家族ごっこ−7−
昼休み、刹那はいつものように特別棟の裏でニールの作った弁当を食べた。 だが、今日は一人ではなかった。 つい昨日、刹那の潔白を証明した、フェルトも一緒だった。 「昨日は、助かった」 刹那がそう言うと、フェルトは首を横に振った。 「お礼は昨日言われたから。だから、気にしないで」 刹那は弁当の包みと一緒に入っていた、手の平程度の大きさの小箱を取り出した。 「渡せと言われた」 「わたしに?」 こくりと、頷く。 朝、ニールから手渡されたものだった。 お前さんのことだからどうせお礼も言わないかおざなりだろ、だからこれ渡せよ、と、半ば強制的に 持たされたもの。 刹那もその中身は知らない。 だが、あの男が夜キッチンに立って忙しなく動いていたのは知っていた。 「開けてもいい?」 フェルトがそう尋ねれば、刹那はまたこくりと頷いた。 フェルトが丁寧に箱を開ければ、そこにあったのはクッキーだった。 「すごい…作ったの?」 「俺ではない」 「昨日の、あの人?」 刹那が首を縦に振る。 芸が細かいというか、ソツがないというか。 だが、夜キッチンに一人立ってクッキーを作るあの男の姿を想像すると、少し変な気分になった。 「食べてもいい?」 「好きにしろ。お前のだ」 フェルトは箱から一枚摘み、口にする。 ずっと無表情だったその顔が、少しだけ綻んだ。 「おいしい…」 「…そうか」 フェルトがそう言うと、刹那も少しだけ安堵に似たものを覚えた。 あの男が作るものは大抵まずくはないが、それでも目の前で食されれば少しは気になった。 「食べる?」 「いい」 「おいしいよ」 フェルトは刹那の断りも気にせず、箱の中のクッキーを一枚差し出した。 刹那は断ることを諦め、それを手にして、口に運んだ。 サクリという食感と、クッキーの甘さが口の中に広がった。 「ね?」 「…あまい」 「甘いの、嫌い?」 「あまり…」 「そっか、」 「だが」 刹那の言葉に、フェルトが顔を上げる。 「まずくは、ない」 そのクッキーは刹那には少し甘く感じた。甘いものはあまり好んで食べなかったから。 砂糖が多めに作られたそれは、まるであの男そのもののようだった。 だが、それを決して、おいしくないとは思わなかった。 「いい人だね」 フェルトがふいに、そう言う。 ニールのことだと、すぐにわかった。 「昨日も、貴方の為にいっぱい怒ってた」 「……」 教師二人に捲くし立てるニールを思い出した。 あれほどまでに自分の為に怒った人間も、あれほどまでに自分を信じた人間も、今まで会ったことが なかった。 もしかしたら偽善的な行為かもしれない。 けれど、ニールの言葉も態度も、そう思わせないものだった。 「お兄さん…?」 「違う」 「親戚の人…?」 「……一応…」 「一応?」 「だいぶ、遠い…」 最初に出会ったとき、あの男は「祖父の弟の息子の妻の兄の息子」と言った。 だから、完全な赤の他人ではない。 けれど、ほとんどそれに近いような間柄だ。 「そうなんだ…。でも、言われてみれば肌の色とか、違うものね。どこの、人?」 「…どこ?」 「あの人。生まれた、ところ」 「…知らない」 「そうなの…?」 フェルトにそう言われ、刹那ははたと気付いた。 自分は、あの男の素性を何も知らない。 否、知る必要がないと、以前は思っていた。 だがよくよく考えてみれば、本当に、あの男の出身や、仕事、果ては年齢すら。 あのマンションの一室で過ごし始めてそれなりに期間は経過している。 だが、刹那はあの男のことを、何一つ知らない。 わかるのは、遠い遠い、赤の他人のような親戚だと言う事と、鬱陶しいくらいにお節介だという、 ただそれだけだ。 何故あの男が自分を引き取る気になったのかすらも、刹那は知らない。 最初は援助金が目当てだと思っていた。 だがあの男の行動や言動はそれらを否定したくなる。 だとしたら、何故。 何故自分のような厄介者を、引き取る気になどなったのだろうか。 「…大丈夫?」 フェルトの、少し探るような言葉に、刹那は顔を上げる。 「難しい顔、させた。ごめんなさい…」 「…気にしなくていい」 よかった、と隣で安堵するフェルトを他所に、刹那はまた頭の中でニールのことを考えた。 放課後になって帰宅時刻を迎えても、刹那の頭はすっきりしなかった。 寧ろ苛立ちすら軽く覚えてきていた。 そもそも何故あの男のことでこんなにも頭を使わなければいけないのだ、と。 あの男がどういう素性であるとか、どういう理由で自分を引き取っただとか、冷静に考えれば、それを 知ったところでメリットは何もないのだ。 それに、深く関わらない方がいい。 深く関われば関わるだけ、後に待っているのは面倒事なのだから。 ニールへの接し方が少し変化した今でも、刹那のその考えは何一つ変わっていなかった。 マンションのエレベーターを降り、だいぶ住み慣れたマンションの一室の鍵を鞄から取り出す。 鍵穴に差し込んで扉を開けようとした。 しかし、刹那の行動とは裏腹に、ドアノブは動こうとはしなかった。 どうやら開けたと思った扉は逆に閉まってしまったようだ。 それに違和感を覚える。 ニールが仕事を終えて帰宅するのは大抵夜の八時くらいだ。 それが、こんなにも早いはずがない。 眉を顰めながら再び鍵を回し、扉を開ける。 玄関には男物の靴が一足あった。 だがニールのではない。 しかし刹那がリビングへ通じる扉を開けると、そこにいたのは、紛れもなく、あの男と同じ顔。 リビングにいたその男もすぐに刹那の存在に気付き、目を丸める。 お互い、しばらく膠着状態となった。 「…誰だ、アンタ」 先に口を開いたのは刹那だった。 刹那の言葉に、男は面白そうな表情を見せた。 「へぇ、俺と兄さんの違いわかるのか。すげぇな、お前」 「兄さん…?」 「ここの家主のニール・ディランディだよ。俺の、双子の兄貴」 なるほど、双子。通りでそっくりなわけだ。 「で、お前は?普通に人の家上がりこんでるけど、何者?」 その、上から物を見るような言い回しに、刹那は少し苛立ちを覚えた。 「…刹那・F・セイエイ。…少し前からここで世話になっている」 刹那がそう、言った途端、男は顔色をがらりと変えた。 「…セイエイ?今、お前セイエイって言ったか?」 「…それがどうした」 人の話を何も聞いてないのか、と言わんばかりに、刹那はいぶかしげな視線を男に向ける。 だが、男はそれを肯定と取るや否や、再びその表情を変えた。 「ははっマジかよ…!ちょっと前に調べるように言われて何かと思ったけど、こういうことか! 兄さん本気かよ、すげぇな…!!」 突然笑い出した男に、刹那は目を丸めた。 だがその笑い方と、どこか馬鹿にしたような話し方に、やはり眉を顰めた。 双子と言えど、ずいぶん違うようだ。 否、今気にするべきはそこではない。 今、目の前にいるこの男は、「調べるように言われて」と言っていた。 それは紛れもなく自身のことであることが明白だ。 だが、何故わざわざそれをこの男に。そして、何を調べさせたというのだ。 刹那が少し厳しい視線を向けていると、男はそれに気付いたのか笑うのを止めた。 「何も知らねぇって顔してんな」 「どういう、ことだ」 「兄さんから聞いてねぇんだな、何も。余計に笑っちまうね」 その言い回しに、また刹那がぴくりと反応する。 この男は、嫌いだ。 「いいぜ、教えてやるよ。まずは自己紹介だ。俺はライル・ディランディ。さっきも言った通り、 ニールの双子の弟。職業は刑事。ついでに言っとくと独身だ」 刹那の中で、色々なことがそれだけで繋がった。 ニールが昨日学校で言っていた。身内に刑事がいると。それがこの男のことなのだろう。 加えて刑事ならば、ニールがこの男、ライルに自分について調べ物を依頼したということも頷ける。 「ちなみにお前、兄さんから何聞いてる?」 「…遠い、親戚同士だという事は、」 「親戚、ね。ま、そう言うのが一番自然か」 いつまで経っても本筋に入らないライルの話に、刹那は痺れを切らした。 「一体何が言いたい…!」 刹那のその言葉に、ライルが笑った。 正確には、口元を歪めた。目は、微塵も笑みを含んではいなかった。 「親戚でも何でもねぇよ。真っ赤な赤の他人だ」 「な、に…?」 「教えてやるよ刹那・F・セイエイ。俺達とお前の、本当の繋がり」 街灯も何もない河川敷を、刹那はがむしゃらに走った。 嘘だ。嘘だ嘘だ嘘だ。 信じたくなどなかった、あんな男の話など。 だが噛み合う辻褄に、信じざるを得なかった。 わかっていたのに。 深く関わってはいけないと。 優しい感情など、不要なのだと。 『教えてやるよ刹那・F・セイエイ』 面倒事が待っていることはわかっていたのに。 胸に散々ざわめきが起きていたのに。 それでもあの男の温かさに、ほだされてしまっていたのだ―――。 『六年前、俺達の両親と妹は事故で死んだんだ。山道で対向車と正面衝突。 けどあの事故、悪いのは完全に相手方だったんだ。道を譲らなきゃいけないのは向こうだった。 相手方の無茶な運転で、俺等の両親と妹は死んだんだよ。 なぁ、もうわかるよな?言いたいこと』 全ては偽りの中で成り立っていたのだ。 あの時間も、あの温かさも。 なかったものだと、思えばいいんだ。 『お前の両親が、俺達の家族殺したんだよ、刹那・F・セイエイ』 崩れ去る思考の中で、ただただ、ニールの笑う顔が、頭を過ぎっていた。 ほらやっぱり、簡単に崩れ去っていく。 09.07.23 ―――――――― ニルライの家族が亡くなった時期を、辻褄合わせのために少し捏造。 |