家族ごっこ−4−
目覚めは最悪だった。
浅い眠りの中で見たのは、両親がただの冷たい肉の塊となった姿だった。
重たい身体をゆるゆると動かす。
雨に濡れたまま眠ったせいで、髪はぼさぼさだし制服は皺になって少しぱりぱりとしていた。
だが刹那は気に留めず、機械的にワイシャツだけをクローゼットから出して着替えた。
リビングの方からは音が聞こえた。
けれど聞こえないふりをして、また何も言わずに家を出た。
時間が進むのがやたらに遅く感じた。
ちらりちらりと壁にかかっている時計を見ても、少しずつしか進んでいない長針に苛立ちを覚えた。
授業の内容は、何一つ頭に入らなかった。
それもこれもあの男のせいだ。
胸の辺りがもやもやとして苛立ちが収まらない。
何もかもを、ニールのせいにした。
わかっているのだ、全てが彼のせいでないということは。
身体がこんなにも重たいのは昨晩雨に濡れて、それをきちんと乾かさなかったせい。
彼のせいではない。
けれど、そうでなければ、刹那の気持ちにはやり場がなかった。

頭をちらつくのは夢で見た冷たくなった両親。
あぁ、気分が悪い。吐きそうだ。

ちらりと、窓の外を見る。
珍しいレトロな車は校門の外には止まっていない。
そこまで考えて、刹那は視線を窓から外した。
何を考えているのだろう。馬鹿げている。
彼が今日もここに来るはずはない。
あれだけ辛辣にあしらったのだから。
来るはずが、ない。
きっと、体調が悪くて何かにすがりたい衝動に駆られているだけなのだ。
そう、刹那は自分に言い聞かせた。
ニールの笑った顔が、頭を過ぎった。


意識の遠くの方で、チャイムが鳴ったのが聞こえた。
沙慈が側で何か言っている気がした。
名前を、呼ばれた。
それが、沙慈のものであるか両親のものであるか、それとも別の誰かであるか、刹那にはもう、 わからなかった。
ただ、優しい声が、頭をよぎった。
目の前にいたのは両親だった。
優しい目で自分を見ていた。

「せつな」

優しい、声だった。

駆け寄ろうとした。
けれどいくら足を動かしても追いつかなかった。
焦りばかりが生まれた。
どんなに手を伸ばしても、どんなに声を枯らしても。
あの温かい腕の中には、辿り着かなかった。


「せつな」

優しい声がした。
両親のものではなかった。
けれど、あの焦燥感はいつの間にか消えていた。



ふ、と意識が上昇する。
見慣れない天井に、一瞬混乱する。

「刹那」

名前を呼ばれた。
その声には聞き覚えがあった。
視線をちらりと動かせば、ニールが安堵した表情でそこにいた。
それで理解した。
おそらく、自分は学校で意識を失くしたのだろう。
それで連絡を受けたこの男が迎えに来て、家まで連れて帰った。
視線を動かしたことでここが自分に宛がわれた部屋だということにも気付いた。

「具合どうだ?まだ熱はあるみたいだな…」

そう言って、ニールは刹那の額に手を添えた。
それに嫌悪感を示し、刹那は彼の手を振り払った。

「触るな…」

ニールは一瞬だけ躊躇いの表情を見せた。

「メシ食うか?」
「…いらない」
「アイスあるぞ」
「…食べない」
「じゃあ、」
「うるさい。出て行け」

それ以上ニールの話す言葉を聞いていたくなくて、刹那はニールに背を向けた。
自分を気に掛ける態度が気に食わなかった。
彼の世話になっている自分にも苛立ちが生まれた。

しばらく沈黙が続いた。
それを破ったのは、ニールの静かな声だった。

「悪かったな」

それまで彼の陽気な声しか聞いたことのなかった刹那は、その少し沈んだ声と内容に目を見開いた。
だが刹那が驚いている様子はニールには伝わらない。
ニールは、そのまま言葉を続けた。

「お前さんの気持ち、無視しちまって。俺も、浮かれてた。
でもこうして会ったのも何かの縁だからさ、お前さんとは仲良くやっていきたいんだよ」

刹那は何も答えなかった。
返事がないことにニールは少しだけ寂しそうに笑った。

「ごめんな、邪魔して。具合悪くなったらすぐ呼べよ、刹那」

パタン、と静かに部屋の扉が閉まった。
刹那は身体を捩って、ニールが出た扉を見た。

「刹那」

思えば、学校以外の人間に名前を呼ばれるのは久しかった。
引き取られた家で名前を呼ばれたことなど、数えるほどしかなかった。
彼は何度も何度も自分の名前を呼んだ。
その声は優しかった。
死んだ両親と、同じだった。
その感覚を胸がざわつかせた。


温かい、という感覚を忘れ、必要としなくなったのはいつの頃かもう覚えていない。
ただ、人と人との繋がりが簡単に壊れていくのを見て、忘れていった。
温かい、という感覚がもたらす感情も、消え去った。
だから、ニールに対して嫌悪が生まれた。
知らないのだ、忘れたのだ。
人が温かくて、とても優しいものだということを。
そしてそれがもたらす、幸福感も。
慣れないのだ。
温かいものなど、もう忘れてしまった。


視線をちらりと動かせば、彼が置いて行ったのであろう、土鍋がそこにあった。
風邪薬も置いてある。
そのおせっかいぶりに刹那はやはり眉をひそめた。

けれど、あれだけ胸を占めていた苛立ちは、いつの間にか消えていた。
そしてそのことに、少しだけ胸がざわついた。
翌朝目を覚ました刹那が向かったのは、玄関ではなくてリビングだった。
リビングに現れた刹那を見て、ニールは驚いたような表情をした後、嬉しそうに笑った。
それがなんだか癪に障った。

「…腹が減ったから来ただけだ」
「うん、そっかそっか。じゃあメシ食おうな」

刹那は心のどこかに違和感を感じていた。
こんな風に、誰かと向き合って食事をすることは本当に久しぶりだった。
嫌悪感すらあった。胸がざわつく。
やっぱり目の前の男が嬉しそうに笑う姿には胸に引っかかりを覚える。

けれど、そこから立ち去ろうとも、思わなかった。
ただ黙って、ニールの作った朝食を食べた。
(知っていくのです、これから、一つ一つを)
09.06.07


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あったかいものを忘れたから、それを必要と感じない。触れたら怖いと思う。
これからニールさんがいっぱい教えてくれます。