※0.1%の性描写あり。念のため。 やくそくだよ この蕾が咲いてそして枯れても、ぼくはきみの傍にいたい−8− 刹那が腕を引かれ連れて来られたのは、ライルに宛がわれた自室だった。 一瞬だけ入ることを躊躇ったが、ライルがそれを許してはくれなかった。 部屋に入ると同時に掴まれていた腕から手が離れる。 ライルは慣れたようにベッドに向かって腰を下ろしたが、刹那はドアの前で立ち尽くしたままだった。 今なら戻ることだって可能だろう。 けれど、足はどちらにも動いてはくれなかった。 ドアの前で立ったままの刹那を見かねて、ライルが手招きをする。 優しい顔だった。 兄のそれとも違う、彼独特の。 それに引かれていくように、刹那はゆっくりと歩を進めた。 壁は、まだかろうじて残っていた。 ぽんぽん、とライルは自身のすぐ隣を叩いた。 ほんの少しの反抗心と自制心で、あえてそこよりも離れた場所に腰を下ろした。 ライルは、そのことに苦笑いした。 刹那は視線を床に向けていた。 ライルの顔を視界に入れまいとしていた。 許してはいけない。 ライルを受け入れることも、ライルに想いを馳せようとする自身も。 するりと、刹那の頬に何か触れた。 ライルの手だと気付くまでに少しかかって、気付いても反応しようとはしなかった。 やさしい手つきだった。 心地良いと思ってしまうほど。 「すきだ」 静かにライルが言う。 余りに唐突で、けれど自然なものだから、刹那は肩を揺らすことすら出来なかった。 「すきだよ、せつな」 「止めろ」 ライルが刹那の頬を撫でる指が、ぴたりと止まった。 「もう、止めろ。俺にはそんなこと言われる資格などない」 聞いていたくなかった。 聞けばおそらく受け入れる。それが、嫌だった。 「資格って、何だよ?なぁ、刹那。俺は、刹那を好きでいることすら、許されないのか?」 「違う。…そうじゃ、ない」 あぁ、ダメだ。 声があまりに優しすぎて、もう押し黙ることすら出来ない。 ルイス・ハレヴィが死んだ時と同じだった。 ゆっくりと、吐露を促す。 「こんなの、ひどい侮辱だ」 「…それは、兄さんに対しての?」 ライルの言葉は自然だった。 刹那が兄であるニール・ディランディを今でも想っているのを知っている。 だから自分の想いを受け止めることは、兄に対してあまりに軽率だと考えた。 だが刹那は、ふるふると首を横に振った。 「俺は、ニール・ディランディが忘れられない。忘れることなんか、出来やしない」 今でも鮮明なのだ。 ロックオンが、ニール・ディランディが抱きしめてくれた温もりも、与えられた幸福感も、あの陽だまりのような笑顔も、彼に対する、自身の想いすら。 決して色褪せてなどいない。 「なのに、お前にだって、惹かれている。 アイツが…アイツのことを忘れられないくせに、お前に惹かれている。 そんなの、アイツに対しても、お前に対しても、ひどい、侮辱だ」 刹那は自分をどうにも許すことが出来なかった。 未だ鮮明にニール・ディランディへの想いを抱いていながら、別人であると理解している弟のライル・ディランディに想いを馳せる。 それは、自分を想ってくれたニールに対しても、自分を想ってくれているライルに対しても、あまりにひどい行為だと思った。 だからせめて、ライルを近づけないように。 彼が、惨めな思いをしないように。 自分が、ニール・ディランディだけを想っていられるように。 ただそれだけを誓って、頑なにライルを拒み続けた。 この戦いが終わったとき、彼が彼だけの幸せを、見つけ出せるように。 自分に想いを寄せたばかりに永遠に未来を失った、兄の二の舞になど、ならないように。 ぎゅ、と刹那は自身の唇を噛んだ。 本当ならば言うつもりなどなかったのだ。 けれど言ってしまったのは、自分の心があまりにも弱いせいなのだろう。 「そんなこと、思ってたのか」 しばらく沈黙を保ったままだったライルが、ようやく口を開いた。 刹那は未だに視線を床に落としたままだった。 「せつな、こっち向いて」 耳元で、ライルが言う。 その優しい声に耐え切れずに、ゆっくりと刹那は視線を上げた。 透き通った空色の瞳が、あまりに綺麗だった。 兄とはまた違った鮮やかさだった。 「ありがとう」 そのライルからの言葉に、刹那は目を見開いた。 軽蔑こそすれ、礼を言われるなど、思ってもみなかった。 「兄さんのことならまだしも、俺のことまで考えてくれたことが、すごくな、嬉しいんだ。 もし、刹那が兄さんのこと忘れて俺のこと好きになってくれても、俺はたぶん、刹那のこと好きにならなかった。 兄さんのことずっと想ってくれてる刹那だから、好きになったんだ」 ライルがそう言うと、刹那は視線をまた落とし、そして、ライルの胸元に腕を伸ばした。 「馬鹿だ…っお前は…!」 伸ばした腕の先で、ライルの服を握り締めた。 ライルはそんな刹那の手を解いて、自分の腕の中に刹那を抱き寄せた。 「うん、馬鹿だな。でも、馬鹿でいいよ。 馬鹿でもなんでも、刹那が好きで、本当に、大切なんだ」 「俺は、お前達の家族を死なせた組織にいた…っ」 「知ってるよ。そんなの、とっくに知ってる。 それでも俺は、刹那がすきだよ」 するりと腕を解き、刹那の身体を少し離す。 くせのある前髪をかき分けて、愛おしそうに、その額に口付けた。 「なぁ刹那。もし刹那が自分のことも、俺のことも許してくれるなら、一回だけ、俺のこと受け入れてくれるか…?」 刹那は何も答えなかった。 代わりに、白いその額に口付けた。 泣き方など当に忘れたはずだった。 最後に泣いたのはそう、確か、彼が目の前で散ったときだ。 「痛い、か?ごめん、」 そう謝るライルに刹那は首を横に振った。 「違う。怖いんだ…。 …あまりに、満たされすぎて。こんなこともう、二度とないと、そう、思っていたから」 幸せに満たされて泣くなど、自分には二度と訪れないことだと思っていた。 だからこんなこと一瞬で、そのうちまた、失ってしまうんではないかと。 ライルは、そんな刹那に優しく笑った。 「なぁ、刹那。俺の名前、呼んでくれるか?」 「…っライ、ル」 「もっと」 「ライル、ライル。…っライル…!」 「そうだよ。お前のこと今抱いてるのは、俺だ。 だから今だけは俺のこと想って、それで、幸せだって、泣いてくれよ」 ライルの言葉に、刹那はまた涙を流した。 果てたのは、二人同時だった。 「なぁ刹那」 ベッドに横になったまま、ライルは刹那の髪を梳いて言った。 刹那は答えずに、視線だけをライルに向けた。 髪に触れられる優しい手つきを、怖いと思うことはもうなかった。 「この戦いが全部終わったらさ、俺の故郷に行こう。 それで家買って、二人で住んで。 子どもが産まれたら、そいつに、『ニール』って名前付けて、二人で思いっきり、可愛がろう。 俺は兄さんの分まで、刹那の傍にずっと、いるよ」 刹那は一瞬だけ目を見開いて、それからまた、一つ涙を流した。 「ありがとう…」 消え入りそうな声でそう言う刹那に、優しくライルが笑った。 守られる約束だと、信じていた。 09.03.14 |