家族ごっこ−3−
その日最後の授業が終わり、部活のない生徒は続々と下校していく。 刹那もその一人だった。 授業が終わると同時に必要なものだけを鞄に詰め、教室を後にしようとした。 だが、沙慈が声を掛けてきた。 「ねぇ刹那、帰りどこか寄って行かない?ルイスがケーキ食べたいって言うんだ」 「…行かない」 それだけ言って、教室を出る。 沙慈は転校してきたとき席が隣通しだったこともあって、たまに会話と呼べるようなものをする。 だが友人と呼べるようなものではなかった。 刹那がそれを望んでないかのように、いくら沙慈が誘いをかけてもそれらをことごとく断っていた。 刹那は沙慈のことを特に疎ましいとも思っていなかったけれど、かと言って深く関われるような相手でもなかった。 ただクラスの他の人間よりは話をすることが多い。 その程度だった。 沙慈の恋人のルイスは、沙慈が刹那にあれこれ構うので、自然にそれに付いているようなものだ。 帰ろうと校門を出たところで、刹那はぴたりとその歩みを止めた。 ニールのあのマンションに帰ることに抵抗があった。 まるで自分の家だと認めているようで。 刹那は踵を返し、ニールのマンションとは逆の方向に歩き始めた。 目的があったわけではないから、当てもなく歩く。 この季節、下校時間になってもまだ日は高く、太陽の光がまぶしく感じて、刹那にはそれがなんだか 腹立たしく感じた。 鞄の中にはニールの持ってきた弁当が入っている。 別に家に帰って食べようとか、そういう律儀な話ではない。 ただ単にあの男に包みすら開けていないこれを見せ付けて、もういらないという意志を示してやろうと思った。 行くときよりも重くなった鞄に、少し眉を寄せる。 ニールの顔を思い浮かべる度に、胸がもやもやとした。 だいぶ歩いたところで、河川敷に出た。 刹那は草むらに腰を下ろす。 遠くの方で電車の音や自転車のベルの音、人と人が話す声が聞こえた。 日が傾いて来て人がまばらになっても、刹那はそこから動こうとはしなかった。 ニールのマンションへは行きたくなかった。 かと言って、他に自分に行き場があるかと考えても、どこも思い浮かばない。 それまで住んでいた親戚夫婦の家に今もう自分の居場所はない。 いや、元々あの家に自分の居場所なんてなかった。 あの男は、あそこが自分の家だと言った。 そんなはずがないと思った。 あれはあの男の家であって、決して自分のものではない。 共有することは叶わないし、望んでもいない。 ならば、自分の居場所はどこにあるのだろう、と刹那は思った。 帰る家も、帰りたいと望む場所もない。 ないのだ。 両親が死んだあの日に、自分は自分の居場所も同時に失くしたのだ。 日が完全に沈んで、街灯もない河川敷は真っ暗になった。 遠くで橋の明かりが見えるだけだ。 それでも、刹那は腰を上げようとはしなかった。 何の前触れもなく、刹那の鞄の中で何かが震えた。 それは規則正しく振動する。まるで刹那に知らせているようだった。 そんな風に振動するようなものは鞄に入れた覚えがなかった。 暗い中で鞄を漁ってみれば、それに行き当たった。 携帯電話だった。 刹那の手の中で、相変わらず振動し続けている。 こんなものは持った覚えがなかった。 鞄を誰かと間違えたかとも考えたが、この鞄はどう考えても自分のものだ。 いくら待っても終わる気配のない手の中の振動に、いい加減嫌気が差して来た。 サブディスプレイを見れば、そこに出ていたのは、見覚えのある名前。 つい昨日、自分を引き取った男の名前だった。 それで合点がいった。あの男の仕業なのだろう、と。 しつこくしつこく震え続ける携帯は、男の心情を表しているようだった。 早く出ろ早く出ろと、せかしているようだ。 手に持っているのはただの機械だと言うのに、苛立ちを覚えた。 放っておけば止まるだろうと思い、そのままにしていたが、やはり振動が止まる気配は全くない。 苛立ちは増す一方だった。 おそらくこの精密機械のことだ、目の前にある川に投げ込んでしまえばそれだけで機能は完全に 停止するだろう。 だが冷静に考えればこの携帯に罪はない。 あの男に買われ、自分の鞄に入ってしまったのが悪かった。 つまり悪いのは全てあの男だ。 止まることを知らない振動にいい加減痺れを切らし、刹那はようやく二つ折りになっている 携帯を開いた。 ディスプレイにはニールの名前がはっきりと示されている。 その名前を見ただけで、刹那は眉を寄せた。 通話ボタンを押す。耳には付けなかった。 『刹那!?何やってんだよもうこんな時間だぞ!? 電話だってなかなか出ねぇし…っておーい、刹那ぁー?もしもーし?』 電話独特の少しくぐもったような声が聞こえる。 ニールが何度も何度も呼びかけていたが、刹那はそれに答えようとはしなかった。 電話越しから聞こえる男の声は、不幸な境遇になど遭った事などないような、そんな声だ。 ひがんでいるわけではない。 ただ、腹が立った。 電話越しの、自分の心境など知ろうともせずにずけずけと踏み込んでくる男の声に。 ニールの声をこれ以上耳に入れたくなくて、刹那は電話を切った。 川に電話を投げ捨てようと思ったけれどやめた。 電話に罪はないと思った。 ぽつり、と鼻の頭に水滴が当たったのがわかった。 今度は頭に何滴か、そして肩にもぽつりぽつり。 ここでやっと、雨だということに気付いた。 水滴だった雨は徐々に量を増し、あっという間に刹那の身体を濡らした。 それほどひどい雨でもなかった。けれど傘を差さずにいられるほどのものでもなかった。 それでも、刹那はしばらくその場に座り込んだままだった。 濡れてしまえばいいと思った。 流れて、しまえばいいと思った。 マンションの入り口には、偶然にも他の住人が来たことによって無駄な操作をせずに入り込むことが出来た。 エレベーターに乗り込む。ちらちらとこちらを見られた気がしたが、どうでもよかった。 ぽたりぽたりと、水滴がエレベーターの床に落ちた。 エレベーターを降りて通路に出ると、少し遠い位置に人影を見た。 それが、ニールだとすぐにわかった。 ニールもこちらに気付いて、怒ったような安堵したような表情を見せた。 「どこ行ってたんだよ、心配したぞ。あーあ、こんなに濡らして…」 そう言って、家の扉を開けて刹那を中に入れる。 刹那は何も答えなかった。 ニールの言葉を、どこかうわ言のように聞いていた。 「とりあえずはシャワーだな。制服、洗うから洗濯機に投げておけよ。 上がったらメシあっためておくから、」 「…さい」 「ん?」 「うるさいっ」 刹那の中で、何かが音を立てて切れた。 「楽しいか、そうやって偽善者ぶって。面白いか、俺が不憫に見えて。 何が『お前の家』だ。何が弁当だ。何が『心配した』だ。そんなこと言ってれば、俺が喜ぶとでも思ったか。 くだらない。アンタのしてること、全部がくだらない。 俺はアンタのままごとに付き合うつもりなんかないっ」 鞄から包みがそのままだった弁当を出して、床に投げ付けた。 ガシャンと音を立てて、中身が盛大に散らばった。 ニールは、何も言わなかった。 ただ床に散らばったおかずを見た。 刹那はニールを押しのけて、扉を思いっきり閉めて部屋に篭った。 刹那は濡れた制服のままベッドにダイブした。 言いたいことは言った。 それでも胸のもやもやした感覚は抜けなかった。 腹が立った。 何の見返りも求めずに自分に笑顔を向ける、偽善ぶった態度に。 まるで家族みたいに、当たり前のように自分を心配する、あの男に。 けれど言いたいことは言ってやった。 もうしつこく優しさの押し売りみたいなことはないだろう。 そのうち化けの皮がはがれる。 全部がこうやって、簡単に壊れていくのだ。 09.06.05 ―――――――― 刹那にどこまで怒らせていいか散々迷った。苦笑。 |