※アリ刹♀描写・少しばかりの無理矢理表現あり。
Beautiful World−6−
始まりはたった一枚の紙切れだった。

それはソランがまだ"ソラン"だけのままの、18歳になる半年ほど前のことだった。
一ヶ月ほど前に病に倒れた義姉、マリナの治療費を稼ぐ為に家の近くにあるスーパーで働き始めたのだが、
それだけの稼ぎを得ることは、高校も卒業していない、まだ17のソランには不可能だった。
医者から告げられたマリナの病状を考えれば、それなりの収入が必要だった。
生活保護も利用していたけれど、それでも足りなかった。

いつも傍にいて、自分を守ってくれたマリナ。
その存在を失くすことを、ソランは何よりも恐れていた。
守りたい。助けたい。
けれど、それには多額の治療費がいる。
ソランは日が経つにつれ、焦りが募っていった。
ある日のことだ。
いつも通りスーパーでの仕事を終え、義姉のいる病院へ向かおうとした時。
赤毛にスーツという、一見すれば似合わない組み合わせの一人の男が、ソランの前に現れた。
男は、「母親の"世話"をした人間だ」と言った。
母親と繋がりを持った人間が自分の前に現れたことにまず驚いた。
出て行ってから、一度たりとも連絡を寄越すことのない母親だ。
ソラン自身、マリナの治療費を稼ぐ為に働きづめであったせいで、その存在自体が頭から抜け落ちていたほどだ。
当惑するソランを他所に、男はすっと合図するかのように片手を上げた。
そしてそれによって現れた黒いスーツをかっちりと着る男たちに、ソランは両脇を抱えられた。
抵抗する暇も与えられず、ソランはすぐ側に停めてあった黒塗りの高級車に乗せられた。
車内ではただ沈黙が続いた。
重苦しい空気に、ソランは少なからず不安を感じていた。



辿りついたのはオフィスビルだった。
特に怪しい雰囲気は感じられない、ごくありふれたビルだ。
連れ込まれた突き当りの部屋はどうやら赤毛の男の部屋のようだ。
黒い革張りの椅子やソファがその男の雰囲気にやけに合っていた。
ソランは男の促しによってソファに腰を下ろした。
見張り、とでも言うようにドアの側に立つ黒スーツの男たちが、なんだか嫌だった。

「…用件を言え。一体、俺に何の用だ」

ソランがそう尋ねれば、男はにやりと不気味にすら感じる笑みを見せて、ソランに一枚の紙切れを出した。
それは借金の借用書だった。

金額は、一千万。

男の言った"世話"という意味を理解した。
同時に、目の前が真っ暗になった気がした。
男は言った。

「てめぇの母ちゃんがトンズラしてよ、困り果ててたんだよ。母親が支払えねぇんじゃ、娘がきっちり尻拭いしなきゃだろう?」

マリナの治療費に加えて、母の残した借金。
払える手立てなど、ソランにあるはずがなかった。

ソランは無意識に首からかけてある、花のモチーフのネックレスを握り締めた。
親の離婚が決まり、マリナと離れなければならなくなったときに、彼女がくれたものだ。
マリナの亡くなった母が、彼女に渡したものだという。
「大切なものだから、大切なソランに持ってて欲しいの。いつでも私が、ソランの傍にいられるように」
そう言って、首にかけてくれた。
ソランにとって、マリナの次に大切なものだった。
その、最も大切なマリナ自身を、もう守れないかもしれない。
ぐしゃりと、手の中にある紙切れを握りつぶした。
どうする。どうすれば、いい。


言葉を発することを忘れたソランに、赤毛の男がずい、と近付いた。
気付いた時には、ソランの身体はソファに沈められていた。
そして無遠慮に、男はソランの服に手を掛けた。

「…っ!?や、め…っ」

カラダで払え、とでも言うのか。
けれども、その行為自体が未経験のソランにとっては、それは嫌悪を感じる以外になかった。
必死に抵抗しようとした。
しかし、赤毛の男が合図すると、ドアの側に立っていた黒いスーツの男の一人が、ソランの腕を頭の方に上げて
がっちりと掴んでしまった。

「やめ…っ。嫌だ…!!」

ソランの服は、いとも簡単に赤毛の男によって肌蹴られてしまった。
直接肌に感じる外気に、ソランはぞくりとすらした。
嫌だ嫌だ。こんなところで、こんな男に抱かれるなんて、絶対に嫌だ。
ソランは唯一自由の利く足をばたばたと動かしたが、何も効果はなかった。
その間に、赤毛の男はソランの下着のホックを、何のためらいもなく外した。

「…っぃ、や…っ」

現実から目を逸らすように、ソランは目を瞑り顔を背けた。
次に来るであろう恐怖に、身体が震えた。

だが赤毛の男は何の行動も起こすことはなかった。
不審に思ったソランが恐る恐る目を開けてみれば、男はソランの露わになった胸をじっと見ていた。
何故だかそこにいやらしさは感じられなかった。

「…っ?」

男の目的がわからなかった。
もしかしたら、好みの体付きではなかったのかもしれない、とも思った。
それならそれでいい。早く、解放されたかった。
だがソランの安堵は一瞬で終わった。
赤毛の男は、今度はソランのズボンに手を掛け始めた。

「…っや…!?いやだ、やめろ…!」

唯一自由の利いた足もいとも簡単に押さえ込まれ、ソランは成す術がなかった。
身体をどんなに動かそうとも、思うようにはなってくれなかった。
それでも、可能な限りの抵抗を続けた。
ただただ嫌悪と恐怖がソランの身体を纏った。
ズボンと一緒に下着も下ろされ、革張りのソファに直接肌が触れると、その冷たさに鳥肌が立った。

「ゃだ…っいや、だ…!!」

赤毛の男は何の遠慮もなしに、ソランの足を持つとがばりと広げた。
ソラン自身ですらよく知らない秘部を今日初めて会った借金取りに見られ、心が折れそうだった。
頭を過ぎるのは、義姉の顔だった。

「おい」
「…っ?」

赤毛の男が声を出し、ソランはぴたりと抵抗をやめた。
男はソランの足から手を離した。
また、何もしない。
だがソランにとって男の目的などもうどうでもよかった。
帰りたい。義姉のいるところへ。

ソランの思いを他所に、赤毛の男から思いもよらない言葉が発せられた。

「セックス、したことあるか」
「…なっ」

何を言い出すのだ。
こんな無遠慮な男に、そんなこと言えるわけがなかった。

「答えろ。男のイチモツ、突っ込まれたことあるのかって聞いてんだ」
「…っ誰が、そんなこと言うか…っ」
「答えねぇなら今ここで俺のモン突っ込んで確かめてやる。さぁ、どっちがいい」
「っ!?」

ソランは言葉を失った。
どちらにしろ羞恥の選択であることには違いなかった。
言葉にするのも嫌だ。
だが、

「答えねぇのか。だったら、」
「っな、ぃ…っ」

絞り出すように、ソランは言った。
羞恥だけで済む方を、選んだ。
赤毛の男はにやりと笑った。
それがソランに新たな恐怖を与えた。

「まぁいい。合格だ」

その言葉の意味がわからなかった。
合格?一体、何が?

赤毛の男はソランから離れ、部屋の中央に位置する机に身体を預けた。
男が離れたのとほぼ同時に、ソランの手を掴んでいた黒いスーツの男も離れ、再びドアの前に立った。
それで、ようやくソランに少しの安息が生まれた。
ゆっくりと身体を起こし、男の言葉を待った。

「いい仕事がある。上手く行きゃあ月に最低、50万稼げる」

月に、50万。

その言葉一つで、ソランの身体から一瞬恐怖が消え去った。
50万あれば治療費も、そして借金も少しずつだが返せる。
ソランにとってこれ以上ない話だった。
だが男から仕事の内容を告げられた瞬間、やはりソランは目の前が真っ暗になった気がした。

AV女優。

「身体はちぃっと貧相だが、顔もそこそこいいし使える。お前がその気になれば売り込んでやる」

赤毛の男はAV事務所の社長なのだと言った。
その事務所のタレントになり、金を稼ぐ。
男から言わせれば、金も稼げる、借金も返せる、まさに一石二鳥。
確かに、間違いではない。
その職種について詳しくは知らない。けれど、給料が高いことはイメージとしてある。
何せ自分自身を「商品」にするのだ。安いはずがない。

けれど。

けれども、そんな、仕事。

自分のカラダを売って、よく知りもしない男に抱かれ、大衆に肌を晒す。
ソランにとっては、屈辱以外の何物でもなかった。
もっと他にいい方法があるのではないか。
そういう考えすら生まれ始めた。

だが、男はソランの思考をばっさりと切り取るように一言、言った。

「てめぇがやらねぇなら、大切な大切なお姉さんが働くことになるぜ?」

働く?義姉が?
あんなに病弱で、あんなに清楚な義姉が。
カラダを売って、金を稼ぐ?

そんなことが、させられるわけがない。
嫌だ。義姉が薄汚い男に抱かれるなんて耐えられない。
ソランは胸にかかるネックレスをぎゅ、と握り締めた。

「やる」

はっきりと、男に向かって言った。

「その代わり、義姉さんには絶対、手を出すな」

赤褐色の瞳を真っ直ぐに男に突き付けた。
赤毛の男はにやりと笑って、

「交渉成立だ」

そう、言った。
「カットォ!」

スタジオ内に監督の声が響いた。
スポットライトを浴びていた二人は動きを止め、逆に周りのスタッフは慌しく動き始めた。

「んー、刹那ちゃーん、なんか動きが硬いんだよぁ」

監督にそう言われた少女は、スタッフの一人からかけられたガウンの端をぐ、と握り締めた。

「…すみません」

俯いて、ぼそりとそう言う。
監督はその様子にため息を吐いて口を開いた。

「十分休憩!その後同じシーンもう一回だ」

スタッフも他の出演者も、その言葉で散り散りに動いた。
少女は、周りから一拍遅れて立ち上がり、ガウンの紐を適当に結ぶと、脇目も振らずにスタジオを去った。



トイレの個室に篭り、扉に寄りかかったままずるずると床に座り込んだ。

調子が出なかった。

いつもなら仮面を被って心を無にして演技に臨んで、男に抱かれるのに。
それが、ここ最近上手くいかなかった。
あの日以来だ。
あの、ブラウンの髪の男が、再び現れてから。
あの男の言葉が何度も頭を過ぎって、その度に「刹那」が消える。

その考えをかき消すように、少女は頭を振った。
駄目だ。何を、惑わされているのだ。
「刹那・F・セイエイ」として仕事をこなさなければ、金を稼ぐことが出来ない。
義姉を、マリナを助けることが、出来ない。
それでは駄目なのだ。
それでは、自分の生きる意味すら、無くなってしまう。


今さら何を迷うことがあるのだ。
社長によって処女を失われた時点で、もう自分はここからは抜け出せない。
自分だけの力で街に出てカラダを売るよりも、ずっといい。
「カラダ」の安全は会社によって守られ、収入だって安定している。
そう、寧ろ、運がいい、と思うべきなのだ。

少女は立ち上がった。
その瞳に、迷いは見られなかった。



何も信じない、何にも頼らない。
自分が生きているのはそういう世界だ。形振りなど、構ってられない。
そう、自身に言い聞かせた。

頭を過ぎった男の言葉には、もう、意識を傾けなかった。
09.10.10


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R15ですか?(聞くな