Beautiful World−18−
最近、ソランの様子が変だ。 具体的にどう変だと聞かれてもはっきり答えようがないのだが、全体的によそよそしくなった気がしてならない。 本業の方が忙しいのか、あまりこちらのデザイン事務所に顔を出さなくなった。 本業といえば、"仕事"をまた始める、と言っていた時の電話も様子がおかしかった。 クリスティナやフェルトと一緒に出掛ける機会が多くなって、いい傾向だと思っていたが、なんだかまるで、最初の、 誰も寄せ付けようとしなかった時に逆戻りしたようだ。 おまけにマリナの見舞いにもあまり行っていないらしい。 寂しそうな顔をして、そちらが忙しいんですね、なんて笑う彼女に、嘘を取り繕うしかなかった。 給湯室でコーヒーをすすって、ふぅ、とニールはため息を吐く。 トイレに行って来る、とティエリアに嘘を吐いて一服中なのだが、そろそろ戻らないとまずいだろう。 徹夜続きの頭では、まともな考えも浮かばない。 「あれ、ロックオン、ここにいたんだ。おはよー」 給湯室に顔を出したのはクリスティナだった。 いつも通り、みんなに出す分のコーヒーの支度をしている。 時計を見ると、なるほど、もう彼女がいつも出勤する時間だ。 今日は家に帰れるだろうか、なんてはっきりしない頭で考えた。 「ねぇロックオン、今日も刹那来ないの?」 「え?あー…あぁたぶん…」 "刹那"なんて言われて一瞬誰のことかわからなかった。 ここではすっかりその呼び名が定着してしまったが、ニールの中ではずっと彼女は"ソラン"だった。 "刹那"という名前は、彼女をどこかで縛り続けているような感覚がして、ニールはあまり好きではなかった。 事務所のメンバーは悪気なく呼んでいるし、ソラン自身も嫌ではないと話しているから、ニールの中の感情の 問題でしかないのだが。 「そっかぁ、最近休みの日に誘っても断られちゃうんだよね。あっちの仕事やっぱり忙しのかなぁ」 「あぁ、たぶん…」 一体、どうしているのだろう。 きちんと食事は取っているのだろうか。眠れているだろうか。また体調を崩してはいないだろうか。 そんな、取り留めもない不安が浮かんでは消える。 「はい、しつもーん」 コーヒーでも飲んで気を紛らわそうとしたところで、クリスティナが言う。 マグカップに口を付けたまま、意識を彼女に向けた。 「刹那のどういうトコが好きなの?」 ぶほっと、思わず口に含んでいたコーヒーを吹き出してしまった。 喉に入りかかったコーヒーは気管に流れてしまい、盛大にむせ込む。 隣でクリスティナが、「やだ汚い」と無情に言った。 「な、なんで…?ていうか、クリス、知ってた…?」 「うん、わりと最初から」 しばらくして落ち着いたところで、どうにかそう言う。 クリスティナは、追い打ちをかけるようにあっさり返す。 恥ずかしくて身体中が熱い。 スメラギにもどうやら知られてしまっているようだし、ここの女性陣はそういうのに敏いのか、それとも 自分が表に出しすぎだったのだろうか。 どちらにしろ同じ職場の人間に恋心がだだ漏れなんて、パンツ一丁で街中を歩いてるのと大して変わらない。 あ、駄目だ。本当に考えがおかしい方向へ行っている。 「どういうとこが好きって…あんまりはっきり言えるわけじゃないけどさ…」 一呼吸して気持ちを落ち着けてから、ニールは口を開いた。 やはり言葉は濁るし恥ずかしいのは変わらない。クリスティナの顔は見ないまま、ニールは続ける。 「意思が強いところとか…真っ直ぐなところ、かな…」 きっと、あの眼なのだろう、とニールは思う。 迷いを見せず、ただ前を強く見続ける、あの眼に惹かれたのだろう。 でもどこか不安定さが滲むところもある。そういうのを、守りたいとも、また思う。 ふと我に返ると、クリスティナの視線が痛い。 視界の片隅で面白いものでも見るような彼女の表情が見て取れて、ニールの体温は再び上昇した。 恥ずかしくてクリスティナの方を向くことが出来なかった。 働かない頭の端で、パンツ一丁で街中を歩くのとどちらが恥ずかしいだろう、なんて考えた。 それから二日ほど経って、ニールはようやく家路に着いた。 自宅の玄関ドアを開け、部屋に入ると、一気に力が抜ける。ドサリと、そのままソファに飛び込んだ。 今回は何日泊り込んだか。一、二、三…と指折り数えたが、途中で止めた。考えただけぐったりするのが 目に見えている。 このままソファで寝落ちてしまいたい気分だったが、徹夜続きの頭は働きもしないのに妙に冴えていた。 視線を動かし、壁に掛けられていた時計を見る。夜の十時。 携帯電話を取り出して、電話を掛けた。起き上がる元気は残念ながらなく、ソファに寝転んだままだ。 しばらくコール音が続いた後、相手が出た。 とりあえず、繋がったことに胸を撫で下ろした。 『…もしもし』 女性にしては低い、けれど聞いて決して嫌ではない声が耳に響く。 応えてきた声は躊躇いが感じ取れて、ここ数日の不安が再び頭を掠めた。 その一方で、声を聴けたことに素直に喜んでいる現金な自分もいた。 「ソラン、お疲れ。今家か?話しても平気か?」 胸に呼び起される不安や喜びを隠し、出来るだけ平静を装って話した。 変に自分の感情を表に出すと、彼女は警戒してしまうような気がした。 電話の向こうでは、ソランが再び躊躇った後、「大丈夫だ」と言ってくれた。 彼女の躊躇いが、何によるものなのかニールにはわからなかった。 ただ、あまり言い方はよくないが、彼女はそれほど"他人"に気を遣うということをしない。 彼女にとって気を許せる、マリナはもちろん、クリスティナ、フェルトなどはその限りではないだろうが。 ソランは、相手が近しければ近しいだけ、その分どこか気を遣いすぎる節があるようなのだ。 だから、ソランが自分で"大丈夫だ"と言うのなら、大丈夫、なのだろう、と思う。 ニールには、それ以上の判断は出来なかった。 「今日こっち来れなかったな。仕事…忙しいか?」 『…あぁ、すまない、雇ってもらってる身分で』 「そういうつもりじゃないよ。元々体調良くなるまでとかいう話だったしな。 それに、今日ヤマ越えたんだよ、仕事。俺もやっと家帰った」 言葉にして改めて、体から力が抜ける。 今回はさすがにひどかったと、ニールはつくづく実感した。 『忙しい時に行かないですまない…』 「だから、そういう意味じゃないんだって。ごめんな、俺の方こそ。 もしさ、そっちの仕事の合間見つけられたら、またこっち来いよ。クリスティナもフェルトも、 お前さんに会いたがってる」 『…仕事でもないのに行っては迷惑だろう』 ソランの言葉は、大抵一呼吸置いてから発せられていた。 まるで、言葉を選びながら話しているような、そんな風にも取れた。 「そんなことねぇって。俺も、みんなもソランのこと気にしてる」 電話越しにソランが閉口してしまったような気がしたが、ニールは構わずに言葉を続けた。 「最近、メシちゃんと食ってるか?あと、寝れてるか? 仕事張り切りたい気持ちわかるけど、あんまり、がんばりすぎるなよ。 マリナさんも、心配してたぞ。最近あんまり病院行ってないんだろ?この間お見舞い行った時、聞いた。 がんばりすぎると、マリナさん悲しむぞ」 一つ言い始めると、気持ちに拍車がかかり、それまで溜め込んだものをずいぶん話してしまった。 それでも、出来る限り説教染みた言い回しにならないよう気を付けたが、なにせ徹夜を幾度も続けたこの頭だ。 どこまで感情を抑えられたかわからない。 また「アンタには関係ない」とか「余計なお世話だ」とかいう文句が帰ってくるのだろうな、と思い ニールは少し身構えた。 しかし、ソランからの返答は予想外のものだった。 『…アンタが、行ってやってくれ。そうしたら、たぶん義姉さんもさみしくない』 一瞬、ソランが何を言っているのかわからなかった。 返事があまりに想定外だった。 「は?いや…俺が行ったって仕方ないだろ。お前さんが行かなきゃ意味ねぇって」 ずっとソファに横になりながら電話をしていたが、彼女の突拍子もない発言に体を起こした。 やはり、何かおかしい。 口調こそ穏やかだが、どこか、一線を引いたような会話をずっとしている。 「なぁソラン、何かあったのか?この間から、なんか変だと思ってたんだ」 そう、ニールが問い詰めるように言うと、ソランは息を呑むように押し黙った。 説教染みないように、など考えていたが、そんなことを言っている場合ではないような気がした。 今までニールが接してきた中で、彼女がそんな発言をしたことなどなかった。 ソランは何も言わなかった。 しかし、ニールの問いかけに言葉を詰まらせているのは確かなようだった。 「俺に話しづらかったら、クリスでもフェルトでもいいんだ。 もう、一人で抱え込むような真似、しないでくれ。 みんな心配する。マリナさんも、クリスも、フェルトも。…俺も。 だから、頼むよ、ソラン」 そう言うと、電話越しに小さく、本当に小さく呟きがあった。 "もう、やめてくれ" ニールには、そう聞こえたような気がした。 「…え?ちょ、ソラン…?」 もう一度聞き直そうと思った。だが、その前にソランが口を開いた。 『しばらくこっちの仕事が忙しくて、おそらくそちらには行けない。スメラギ・李・ノリエガには 申し訳ないと伝えてほしい。 義姉さんの見舞いには明日行く。だから心配しなくてもいい。 …それと、しばらくの間、連絡はしないでくれ。予定が詰まっていて出る暇がない』 今までの躊躇いが嘘のようにソランは話した。 ニールに口を挟む隙を与えないような話しぶりだった。実際、息を吐く暇さえもらえない。 困惑を隠せないニールは、それでも一度ソランの言葉が途切れたのを見逃さず、口を開こうとした。 けれど、遅かった。 『すまない、疲れているんだ。それじゃあ』 「おい、ソラン…っ」 こちらの言葉も待たずに、ブツリと電話が切られた。 ニールの耳に届いたのは、無機質な電子音の繰り返しだった。 完全な、拒絶だった。 何が彼女をそうさせるのかわからなかった。 自分は何かしてしまっただろうか。 何もかもわからなかった。 ソランが絞り出すように言った「もうやめてくれ」という、その言葉が、いつまでもニールの頭を 駆け巡った。 眠りたくても、妙に冴えた徹夜続きの頭が、それを許してくれなかった。 次の日、ニールはマリナの病院へ向かった。 見舞いに行く、と言っていたから、ソランに会えるかもしれない、と思ったが、淡い期待は簡単に 崩れ去る。 マリナは残念そうに「午前中に来て、帰ってしまったんです」と言って笑った。 そちらのお友達と遊ぶ約束があるって言って、少し話して行ってしまいました、とマリナは話してくれたが、 クリスティナ達からそんな話は聞いていない。 仕事現場に向かったのだろう。 一体本当に、どうしてしまったのだろう、ソランは。 また誰にも言えないことを、独り抱え込んでいるのだろうか。 「あの…ディランディさん…」 マリナに呼び掛けられ、は、と我に返る。 顔を上げると、マリナはどこか表情を曇らせていた。 「最近、ソラン何かありましたか…? 近頃あまり病院に来なくなって…今日も、久しぶりに顔を見せてくれたんですけどすぐに帰ってしまって…。 ただ単純に仕事が忙しいなら心配ないんですが…何だか様子がおかしい気がして…」 マリナもやはり、ソランの異変に気付いたらしい。 ニールですらどこか変だと感じていたのだ。長い付き合いである彼女が義妹の様子がおかしいことを 察しないはずがない。 マリナがソランから何も聞かされてないということは、やはり"仕事"がきっかけである可能性は高い。 だが以前のような、マリナに心配をかけまいと何も言わなかった状況とは異なるような気がしてならない。 今のソランは何もかもを自身から遠ざけようとしているように見える。最も信頼を置いているはずの、マリナでさえも。 理由はわからない。何が彼女をそこまで追い詰めているのかわからない。 けれど、このままではいけない、とニールは思う。 きっとこのまま放っておけば、ソランとマリナの気持ちは遠ざかって行くばかりだ。 そんな結果にはさせたくない。 せっかく、たった二人の家族なのだ。 自分たちのように、遠く離れた存在にはなってほしくないと願った。 マリナは沈んだような表情で、ソランの身を案じていた。 いや、本当に、顔色が悪いようにも見えた。 「あの…それよりマリナさん、大丈夫、ですか?」 ニールがそう言うと、マリナは弱々しく笑った。 気のせいではないようだった。あまり具合が良くないらしい。 ソランは義姉の体調の変化に気付かなかったのだろうか。 いや、血は繋がってないわりに似た者同士のこの姉妹のことだ。ソランがそうだったように、マリナもまた 妹に対して体調の悪さを悟られないように振る舞っていたのかもしれない。 マリナの呼吸は徐々にヒューヒューと風が吹くような音を立てるようになっていた。汗の量も妙に多い。 嫌な予感がした。 いつだったかの、マリナの言葉が頭を過ぎった。 『あまり、良くないと先生から言われました。』 「あの、看護婦さん、呼んで来ますね」 そう言って、椅子から立ち上がりマリナに背を向けた瞬間、短く呻くような声が後ろから上がる。 ニールが振り返ると、ベッドに沈み込み、荒々しい呼吸をするマリナが、そこにいた。 「マリナさん…っ!!」 『もう一度発作を起こせば、危ない、と―――』 ただ、願った。 自分たちのように、遠く離れてしまう存在にならないようにと。 ただ、そう願うばかりだった。 12.01.21 ――――――――― あと三話くらい? 病気の症状云々には目を瞑ってくれるとうれしいです…。苦笑。 |