立って、前を見て
この蕾が咲いてそして枯れても、ぼくはきみの傍にいたい−10−
居住エリアの一室のドアの前で、スメラギが立ち尽くしていた。
もうどのくらいそうしていたかわからない。
何度も何度も部屋の主に声を掛けている。
けれど、物音一つしない。
意を決して再びドアをノックしようとしたが、その手をフェルトに掴まれた。
フェルトは、ただ黙って、首を横に振った。
その痛々しい表情に、スメラギは手を下げずにはいられなかった。

刹那は、ライルが息を引き取ってから部屋に篭り続けていた。


戦闘はここ数十時間なかった。
その数十時間の間に、大きく世界が動いた。

独立治安維持部隊アロウズの解体。

反旗を翻した正規軍の者達がそれまでの非道な行為を世間に知らしめることに成功し、戦闘によって弱体化したアロウズの軍勢は、その身を引かざるを得なくなった。
プトレマイオスの目的の一つは達成された。

だが刹那はおそらくその事実すら知らないだろう。
彼女は、完全に自身のその世界を閉じてしまっていた。
刹那は、自身の部屋のベッドの上にうつ伏せ、ぴくりとも動かなかった。
まだ完全に目的に達したわけではない。
こんな風に自分の世界に閉じこもっている場合ではない。
頭ではそれが理解されていても、刹那の身体は、そこから一向に動こうとはしなかった。
ライルの、未来を見据える姿勢が好きだった。

過去に囚われない、前を向いた生き様。
ニールのそれとは違う、彼の生き方。
羨ましくもあったのかもしれない。
過去に囚われ続ける自分とは違ったから。
だから、惹かれたのかもしれない。

ニールは、自分と同じで過去にしがみ付いて生きていたから惹かれた。
ライルは、自分と違って未来を見て生きていたから惹かれた。



けれど二人とも、もういないのだ。

ひどい喪失感だった。
胸に穴が開いたような感覚。
世界はまだ動いているのに。
やるべきことはまだあるのに。

もう、いいと思っている自分がいる。

このまま何も動かずにいれば、きっと全てを終わりにすることが出来るだろう。
目を瞑って、何も考えずに、何もせずに。
そうすればきっと、また会うことが出来る。


あいたいと、思った。

二人に会いたかった。
会って、笑ってほしかった。


『せつな』



ふいに、自分を呼ぶ声が頭をよぎる。

刹那はベッドに沈めていた身体をゆっくりと起こし、そして、部屋を後にした。
刹那が訪れたのは、格納庫だった。
ここにはデュナメスもケルディムもある。
二人を感じられる場所を、他に思い付かなかった。

ここに来るまでは誰とも会わなかったが、刹那の中では、そんなことはどうでもよかった。


ケルディムの前に立ち、視線を上げる。
傷付き、ぼろぼろになった機体。
痛々しかった。
血で染まったモスグリーンのパイロットスーツが、頭をよぎった。

とん、と床を蹴り、少し離れたところまで移動する。
デュナメスの前に立った。
機体の整備がされ、最後にパイロットが乗っていたときよりずっと綺麗になっている。
もしもの時用にラグランジュ5から持ってこられたが、おそらく戦闘に出ることはないだろう。


『いきて』

ライルの言葉を思い出す。
生きて、どうすればいい。
何を糧に生きればいい。

大切なものを失ったことが課せられた咎だと言うのなら、もう自分は何もすることがないということか。
たん、と刹那の背後で床に足を付けた音がした。
沙慈だった。
気付いているであろうはずなのに振り向こうともしない刹那を見て、険しい顔をしていた。
ぐっと刹那の肩を掴み、無理矢理に自分の方へ向けさせる。

次の瞬間、格納庫に乾いた音が響いた。

刹那の頬は赤く腫れたが、本人は、痛みを感じる様子も、叩かれたことに対する憤りの様子も見られなかった。
逆に、沙慈の方が肩を上下に震わせ、息を荒げていた。

「なんでだよ…どうしてだ。どうしてやめるんだよ!君が…君達が始めたことだろ!?武力介入も、戦いも、何もかも!
なのに…なんでやめようとするんだよ!?自分の手で始めたなら、自分の手で終わらせろよ!」
あぁ、彼の言うとおりだ。
自分達が始めた行い。自分達が広げた争い。
責任を持って、終わらせなければいけない。

どんなにか厳しい現実があったとしても、そこにきちんと幕を下ろさなければいけない。


「大切な人が望んだ世界を創るんだろ!?どんなことがあっても、それでもやるんだろ!?

だったら…だったらちゃんと生きようとしろよ!」
望んだ世界。

あぁそうだ。彼らは何を望んでいただろうか。
今のこんな世界じゃない。
今のこんな自分じゃない。

誰もが笑っていられる世界を誰よりも望み、散っていった彼。
最期の最期まで自分の幸せを願い、息を引き取った彼。


『せつな』

やさしい声が頭をよぎる。

おそらくあの二人のことだ。
今のこんな自分が会いに行ったとしても、追い返すに決まっている。
それならば、正々堂々会いに行けるようにしてやる。

全てを、この手で終わらせてやる。



刹那はゆっくりと視線を上げ、まっすぐに沙慈を見た。

強い瞳だった。
迷いは、何一つ見られない。

「ありがとう、沙慈」
(立ち上がれ、もう一度だけ)
09.03.28


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