Beautiful World−2−
力強くこちらを見る赤褐色の瞳に、ニールはしばらく目を奪われた。 そのせいで、少女の腕を掴んだまま、何もしない時間が続いた。 先に動いたのは少女の方だった。 「離せ」 少女は短くそう言うと、ニールに掴まれていた腕を振りほどいた。 「あ、悪い」 少女の、女のわりに低い声にニールもようやく意識をこちらに移した。 お互いが次の行動を起こす前に、バタバタと、何人かの走る足音が近づいてくるのが耳に入った。 その足音を聞いた少女は、小さく舌打ちをした。 なんとなく、現状が読めた。 ニールは咄嗟に、その場から立ち去ろうとする少女の腕をまた掴んだ。 少女は驚いていたようだが、今は何も聞かない振りをした。 そしてそのまま、彼女の身体をすっぽりと腕の中に閉じ込めた。 その、力を込めれば折れてしまいそうな華奢な身体に、ニールは驚いた。 印象的な瞳とは正反対にも感じられた。 腕もそうだったが、年頃の女性にしては、少し不健康な体付きに思えて仕方なかった。 足音はニール達の側を立ち止まることもなく通り過ぎていった。 外からは少女が見えないように抱き込んだので、気付かなかったようだった。 大方昼間からお盛んなカップルに見えたことだろう。 通り過ぎる影を、ニールはちらりと見た。 黒いスーツを着た男が、三人。 見るからに物騒だった。 足音が完全に消えてすぐ、ニールは少女に身体を突き飛ばされた。 衝撃は、やはりそれほど大したものでもなかった。 見知らぬ男に抱きかかえられたのだ、無理もないかもしれない。 けれど、もう少し離れ方というものがあるんじゃないか、と思ってしまった。 少女を見れば、先ほどよりも鋭い視線でニールを見ていた。 そこにあるのは、敵意、というようなもので。 「そんな顔すんなよ。追われてたんだろ?俺は、助けたつもりだったんだけど…」 「助けて欲しいなんて言った覚えはない」 可愛くない。 この子、可愛くない。 少女はそのまま、一瞥もせずにその場から立ち去った。 少女の態度にニールは少なからず気分を悪くする羽目になった。 だがしかし、それでもニールは少女の赤褐色の瞳に惹かれた。 少しあどけなさすら残るこんな子どもが、あんな眼をするのだ。 強い意志を持った、迷うことを知らない目。 けれどどこかそれが、空虚なものにも思えてしまう。 まるで、頑なに強くあろうとしているように見えた。 何よりどこかで会ったことのあるような感覚が、ずっとニールの胸を占めていた。 胸に引っかかりを覚えて仕方ない。 だがいくら考えてもニールの頭に少女と会った記憶は浮かんでは来なかった。 道端かどこかですれ違ったのかもしれない。 ニールは自分をそう納得させて再び帰路に着こうとしたが、足元に何かが光ったのを見つけた。 拾い上げてみれば、それは花のモチーフの、シンプルなネックレスだった。 チェーンのところが外れている。 あの少女の落し物だと考えるのが自然だろう。 届けてやれるのが一番だが、残念なことにニールは少女の名前も何も知らない。 交番に行くには来た道を戻らなければいけない。さすがにそれは億劫だった。 仕方ない、とばかりに、ニールはネックレスをズボンのポケットに入れて、自宅であるマンションへと歩を進めた。 マンションへ着いたニールは疲れを飛ばすようにまたソファに身を沈めた。 太ももの辺りで、何かが当たったような感覚がした。 それが、先ほど拾ったネックレスだとすぐに気付き、ズボンのポケットから取り出した。 少女のことをまた思い出した。 端整な顔立ちに印象的な赤褐色の瞳。 少女の持っている雰囲気とこのネックレスでは、なんだか不釣合いな感じがした。 明日仕事帰りに交番にでも届けよう。 そう思い、ネックレスをソファの前のローテーブルに置こうとしたが、そこに紙袋があるのが 視界に入った。 あぁそういえばと思い出す。 リヒテンダールに借りたDVDだ。鞄の中から取り出して、そのままになっていた。 ふっと、ニールの中に一つの記憶が降って湧いた。 同時に身体全体がすっきりした感覚がした。 ニールは紙袋を取って中身を取り出した。 そこには、先ほど出会った少女がいた。 診察台に横になり、扇情的な眼でこちらを見る少女。 その眼は先ほど見たのとはずいぶん違う印象を受けた。 あの眼は、こんな風に弱々しく男を煽るような眼ではなかった。 これよりもずっと強い、頑なな眼。 拒絶すら、感じさせる眼だ。 少女のその激しい差がニールを動かした。 DVDを取り出し、デッキに滑り込ませる。 見てみたかった。 あんな眼をする少女が、どういう風に男を虜にするのか。 液晶画面に映し出されたのは、ジャケットのままの、少し弱い瞳の少女だった。 身体の具合を悪くした少女は、病院に赴き、その医者に「診察」を施されていた。 様々な医療器具で犯され喘ぐ少女の姿は、扇情的以外の何物でもなかった。 女の子にしては低い声だったが、時々出る高い嬌声は、熱を高ぶらせた。 やはり最初の印象通り、少女の胸は他の女優に比べれば小ぶりな方だった。 医者の肉棒を突き刺された華奢な身体は、今にも壊れてしまいそうな印象を受けた。 そのアンバランスさが、おそらく「彼女」の魅力なのだろう、と思った。 演技力はリヒテンダールの言うとおり、確かに高かった。 けれどそれがどうしてだか、ニールには虚しくも感じてしまうものがあった。 不思議だ。 接したのはほんの少し、しかも、粗悪な態度を取られたにも関わらず。 きっと、これは彼女の本当の姿ではない。彼女の演技力の高さは余計にそう思わせた。 自分を偽り、男を悦ばせることは、彼女の本意ではない気がした。 あの強い眼の方が、よっぽどニールにとっては印象的だった。 けれど喘ぐ彼女を見て熱を高ぶらせたのもまた事実で。 ニールの中心は、息苦しそうに自身を主張していた。 テレビの電源を落とし、DVDをケースに収めた後、ニールはわき目も振らずにシャワーを浴びた。 熱を発散させるとき、欲望に忠実な本能に、少しだけ嫌悪感を感じた。 排水溝に流れていく白濁が、なんだか汚いものに思えてしまった。 翌日出勤したニールは、リヒテンダールにDVDを返した。 「どうでした?よかったっしょ?」と感想を求めるリヒテンダールに、「あぁ、ありがとな」と適当に返事をした。 リヒテンダールは少し不服そうに口を尖らせていた。 自分のデスクに腰を下ろしたとき、ズボンのポケットに入った彼女のものであろうネックレスが 太ももに当たった。 「そういえばロックオン、今日車じゃないんだね」 昼休み、そう話し掛けて来たのは同僚のアレルヤだった。 ニールは苦笑いを浮かべて答えた。 「この間狭い道通ったら擦っちまってさ。今生憎修理中」 そう言うと、一緒に食事を取っていたリヒテンダールやラッセが口々に「珍しい」と言った。 「傘持ってきた?今日夕方雨の予報だったよ確か」 「げ、マジで?」 アレルヤに言われ、天気予報など見向きもしなかったことを少し呪った。 昨日の取引先とまた詳しい打ち合わせをするために外に出る必要があっただけに、雨に降られると つらいものがあった。 それにもう一つ、足さなければならない用もある。 「雨降らないこと祈るしかないっスねこりゃ」 リヒテンダールの言葉に、ただニールは頷くしかなかった。 手帳に書いた地図を頼りに、あまり来たことのない道を進んでいく。 取引先との話し合いは、小一時間で終わった。 あとは、この地図に従っていくだけだった。 幸いにもまだ雨は降り始めていなかった。 ニールはある地点でぴたりと歩を止める。 比較的大きなオフィスビルだ。 入り口に掲げられているテナントの名前を、ニールは確認していく。 そのうちの一つに、目的の場所を見つけた。 「クルジスプロモーション」 彼女の、刹那・F・セイエイの所属する事務所だった。 昨晩、シャワーを浴びた後ニールはネットで彼女の居所を探した。 検索サイトで彼女の名前を入れれば、何万件ものヒットがあった。 これだけで彼女の存在がどれほどかがよくわかる。 ニールは彼女の所属する事務所を調べ、そしてその地図を手帳に書き記した。 ネックレスを彼女に返したかった。 もちろん、交番に届ける、という手もある。 だが彼女の存在を知った以上、直接届けるのが自分の中では自然だった。 会える確率は、高くもなければ低くもない。 何せ事務所の前で彼女が出てくるのを待っているだけだ。 事務所に直接入る勇気は、生憎ニールの中に持ち合わせてはいなかった。 ニールはビルの前の植え込みに腰を下ろし、彼女を待つことにした。 三十分ほど経って、ニールの頭にぽつりと滴が落ちた。 それが雨だと気付くのにそう時間はかからなかった。 頭に当たる滴の量は次第に増えていく。 仕方ない、とばかりにニールは彼女の事務所が入っているオフィスビルの入り口まで駆けた。 他に、普通の会社も入っているオフィスビルだ。入り口で雨宿りする分には何の問題もなかった。 ニールは止む気配を見せない雨を、恨めしげに見た。 よりにもよってこういう時に降らなくてもいいだろうに。 ふと、隣に人の気配を感じて、空に向けていた視線を動かした。 そこにいたのは、ここに来る目的になった、あの赤褐色の眼の少女だった。 09.08.29 ――――――――― ニールさんが見たDVDのタイトルは「アブない診察」です(… |