彼女は不思議だった。
無表情で、何を考えているのかわからないのに、優しさが漂う。
ふとした時に出る笑顔に、惹き付けられる。

それと同時に、胸が苦しいくらいに、締め付けられる。
産み落とされた疑惑の卵−2−
洗濯物をたたみ終わったことを知らせるべく、庭にいる彼女の元へ行く。
身を置かせてもらっている以上、やれることはやっている。
彼女にも、「働かざるもの食うべからず、だ」と言われた。
なんだそれ、と聞いたら、「日本の格言だ」と言って小さく笑った。
窓からその姿を見つけ、声を掛けようとしたが、口を開いたところで、止まった。

庭で洗濯物を片手に空を見上げる彼女の横顔が、あまりに綺麗だったから。

ごくりと、思わず喉を鳴らす。
胸が、自然と高鳴る。
けれどどうしてか、同じくらい締め付けられる。
それほどまでに彼女に、ソランに惹かれているということなのだろうか。
ソランがこちらに気付くまで、俺はその姿をずっと見続けた。


俺がこの孤児院に身を寄せて、もう二週間が経つ。
(孤児院、なんて言っても実は子どもは六人しかいない、ほんの小さいものだ)
体力はほぼ完璧と言っていいほど回復した。
それでも、ここを出ようとは思わなかった。
ソランも何も言わないのをいいことに、俺は居候を続けている。

ここは居心地がよかった。
失くしたものを、取り戻したような感覚になる。
きっと、俺と同じで、家族を失くした子ども達が身を寄せているからなのだろう。
みんなが家族になろうとしている。
それが、とてもとても温かい。
自分もテロの犠牲者であることをぽつりと漏らした時、子ども達は精一杯の優しさで慰めてくれた。
ソランは、悲しそうに目を伏せていた。

親近感が沸くのは、同じ国の人間、というのもあるのかもしれない。
特に、一番年少のシリルという名の女の子は、自分によく似た毛色や瞳の色で、妹のエイミーを思い出させた。
彼女は、孤児院が出来て一番初め、まだ赤ん坊だった頃に拾われた子どもらしい。
今度五歳になるということを、まだ舌足らずな言葉で教えてくれたのが、とても微笑ましかった。
冗談半分で、他の子ども達に「ニールとシリルは親子みたいだね」なんて風にも言われた。
記憶のないことなんか、ここにいたら気にならなかった。
キッチンで食事の準備をするソランの手伝いをしていると、突然リビングから激しい泣き声が響いた。
それがシリルのものだと、すぐにわかる。
ソランと一緒にリビングに行けば、テーブルの脚元で大泣きをしているシリルがいた。

「ソラン、シリルがテーブルにおでこぶつけちゃった!」

慰めるようにシリルの頭を撫でながら、子ども達の中では一番年長のエマが言う。
なるほど、シリルの小さなおでこには、こぶが出来ている。

「シリル、シリル泣くな」

エマに代わってソランがシリルを抱き寄せ、宥めるが、シリルは一向に泣き止もうとはしなかった。
ソランにも、徐々に焦りの色が見え始める。

「ソラン、貸して」

そう言って、ソランに抱かれていたシリルを自分の腕に収める。
ソランは一瞬戸惑っていたけれど、とりあえず今は気にしない。

「よしよし、痛かったな。もう大丈夫、もう痛くない」

諭すように、シリルに言う。
だんだんと耳に響く泣き声が小さくなっていくのに、安堵する。

「もう平気だな?」

そう言えば、こくり、とまだくしゃくしゃな顔をしながらシリルが頷く。

それに安心して、ソランを見たが、彼女は、どうしてだか目を見開いて、それでいて今にも泣いてしまいそうなほど、
切ない表情をしていた。

その顔に、俺の胸はやっぱりぎしりと音を立てる。

「ソラン…?」

声を掛ければ、ソランはようやく自分の表情に気づいたようで、顔を下げた。
そして、「タオルを冷やしてくる」と言って足早にリビングを去ってしまった。

何か、気に障ることをしただろうか。
そういえば、ソランの前でシリルを抱いたのは初めてだ。
ソランがこの家にいるとき、シリルは大抵彼女の側にいるから。
いや、理由なんか、どうでもいい。
彼女にあんな顔させた。
それだけが、この胸をどんどん締め付けさせた。

夕食は、何事もなかったかのように進んだ。
子ども達も、ソランもいつも通りだ。
だから俺もいつも通りに接した。
夜、子ども達も寝静まって、俺も宛がわれた部屋に篭ったが、どうしても眠気はやって来なかった。
ソランのあの表情が、頭を離れなかった。
悶々としたものを払拭させるように、ベッドからがばりと起き上がり、部屋を出た。

階段を下りると、リビングからぼんやりと光が漏れているのがわかった。
それがソランだということも、すぐにわかった。
一瞬躊躇ったが、ここで避けてもどうせ意味はない。
そう思い、そのままリビングへと足を運んだ。
リビングに入った俺の存在に、ソランはすぐに気付いた。
けれど視線もすぐ外された。
そのことに、少なからずショックを受けるが、時々起こる胸の締め付けほどではなかった。

「ソランも、眠れない?」

出来るだけ明るく振舞う。
少しでも、戸惑ったこの空気をなくしたかった。
ソランは、俺の問いかけに首を縦に振っただけで返事をした。
なんだかそこにいるのがいたたまれなくて、気持ち、早足でキッチンへ逃げ込む。
元々何か飲みたいとは思っていたのだ。
ふと、ソランの手元に飲み物がなにもなかったことを思い出す。
自分だけ飲むのもなんだか気が引ける。
そう思い、ソランがいつも使用しているマグカップも戸棚から取り出した。

「ソラン、これ、よかったら」

そう言いながら、彼女の前にマグカップを差し出す。
ソランは、一瞬だけ驚いた顔を見せた。

「ホット、ミルク…」
「…昔さ、妹にせがまれて結構作ったんだ。だから、味は保障する」

ひどく大事そうにマグカップをその手に包むソランに少し戸惑いながらも、気にしない振りをした。
何か、別の話をしたかった。
そう思い、何気なく気になっていたことを口にした。
そう、本当に、深い意味なんてなかったんだ。

「ソランはさ、なんでここで孤児院始めたんだ?お前、中東の出だろ?」

それは常々知りたかったことだった。
孤児院をやりたければ、自国でいくらでも出来る。
おそらく、悲しいことだがここよりは孤児が多いだろうから。

ソランはすぐには返事をしなかった。
ことり、と手に持っていたマグカップをテーブルの上に置いた。
そして、ひどく悲しく笑って、言った。

「罪滅ぼし、だ」

「罪、滅ぼし…?」
「俺のせいで、家族を失ったアイルランドの知り合いがいた。その、償いのつもりだ」


まるで嵐のように、一つの仮定が降ってくる。
なんでだよ、なんでそんなこと思うんだよ。馬鹿じゃあないのか。
何度も何度も頭の中で否定した。
けど、かき消されなかった。

俺の家族が死んだテロは、クルジスのKPSAが引き起こしたもので。
ソランは、中東の出身で。
それで、彼女はアイルランドの知り合いがいて。
その知り合いの家族が、彼女のせいで、死んで。

彼女は、その償いで、孤児を養っていて。


違う。違う。
だって、彼女は一言もテロで、なんて言ってないじゃないか。それに、クルジスの出身だとも。
事故だったかもしれない。
そうだ、たまたま、たまたまソランがアイルランドにいて、その知り合いの家族が乗った車がソランに向かって
走ってしまって、避けようとしたら、そのまま。
こっちの方がよっぽど自然じゃないか。

頭の中を巡り巡った考えをなくしたくて、ソランの顔を見上げる。

彼女は、全てを納得したように、どこか諦めた風にも見えるような、そんな、悲しい笑みを浮かべていた。
あぁなんでだ?
この胸を締め付けるような痛みも、この絶望感も。

どうして、君からなんだ?

どうしてよりにもよって、君なんだ?
09.04.06


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