Beautiful World−14−
最初の予定ではニールが仕事の内容を教えるはずだったが、どうやら彼は仕上げなければならない 仕事が山のように待っているようで、紫の髪の、ひどく顔の整った青年にものすごい剣幕で迫られ その役を降りることになった。 紫色の髪をした青年はティエリア・アーデと言った。 黙っていればどこかのタレント事務所にでもスカウトされそうだが、ソランにはニールに迫ったあの 鬼のような形相が忘れられそうになかった。 一通り、社員を紹介してもらった。 ニールと同じく基本的な設計を担っているアレルヤ・ハプティズム。 建物の倒壊を防ぐ為に構造面からの設計を主に行っているというラッセ・アイオン。 先ほどニールに口を抑えられていたのが経理担当だというリヒテンダール・ツェーリ。彼は紹介されて いる間もずっと口を抑えられたままで、声を聞く機会が失われてしまった。 主に事務仕事を任されているクリスティナ・シエラ。 現場に行っていて今ここにはいないが、電気や空調などの設備の設計を行っているイアン・ヴァスティ。 鬼のような形相をしていたティエリアも、ニールやアレルヤと同じ立場だと言う。 噛み砕いて説明をしてもらったので、建築の知識のないソランも大まかにだが理解出来た。 だがスメラギ・李・ノリエガ曰く、人手が足りないので役職などあってないものだと言う。 一通り説明された後にそれをさらっと言われてしまったので、ソランはそんなものなのかと納得するしかなかった。 仕事内容は事務仕事を主に行っているクリスティナが教えてくれることになった。 事務所の案内から始まり、コピーの指定のされ方からコピー機の使い方まで、事細かに教えてくれたので ソランはすぐに理解出来た。 彼女も忙しいだろうに、申し訳ないと少なからず思った。 「ここが給湯室。お茶淹れとかするところね。みんなそれぞれマグカップとか、好みのコーヒーの濃さとか あるから、出来れば覚えて欲しいな」 そう言ってクリスティナは戸棚に置かれた一人ひとりのマグカップやコーヒーの淹れ方を説明し始めた。 ソランは黙ってそれを聞いた。時々、「大丈夫?」と確認してくれるクリスティナに、こくりと頷いた。 「ねぇ、気分悪くしたらごめんね」 教えられたことを頭の中で復習していたソランに、クリスティナがどこか遠慮がちに声を掛ける。 ソランは一度考えていることを止めてクリスティナの方を向いた。 「貴方ってもしかして、アダルトビデオとかに出てたりする?」 ソランは小さく目を見開いた。 スメラギ・李・ノリエガやニールは自分の素性を詳しく話したりはしていない。 なのに、顔を見ただけ言い当てられた。 驚きは隠せない。 だが、ソランはただ首を縦に振った。スメラギの時と同じだ。隠す理由はどこにもないのだ。 「やっぱりそうなんだ。なんかリヒティがいっつも騒いでる子に似てるなって思って。 あ、リヒティってさっきロックオンに口抑えられてたヤツね。 あぁなるほど、だからさっきあんなにロックオン必死だったんだ」 クリスティナはどうやら自分の中で納得したようだった。 ソランもいくつか理解出来る点があった。 この会社に来る前に、ニールが自分のことを知っている人間が何人かいる、と言っていた。 そのうちの一人があのリヒテンダールという男だったのだろう。 そこまで納得したソランだったが、ふいに、別の感情が胸に湧いた。 それによって少し胸がずしりと重くなった気がする。 言葉にするべきか否か、少し迷って、ソランは口を開いた。 「…気分が悪くなったり、しないか」 「え、あたし?何で?」 躊躇いも相まって少し小さく発せられた言葉をクリスティナはしっかり拾って、きょとんと目を丸めていた。 何で、と問われからには答えなければならないのだが、それを口にするのも、少しだけ間が要った。 「…こんな人間と、働くことが」 期限は定められなかったが、しばらくの間この事務所で働かせてもらうのは確実だ。 スメラギ・李・ノリエガは自分のことをああやって受け入れてくれたが、社員はどうだかわからない。 自分の仕事に対して、奇異の感情を抱く人間が多いのは事実であり、しかも、同性であるなら余計にそうだろう。 ソランは普段本業であるAVの仕事の関係者以外の人間と、ほとんどと言っていいほど接点がない。 元々人付き合いが苦手なのがあり、中退した高校でも、一人で過ごすことがほとんどだった。 義姉くらいのものだ、ソランが何も気に病むことなく接することが出来る人間は。 周りからどう思われているかなんてほとんど気にかけたこともなかったし、気にする理由もなかった。 人と関わるということは、多少なりとそういうものに突き当たるということなのだと思った。 あの男に関わってから、ソランの世界は目まぐるしく動いた。 付いていくのがやっとで、今になってようやく、その目まぐるしさに少し気後れしているのだということに気付いた。 「別に気になんてしてないよ?」 クリティナの口からでた、どこか柔らかで、しかしはっきりとした言葉に、ソランは俯き気味だった顔を上げた。 クリスティナは、ソランから目を逸らすことなく言葉を続けた。 「あたしはそういうのあんなり偏見ないから。んー、たぶんね、ここにいるみんなそう。 だからもし貴方が自分の仕事で気にしてるようだった、それは全然、心配しなくていいからね」 そう言って、クリスティナは人懐こそうな笑みを浮かべた。 それが、ソランの気持ちを絆していったような気がした。 「貴方、こう言っちゃ悪いのかもしれないけど、そういう仕事自分からやらなさそうだから、何かあるんでしょ? 結構、そういう人多いって聞くから」 「…義姉の、入院費と治療費の為だ」 あ、やっぱり。と、クリスティナは納得したように言った。 母の借金のことは、何となく伏せた。 あまりたくさんの事情を話して、気に病ませるのも嫌だと思った。 「だったら余計に心配なんてしなくていいよ。大丈夫大丈夫。 むしろすごいよ、AV女優。あたしには出来ないもん、いくら姉妹のためとは言え」 ”すごい”なんて言われたのは初めてだったので、ソランは目を丸くするしかなかった。 大抵は、母のような冷たいあしらいが多かったから、逆にどう反応すればいいかわからない。 だがクリスティナはそんなソランに構わず続けた。 「大変でしょ、人に見られる仕事だもん。色々と気、遣うでしょ。 あ、でも肌キレイ!お手入れとか、何してるの?ていうかこれスッピン?下地とか何も塗ってないの?」 ペタペタと、クリスティナはソランの頬に触れる。 間近でどんどんと発せられる言葉の押収に、ソランは口を閉ざすしかなかった。 何から返せばいいかわからない。こんな風に、仕事以外でたくさん話しかけられたのは初めてだった。 戸惑いももちろんあったが、不思議と嫌な気分はしなかった。 むしろ何の隔たりもなく接してくれることが、少し、嬉しかった。 「ね、刹那って呼んでもいい?あたしリヒティのせいでそっちの方の名前が頭に残っちゃって」 驚きもあったが、クリスティナの提案は別段嫌ではなかった。 構わない、と言うと、彼女は嬉しそうに笑った。 「ありがと。ここでのあだ名みたいなものだと思ってくれればいいよ。ロックオンもそうだし」 そう言うクリスティナの言葉に、ソランはようやく一つ納得した。 あの男がここの人間に"ロックオン"と呼ばれていたのは、この職場での呼び名だったらしい。 胸につかえていた物がなくなって、少しすっきりした。 「刹那は今何歳?」 「18だ」 「そっか。じゃあフェルトと歳近いんだ」 また知らない名前が出て来て、ソランは小首を傾げた。紹介してもらった社員の中に、その名前はいなかったはずだ。 ソランの考えを読んだように、クリスティナが笑う。 「フェルトはね、あたしと一緒に住んでる子。今16歳なの。よく事務所にも来るから、今度紹介するね。 なんとなく刹那と雰囲気似てるから、きっと仲良くなれると思うんだ」 歳の近い人間なんて、現場の他に接する機会はほとんどなかった。 しかもクリスティナは仲良くなれそうだと言う。 大した根拠もないのだけれど、クリスティナがそう言うから、そんな気もした。 昼食は、屋上にある小さな庭のベンチでクリスティナと取った。 建築デザインの事務所ということだけあって、とても整備された、綺麗な庭だった。 クリスティナはこの庭がお気に入りだと言った。 ソランの昼食は、朝ニールに手渡された弁当だった。 普段あまり積極的に料理をしないソランでも、その栄養バランスのよさはぱっと見ただけで十分にわかった。 あの男だって仕事で忙しいだろうに。 ソランはその一つ一つを、丁寧に口に運んで食べた。 食事中は途絶えることなくクリスティナが話しかけて来た。 ニールとどこで知り合ったのか、と聞かれたので、「道端だ」と答えたら、「何それ」と声を上げて笑っていた。 正直に答えたつもりだったが、冷静に考えれば確かにおかしい話だ。 クリスティナは、ソランがぽつりぽつりとしか返さなくても、嫌な顔一つせず、ゆっくり話を聞いてくれた。 話すことは苦手だったが、それでも十分に楽だった。 食事を終えて一休みをしている時に、ニールが現れた。 どうやら彼も昼休憩らしい。ソランと同じような包みを手にしている。 心なしか、朝会ったときよりもやつれて見える。笑顔を見せていたが、仕事の忙しさを無言で物語っていた。 「クリス、ミス・スメラギ呼んでたぜ。発注した物品届いたからチェックしてほしいってよ」 「あ、うんわかった。刹那は、もう少し休んでていいからね」 クリスがそう言ってベンチから立ち上がる。 ソランはこくり、と頷いただけだったが、クリスティナの言葉にぎょっとした顔を見せたのはニールだった。 「クリスお前、その名前…っ」 「本人からちゃーんと許可取ってます。ね、刹那」 茶目っ気たっぷりに、クリスティナがそう言う。ソランはそれを肯定するように頷いた。 クリスティナは得意気な顔をニールに向け、また後でね、と言って屋上を後にした。 「嫌だったら、言っていいんだぞ?」 呼び名に対して、ニールは眉尻を下げてそう言う。どこか申し訳なさそうに見える。 ソランは、それを否定するようにふるふると首を振った。 「俺がいいと言った。気にしなくていい」 「でもなぁ…」 「俺の名前であることに変わりはない。それに、呼ばれないと、忘れてしまいそうになる」 生きていくのに、必要な、大事な名前だった。 "刹那・F・セイエイ"でなければ、義姉の為に金を得ることが出来ない。 そういう意味で、ソランにとってはここで"刹那"と呼ばれることに抵抗がなかった。 ニールはそんなソランの気持ちを汲み取ったのか、その表情をふ、と柔らかくした。 「そっか、わかった。でも嫌だと思ったら、遠慮なく言えよ」 くしゃりとソランの髪を撫でてそう言う。 こくり、と小さく頷いた。 ニールはソランの隣に腰を下ろして、弁当の包みを開けた。 ソランは、彼が昼食を取るのに付き合って、ゆったりと午後の日差しを身体に受けた。 クリスティナの隣も楽だったが、ニールが隣に座ると、するりと肩の力が抜けた気がした。 10.11.07 ――――――――― これだけ書くのにどれだけ時間を費やしたのか…。万死…っ。 |