君にとっての、あの人
泣かない人
ライル・ディランディは不思議に思うことがあった。


ソレスタルビーイングの艦に乗って早二週間。
未だに自分を通して兄に思いを馳せる眼は消えない。
この艦に乗っているほぼ全員が、ニールがいないことを悲しんで、自分がいることに少なからず肩を落としている。
みんな、”ロックオン”を思って、思い出して、悲しい顔をする。

ただ、この艦でただ一人、その片鱗すら見せない人間がいた。
それが、刹那・F・セイエイだった。

ライルは彼の存在が不思議だった。


彼だけは最初から自分に兄を通さなかった。
自分を見て兄を思い出すような仕草が微塵も見られなかった。
アレルヤと名乗ってくれた同じマイスターに二人のことを聞けば、兄はよく刹那のことを構い、刹那も次第にそれを
受け入れるようになったと教えてくれた。
仲間としてとても信頼し合っていたと思う、とも彼は話してくれた。

だから余計にライルは不思議だった。

仲間として信頼し合った仲ならば、彼も他の人間と同じように少しくらい悲しい顔をしてもいいものなのに。
彼の表情が基本的に乏しいことは、短い期間の中でも十分に理解が出来た。
それでも、だ。
それでも少しくらいは、自分を介して兄を思い出すくらい、してもいいような気がしてならなかった。

別に、そうしてほしい、というわけではなかった。
頭では艦の人間の感情を理解できても、それを易々と受け入れられるほどライルは人間が出来ていなかった。
だから刹那の、ライルに対する態度は彼にとって小さな救いだった。
彼と一緒にいる時、ライルは兄の影を背負う必要がない。
それは慣れない環境に飛び込んだばかりのライルにとって、楽でいられる以外の何物でもなかった。

ただ、ライルが刹那を不思議に思うのは、やはり止まらなかった。
「アンタは、兄さんを想って泣いたりしないわけ?」

ライルがそう言うと、ほとんど動くことのない刹那の表情が驚きを表していた。

「…意味がわからないが」
「そのまんまだよ。アンタは、俺を見て兄さんを思い出して泣いたりしないのかってこと」

付け足して説明すると、刹那はいつもの無表情になった。


「そもそも」

しばらく沈黙が流れた後、刹那が短くそう言った。

「お前を見てアイツを思い出す、ということがよくわからない」
「…え、いやいや、同じ顔だろ」
「違う人間だ」
「いやまぁ…そうだけど、さ…」

歯切れの悪い返事をするしか、ライルにはなかった。
刹那の言っていることは正しい。
正しいが、あまりに回答が予想外だった。

「仮に」

刹那が再び短く言う。

「お前の言う通りお前を見てアイツを思い出したとしても、俺は、泣かない」

その言い方があまりにきっぱりと、そして迷いないもので、ライルはしばらく言葉を発することを忘れた。

「……いや、うん。俺の言い方が悪かった…?」
「何故疑問形なんだ」
「なんか、アンタの答え聞いてると、自分が正しいのかどうかよくわかんなくなってくる…」

これはコミュニケーションを取るのが少しばかり難しそうだ。
今でこれだから、最初の頃はもっとひどかったのだろう。
そう考えると兄の苦労が伺える。

「いや泣くっつーのはなんてーの?例え話で。悲しんだりしないのかってことでさ…」
「同じだ」

刹那がまた、短くはっきりと、そう言った。

「悲しんだりもしない。生きていてくれればと、思ったりもしない」
「…なんで?」

それだけを何とか、ライルは言った。
それだけでも刹那には伝わったようだった。

「思い出しても悲しんでも、アイツが戻って来るわけじゃない」

それは事実であり、誰もが眼を逸らしたいと願う現実だ。
けれど誰もが理解している真実だ。
そんなことしても兄が戻って来るわけじゃない。
それでも、そんなことわかってても、過去に思いを馳せ、大切な人を想い出して悲しむんじゃないだろうか。
それが人と言うものじゃないのだろうか。

「…アンタにとって、兄さんを思い出すことは無駄?」
「違う。そうじゃない。ただ、俺がわざわざ思い出す必要はない。アイツを想って悲しんでいる人間はここにたくさんいる」
「…じゃあアンタは、何をするんだ?」

ライルには一つ見えたものがあった。
それは、刹那の赤褐色の瞳が、眼の前でなく、もっともっと先を見ていることだ。

「戦う」

その言葉は重かった。

「これは、アイツの望んだ世界じゃない。だから、俺はそれを創るために戦う」

彼が見ていたのは過去でもなくて眼の前でもなくて。
そのずっと先の、兄の望んだ世界だ。
志半ばで散った兄の想いを、兄そのものを、彼は背負っているのだ。

刹那は立ち尽くすライルの横を通り過ぎて去って行った。
刹那の去ったその空間は、少しだけ緊張感が解かれたような空気になった。


彼が自分を介して兄を思い出さない理由がわかった気がした。
彼にとってニール・ディランディという人間は何にも揺るがない存在なのだ。
だから仮に同じ造りのライルが眼の前にいたとしてもそれは彼にとっては違う存在に他ならない。


「難儀な奴だこと…」

小さなため息と共に出たその言葉を拾う人間は、誰もいない。

ライル・ディランディは刹那・F・セイエイという人間を少しだけ理解することが出来た。
それは、この艦で彼が誰よりも誰よりも強く、兄を想って生きているということだった。
10.01.06 日記掲載


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刹那はたぶん兄さんを想って泣いたりしないんだろうな、という考えから生まれた話。
女体化にするかどうかぎりぎりまで迷って、結局このまま。
でも泣かない女、というのも個人的には好き。笑。