前の、ことも」

刹那は、ニールに見られないように唇を噛んだ。
わかっている。それは、当然の感情だ。
例え自分自身が関与していなくても、それでも被害者であるニール達はその家族である自分すら許すことは
出来なかっただろう。
わかっている、わかっている。
だから、今この胸を襲っている痛みは、無視しなければならないのだ。

ニールは続けた。

「ライルがさ、お前の住んでた場所も教えてくれたんだ。あの夫婦の、家。
それで、行ったんだよ、俺。お前に、会いに」

ニールのその言葉に、刹那は顔を上げた。

「覚えていない…」
「うん、当然だな。会ったって言っても、ほんとにすれ違ったくらいだし。
だから、お前さんが覚えてないのも、当然」

ニールはそう言って少し笑った。
刹那はその笑った顔を見て少しだけ心が凪いだ。

「なんだろうな、不思議だった。会うまでは、何言ってやろうとかどんな顔してやろうとか色んなこと
思ってたのに、消えちまったんだよな。お前に、会った途端。
ただ単純に、あぁ、コイツなのか、ってただそれだけだった」

ニールのその言葉に感情はなかった。
ただ淡々と、過去の自分の考えを口にしているだけだった。

「それからすぐだよ。お前のこと世話してた夫婦が事故で亡くなったって、ライルから聞いたの」

ニールはそこで、口を閉じた。
一度区切りを付けたようだった。


「…何故、」

刹那がようやく、口を開いた。

「何故俺を、引き取ったりした…?親戚だと、嘘まで吐いて」

それは核心だった。
最も触れたくない、けれど一番、触れなくてはいけない部分。
刹那は顔を上げなかった。
目の前の男の顔を、見るのが恐かった。


「なんで、なんだろうな」

まるで独り言のように、ぽつり、とニールがそう言う。
刹那にはどういう意味だかまだわからなかった。

「自分でも、最初不思議だった。ただとにかくお前の世話してた夫婦が亡くなったって聞いて、
またお前に会いに行って。そしたら、自然に、そうしようって、思っちまったんだよな」

刹那は何も言わなかった。
否、どんな言葉を口にしたらいいかわからなかった。

「たぶん、色んな考えがごちゃごちゃになってたんだよ、そん時は。
何かしてあげたいっていうのと、やっぱり貶めたいっていうのと、きっと半分半分だったんだ。
だから、俺もライルのこととやかく言えないんだよな」

「貶めたい」
ニールの中に間違いなく存在した負の感情を知って、刹那は絶えるように拳を握った。

だがその拳は次のニールの言葉であっけなく解かれた。

「でもなんかさ、お前と一緒にいる時間が長くなって、色んなとこ知っていくうちに、なんていうか、
楽しくなってきちゃったんだよな、俺も」

どこか困ったような、そんな口ぶりの男の言葉に、刹那は思わず顔を上げた。
ニールは、やはりその口ぶり通りに、困ったように笑っていた。
刹那は、ただニールの言葉を、繰り返し繰り返し頭の中で巡らせるだけで精一杯だった。
だって、信じられなかったのだ。
憎いはずの自分といた時間が、「楽しかった」と言ったことが。
決して、信じたくないわけではなかった。
けれどその言葉を容易に受け入れることは、自分にとって甘えだと、思ってしまった。

ニールは苦笑いを浮かべたまま続けた。

「浮かれてたんだよな、俺も。また新しく"家族"が出来たことにさ。
それで…怖かった」

刹那は赤褐色の目を見開いた。
ニールは一瞬だけ、表情を失くした。
まるでその「怖い」という感覚がその場で思い起こされたような、そんな様子だった。

「怖かったんだ。お前に、いつ嘘がばれるかって、思っただけで。
この生活が終わるんだって、考えると、それだけで怖かった。
いつかは知られるから、言わなきゃいけないと思ってた。でもまさか、ライルに先越されるなんてな…」

刹那の視線としっかり合わせ、ニールは丁寧に言葉を紡いだ。

「ごめんな、嘘吐いてて。
これで信じてくれっていう方が無理があることはわかってるよ。
でも、嘘じゃないんだ。ほんとなんだよ、刹那…」

湧き上がる、溢れるような感情を、刹那は必死で抑えた。
享受しては、いけないのだ。
自分は、この男に甘えてはいけないのだ。

「…それでも、俺の両親が原因でアンタの家族が死んだことに変わりはない…」

自分が「加害者側」であることは、どうやったってひっくり返りはしないのだ。
だから、この男の優しさは受け入れてはいけない。
ただとにかく、目を背けずに事実だけを受け止めなければいけないのだ。

だって、唯一の存在であったはずの両親はもう、人を殺したという罪を被って、汚れたまま
いなくなってしまっているのだから。


刹那の言葉に、ニールは小さく、苦笑いを浮かべた。

「あのな、刹那。俺ライルに内緒で一人で調べたことがあるんだ」
「何、を…」

ニールは小さく笑ったまま、口を開いた。
その口から紡がれる言葉はどこまでも優しかった。

「事故のあったあの日、お前の母親、身体の調子が悪くなったんだよ。
元々あんまり身体が強い方じゃなかったんだな。話聞いた人が言ってた」

それはおぼろげに覚えている事実だった。
それほど頑丈でもなかった母は、刹那を産んだのをきっかけによく体調を崩すようになった。
それでよく、父が空気の綺麗な母方の親戚の家に連れて行っていた。
事故の起きた日も、きっとそうだった。

「その親戚の家を出る直前になって、お前の母さん、急に具合悪くしたんだ。
たぶん、焦ったろうな、お前の父さん。
きっと、早く病院連れて行ってやりたかったんだろうな」


『せつな』

やさしい声が、刹那の頭を過ぎった。
それを振り払うかのように、刹那は頭を横に振った。

「…っそんなことで…正当化されない…!」

違う。駄目だ。
理由なんか関係ない。
事実は、事実だ。捻じ曲げられない、真実なのだ。
両親がいないのならば、残った自分が、その真実を背負っていかなければいけないのだ。

「刹那、せつな。聞いて、俺の話」

ニールの優しい声が、刹那の入り乱れた思考を真っ白にした。

「確かに事実は事実だ。お前の両親が原因で、俺の両親も、妹も死んだ」

ぎゅ、と刹那が唇を噛んだ。

「でも刹那、それは決して理不尽な理由からじゃなかった。
お前の父さんが、お前の母さんを守りたくて、それで引き起こされた事故だった。
お前の両親は、ちゃんと、優しかったんだよ」


やさしい、やさしい二人だった。
いつも家族を大事にして、いつも刹那を大切に思ってくれた。
それは決して虚像などではなかったのだ。
刹那の中のどこか綺麗なままの二人は、間違いなく綺麗なままだった。
「……知って、いたんだ、」

少しの間起きた沈黙を止めたのは、ぽつりと、独り言のように呟いた刹那の言葉だった。
ニールは、ただ耳を傾けた。

「両親に、過失があったことも。相手の車に乗っていた人間が、無事ではなかったことも…」

ただそれを理解するだけの知識と、そして受け入れるだけの心が、まだ小さい頃の刹那には備わっていなかった。
だが理解出来た途端、信じていたものが真っ黒に塗り潰された気がした。
人が死んだ。両親のせいで。
曲がったことが嫌いだった父と、温かくて優しい母は、その瞬間刹那の中で色を失くした。
自分の中で認めてしまうことを恐れた。
認めてしまえばもう、思い出の父と母は完全に偽りになってしまう。
それが、何よりも怖かった。


「…なさい、」

ぽつりと、言った。

「ごめん、なさい…ごめんなさい…」

繰り返し繰り返し。
ただそれだけを刹那は言葉にした。
今までの、溜め込んだ思いを全部、それに乗せて。

ニールは、そんな刹那を優しく、抱きしめた。

「いんだよ。刹那は、ちゃんと生きてる。頑張って生きてた。
だからもう、一人で全部背負ったりしなくていいんだよ。俺もちゃんと、一緒に背負っていくから」


腕の中が温かかった。
とても心地がよかった。
それは、忘れ去られた、温もりの幸福感だった。


「ありがとう…」
「…つな、せつなー!!起きろ遅刻すんぞ!!」

とあるマンションの一室で、珍しく激しい音が響いた。
力の限りドアを開け、迷わず椅子に腰掛けた。

「馬鹿なのか、アンタ。起こすならもう少し早く起こせ」
「おま…っ人がせっかく起こしてやったのに…!」
「うるさい。第一メシ自体出来てないのはどういうことだ」
「俺も寝坊したの!文句言うな!」
「余計に馬鹿だ」
「だーっもう可愛くねぇなぁお前さんは!いいから食うぞ!」

ドン、と朝食の乗った食器をテーブルに置き、ニールも椅子に座った。
二人同時に一つ、呼吸を整えた。

「「いただきます」」

その後は、かきこむ様に二人して食事を平らげた。



キッ、と、車のブレーキ音が短く鳴る。
今では珍しいデザインの、少しレトロな車に、登校する生徒は目をやっていた。
刹那のクラスメイトである沙慈とルイスも、そのうちに入っていた。

「ほい、じゃあ刹那、頑張って勉強して来いよ」

車外に出て運転席側に回り込んだ刹那に、ニールが弁当を渡してそう言う。

「アンタこそ、人のこと送っておいて遅刻しないように気を付けろ」

刹那の言葉に、ニールは苦笑いを浮かべて「大丈夫だって」と言った。
ほんの少し見え隠れする刹那の気遣いにどうやら気付いたようだった。

「喧嘩すんなよ、ガラス割んなよ。石に気を付けろよ。クラスのヤツと仲良くしろよ」
「うるさい、もう行け」

始まったお節介ぶりに眉を顰め、刹那がそう言う。


「せつな」

優しく、促すようにニールが刹那の名前を呼んだ。
少しの間を空けて、その意図を理解した刹那が口を開いた。

「いって、くる」

「行ってらっしゃい」
ニールが去ったのを確認して、校舎に向かって歩いた。
その途中で、沙慈とルイスに声を掛けられた。
ルイスはしきりに、「あのイケメンは誰なのー!?」と声を上げていた。
沙慈はそれをどうにか諌めた。

「でもホント、誰なの?お兄さん?」


でも似てないよね、と言いながら、沙慈がそう尋ねた。
刹那は歩を止めず、真っ直ぐに校舎に向かったままだ。
少しだけ、答えるまで時間を要して、そして、


「同居人、だ」


少しだけ、笑ってそう言った。
(まだ「家族」だなんて、言ってやらない!)
09.08.06



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「家族ごっこ」これにて終了です。
カップリング要素が皆無にも関わらず、コメントを沢山いただけてとても嬉しく思いました。
モチベーションとかの問題で、なかなかの難産でしたが…こうして形に出来てよかったです。
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました!