一夜明けてキッチンに立つ俺を見て、彼女はひどく驚いた顔をしていた。
思わず苦笑する。

「出て行ったかと…」

そう言う彼女に、「出て行ってほしいなら、出て行く」なんて、少し卑怯なことを言ってみた。

出て行くことももちろん考えた。
でも、出て行ってはいけない、そんな気がして、俺はまだここにいる。
産み落とされた疑惑の卵−3−
子ども達が昼寝をしている最中付けたテレビでは、一時期世間を騒がせたらしい、ソレスタルビーイングという
組織の特集を組んでいた。
四年の沈黙。彼らの目的。彼らがもたらしたもの。
その間の記憶がちょうどない俺からしてみれば、ひどいことするやつらがいたもんだな、くらいにしか思えなかった。
ソランはと言えば、この番組の中身をちらりと見た途端、どこか足早に家を後にしてしまった。


ソランとは、少し距離が出来た。
仕方ないと言えば、仕方ない。
子ども達の前では悟られないように、以前と同じように接したけれど。

家族の仇。
自分にとって彼女はそういう存在だ。
でも、そう括ることに躊躇いを感じているのも事実だ。
慈しんで子ども達に接する彼女を見る度に、その思いが増す。


「殺したいなら、殺していい。お前にはそうする権利がある」

二人でキッチンに立っている中、なんの躊躇いもなく、ソランがそう言った。
どくり、と心臓が鳴った。
けれどここで動揺したり、躊躇する姿を見せては家族にも申し訳が立たないと、言い訳を必死で考えた。

「お前を殺したら、子ども達どうしたらいいかわからないだろ…。
また同じ思いはさせたくない」

嘘ではなかった。
あの子達に、また居場所を奪われる哀しみを与えたくないというのは紛れもない本心だ。
けど、言い訳だ。
彼女を失うことを一番恐れているのは、自分だ。
洗濯物を家に取り込んでいる最中、床にきらりと何かが光ったのに気付いた。
拾ってみれば、それは指輪だった。
先にチェーンが付いていたのが切れたのだろう。
役目を果たさなくなったそれがぶらりを垂れた。

「あ、それソランの!」

足元で、二番目に年長のダニエルの声がする。
その言葉に、ぎしり、と胸が軋んだ。
平静を装って、屈んで目線を合わせた。

「これ、ソランのなのか?」
「うん、いつもしてる」

いつも身に付けてる、指輪。
それがどういう意味を表しているのかぐらい、すぐにわかった。
「ソラン、これ」

そう言って指輪を差し出してやれば、彼女はひどく驚いた顔をした。

「盗んだ、とかじゃないからな。床に、落ちてた…」

ことり、とソランの手に返してやる。
返されたそれをひどく大事そうに握る仕種を見て、胸がもやもやとした。

「すまない、ありがとう」

そう言う彼女が、ひどく穏やで、でも哀しげな顔をしていることに、少なからずショックを受けていることは、否定しない。

「…もらいもの?」
「……あぁ」
「大事な、やつ?」
「……、あぁ…」

戸惑いながらも俺の問いに確実に肯定する彼女。
嫉妬、してるんだ。
ソランにそんな風顔をさせてる人間に。
見たことも、会ったこともない赤の他人に。

するりと、ソランの頬に手を添えた。
目を丸めて自分を見る表情がなんだか子どもみたいで、少し笑えた。
愛おしかった。

ゆっくりと、彼女の身体に腕を回した。

俺の腕の中にすっぽりと収まるソランはびくりと身体を揺らした。
ふとした拍子に離れていってしまいそうで、強く抱きしめた。

「…すき、だ」

ぽつりと、彼女の耳に呟く。
好きなんだ。
どうしてこんなに惹かれるのかわからない。
でも、好きなんだ。
離れちゃいけないって、まるで身体が叫んでるみたいに、彼女に惹かれている。

ソランは、腕の中で目一杯抵抗した。
もちろん力では俺の方が上なのだけれど、彼女が腕の中にいることを望んでいないから、と解放した。

「俺は、KPSAの人間だった…っ」

彼女は腕を伸ばし、俺との距離を作ろうとしていた。
そうだ、忘れてなんかいない。
彼女は、俺の家族の仇で。
俺の、大切な大切な家族を奪った組織にいた人間で。
彼女に想いを馳せることは、間違いなく家族への裏切りだ。
きっとそんなことは許されない。
彼女自身もそれを理解しているのだろう。
ソランと俺の間にある彼女の腕が、俺に許されまいとしていた。

ぎしりぎしりと、ずっと、俺の胸が軋んでいた。
「ねぇニール、えほん、よんでー?」

ソファでぼんやりと腰を下ろしていた俺に、シリルから声が掛かる。
なんとか意識をシリルに向けた。

「いいぜ。何がいい?」
「ようせいの、おはなし!」
「妖精?そんなん、あったっけか?」

ここにある絵本や童話類は大体子ども達に読んだが、妖精が出てくるようなものは記憶になかった。

「ソランのおへやにあるの!おねがいするともってきてくれる!」

生憎、その彼女は買出しに行っていて不在だ。
確か出掛けたのが三十分ほど前だから、帰ってくるまでにあと二時間以上は掛かるだろう。
街まで、彼女の所持するバイクを持ってしても一時間は掛かるのだから。

「勝手に部屋入ったら、俺怒られるなぁ」

苦笑いしながら、シリルにそう答える。
ソランからは、ここに住み始めた最初の頃に、部屋には絶対に入るな、と彼女から念を押されていた。

「…だめぇ?」

大きな瞳を潤ませて、見上げるシリルに、思わず尻込みをする。
その姿がエイミーを思い出させて、どうにも躊躇ってしまう。

「いいじゃん、ソランにはあとで謝ればさ!」

そう言ったのは、シリルよりも二歳ほど年上のヘンリック。
その歳でそういう考えを持ち始めることに、いささか将来が心配になったが、それは今どうでもいい。
ヘンリックの言葉を後押しするように、年中組のアリアとコリンも口を揃えて言う。

「そうだよ、シリルがわがまま言った、ってことにしちゃえばいいよ」

仕方ない、と思い、一つだけため息を吐いて立ち上がる。
シリルが嬉しそうにわらうのを見て、怒られても構わないか、という気分にもなった。
そろり、とソランの部屋のドアを開ける。
彼女の部屋も、俺の借りている部屋と同じようにあまり物がなかった。
ベッドと、本棚と、机。それだけだ。
部屋の主がいないのだから別にこそこそする必要はないのだが、出来るだけ足音を立てないよう、
本棚へと足を運んだ。
目的の本を見つけ、それを手に取る。
部屋を後にしようとしたが、机の上に、伏せてある何かを見つけた。
それが写真立てであることは、すぐにわかった。
何故だか、気になった。
見たい。彼女に触れたい。けれど、見てはいけないような気もした。


どうして、そのまま部屋を後にしなかったのだろう。



裏返した写真立てに写っていたのは、見慣れない宇宙服に身を包んだ今よりも幾分若いソランと、
その隣で 彼女の肩に手を置く、俺によく似た、人物。
そして、その他にも大勢の人間が、こちらに笑顔を向けていた。


ぎしりと胸が音を立てる。
頭が割れそうなくらいに鳴り響く。
唇も喉もからからになった。
けれど、そこから一歩も動けなかった。



なんでだ?
どうして俺は、何も覚えていないんだ?
俺は、何を忘れているんだ?
ねぇ、きみはおれをしってるの?
09.04.15


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この後ソランが子ども達を里親に預け始めたりアリーが出てきてどんぱちやったりソランがいなくなったり
色々ありますが、とりあえずここで一旦終わりです。
書き始めるとなんだか長くなりそうなので。
もし読みたいという方いらっしゃいましたら言ってください。
がんばります。笑。