ニール:高校三年
刹那:高校一年
まるではまらないジグソーパズルのピースみたいだ
不完全な子どもたち
空はどこまでも青かった。
雲はぷかぷかと風に漂っている。気ままなものだ。

屋上の塔屋の上に仰向けになり、ニール・ディランディはぼぅっと空を眺めていた。

なんとも心地良すぎる秋晴れだ。
こういう日は授業をサボるに限る。生真面目に出る方が損というものだろう。
昨日付けたばかりの手首の傷も、今は痛みを感じなかった。


太陽がもたらす陽気に、うとうととまどろみを覚えたニールだったが、塔屋の扉が開いた音によってその目を覚ました。
だがそれで別に何かしらのアクションを起こすわけでもない。
視線は相変わらず青い空に向いたままだ。
自分と同じように爽やかな陽気に誘われた人間がいたとして、例えその人物が塔屋の梯子階段を上って来るのが
わかったとしても、自分には何も関係ない。
それが誰であろうが、ニールには大きな問題ではないのだ。

塔屋の梯子の上ったその人物が顔を出し、先客がいることを知ると、再び梯子を下ろうとした。
ニールはそれを止めた。

「あー、いいっていいって。気にすんなよ。俺は気にしないからさ」

ひらひらと手を振る。
ニールのその言葉に、一度は顔を引っ込めたその人物は、少し考え込んでから、今度は梯子を上り切った。
ニールは塔屋の上に上がって来た人間の顔を確認した。
褐色の肌に、癖のある黒い髪。そして、印象的な赤褐色の眼。
見覚えがあった。

「サボりか?刹那・F・セイエイ」

ニールとは少し離れた距離に腰を下ろしたその人物、刹那・F・セイエイは、名前を呼ばれニールの方に顔を向けた。
何故知っている、というそういう目に、ニールは小さく笑った。

「知ってるぜー。だって有名人じゃん。我が校きっての問題児、ってね」

そう、歯を出してに、と笑った。
刹那はそれが気に入らなかったのか、ニールから顔を逸らした。

授業をよく抜け出し、学校生活に馴染みを覚えないニールでも、彼のことは知っていた。
何せ入学当日に担任に拳を上げたのだ。
噂にならないはずがない。
ただ、詳しい理由はニールも知らない。
担任の態度に腹が立っただとか、ただ単に力を見せ付けたかっただけだとか、色々と話は耳に入って来たが、
別に、知っても知らなくても困らないことだ。
その後にも刹那の話は時折耳にした。
同じクラスの生徒に手を上げただとか、授業中に機材を故意に壊しただとか、でも散々問題起こしても、成績はいいだとか。
色々と情報が耳に入って来るものだから、知ろうと思わなくても知ってしまっていたのだ。

「…そういうアンタも、人のことは言えないだろう、ニール・ディランディ」
「お、俺のこと知ってんの?へー、さすがだな俺」

空に向いたまま、ニールはからからと笑った。
自分の知名度が高いことはなんとなく知っている。
理由は隣に座る問題児と一緒だ。
色々と厄介な生徒ではあるけれど成績優秀で容姿もそれなり。
けれど他人の評価なんて、ニールにとってはどうでもいいことだった。

「クラスの女がよく話しているのを聞いている。あと何度か生徒指導室ですれ違った」
「あ、そういやそうだなぁ」

ニールも刹那も、生徒指導室の常連だった。
最初の頃は根気強かったニールに対する説教も、今は形式的なものだけになっている。
そのうち彼もそうなるだろう。

固まった身体をほぐす様に、ニールは身体を伸ばした。
身体を大の字にし、太陽の光を一身に受ける。

少し離れた位置に座る刹那の視線が、ある一点に向かっていることに気付いた。
ニールは、それに小さく笑った。

「あぁコレ?自分でやったんだよ。やるとスカっとするからさ」

そう言って、刹那に左手首をひらひらと見せる。
手首に、何本もの薄い切り傷があった。

別に見られて困るとか恥ずかしいとか言うことはない。
だから聞かれれば素直に答えた。
聞いた人間の方が大抵は複雑な顔をするから、可笑しいものだ。

「お前さんも人のこと言えねぇんじゃねぇの、ソレ」

ニールは自分の右の口端に指を置いて、そう言った。
刹那の同じところに、殴られたような跡があった。

「別に大したことはない」
「担任?」
「あぁ」
「ふーん…」

会話はそこで終わった。
そこから新たな会話が生まれることはなかった。
授業の終わりを告げるチャイムが鳴ると、刹那は屋上を去って行った。

ただ、その短い時間の中で、ニールは小さな共感をあの少年に覚えた。
ニール・ディランディは世の中の全てに興味がなかった。
彼にとって「社会」とは色を失くし横たわるだけのものだった。
家族がこの世からいなくなったその瞬間に、彼にとって「現実」も「将来」も意味がなくなった。
色恋沙汰に目を輝かせる女子生徒も、将来に夢を馳せる男子生徒も、社会をよくしようと努力する大人たちも、
ニールにとっては得られるものが何もない存在にしかすぎなかった。

だから、刹那に小さくも共感を覚えたことは、ニール自身驚きだった。

あれ以来、刹那とはちょくちょく顔を合わせるようになった。
大抵授業をサボっている時だった。
他愛もない話をぽつりぽつりとして、時々一緒に昼食を取って。
別にこれと言って劇的な変化があるわけでもない。
けれども刹那・F・セイエイという少年は、確かにニールの中に存在した。



「アンタは何故自分を傷付ける?」
「あぁ、コレ?」

そう言って、いつだったかと同じように左手首をひらひらとさせる。

「別に、意味なんてねぇよ。むしゃくしゃして、どうでもよくなってやってみたら、案外気持ちが良かった。ただそれだけ」
「…死にたいのか」
「…さぁ」

死にたいか、と聞かれて、はっきりとイエスとは言えなかった。
実際わからないのだ、ニール自身にも。
この世界に自分の馴染める場所がないことはもう知ってる。
だから何にも興味が沸かないのだ。
死のう、と自ら進んで思わないのは、実はこの世に未練があるからか、それとも家族が来るのを拒んでいるからか。
ニール自身にも、わからなかった。

リストカットを覚えたのは、叔父夫婦に引き取られて二年ほどした頃だった。
その頃はまだ「将来」への希望がうっすらと残っていて、努力もそれなりにしていた。

けれどある日唐突に理解した。
この世界は、どこまでも軽薄で嘘吐きなものだと。
会社の為だと言って自分の利益を優先させるオトナ。
国民の為だと努力するフリをして建前ばかりひけらかす政治家。
そして、優しい人間の仮面を被って自分を嘲る叔父夫婦。

痛みという快感を得たのと同時に、ニールは「社会」への色を完全に失くした。
「ニール君、ちょっと来なさい」

夜遅くに叔父夫婦の家に帰宅したニールが耳にしたのは低く怒気を含んだ叔父の声だった。
面倒だった。
けれど、無視して部屋に篭っても同じことだから、素直に従った。

「今日担任の先生から連絡があった。最近授業態度がよくないそうだ。よくサボっているそうだな。
君のお父さん達が君のそんな姿を見たらどんな顔をすると思う?」

あぁ五月蝿い。
そうやって、悪いことは悪いと厳しくも律し、優しい人間のフリをする。
叔父の理性は時に賞賛に値する。

「別に、いいでしょう?」
「何?」
「試験は問題なく通ってます。授業も単位が取れる最低ラインは出てます。それで、
何の文句があるっていうんですか?」
「形式的な問題じゃない。学校はただ試験を通過するためだけにあるんじゃない」
「わかりませんね。貴方たちに恥をかかせるわけじゃないでしょう?だったら偽善者ぶった
説教はやめて下さい」

そのニールの言葉で、叔父の中の何かが切れたようだった。

「…っ君は、なんとも思わないのか!今までの四年間、私たちが世話をしてきたことに対して!」
「色々と思うことはありますよ。感謝もしてます。ただ、貴方に対して尊敬の念は抱きません。
そんな風に化けの皮を被ったオトナにはなりたくないですよ」

次の瞬間には、叔父の拳がニールの右頬を直撃した。
キッチンで二人のやり取りを見ていた叔母が短く悲鳴を上げていた。

ただ、叔父に殴られた痛みは、刃物を当てた時ほどの快感はもたらしてはくれなかった。
空はどこまでも青かった。
今日も心地良すぎるほどの秋晴れが広がっていた。
ニールは屋上の塔屋で仰向けになり、秋空を照らす太陽の光を浴びていた。
少し離れた位置で、刹那が座っていた。
刹那はニールの右頬の傷に気付いてるようだったが、触れはしなかった。
ニールにとってありがたくもあった。


ニールにはわからなかった。
将来に夢を馳せる男子学生。色恋沙汰に目を輝かせる女子学生。社会をよくしようと努力する大人。
誰もがこの世界の軽薄さにどこか気付いているはずなのに、どうしてそこまで色鮮やかに生きることが出来るのか。
どうして泣いて笑って、一生懸命に生きようとするのか。

刹那に共感出来る理由を知っている。
彼も、自分と同じだからだ。
彼もこの世界に馴染みを覚えない。
馴染める場所がないことを知っている。

それはまるで、はまらないジグソーパズルのピースのように。

「…なぁ、俺達って何で上手く社会に順応できないんだろうな」

もっと上手く回ればいいのに。
軽薄さを知っていても嘘吐きでも、夢に思いを馳せる男子学生のように。素敵な出会いを求める女子学生のように。
もっと、世界に馴染めばいいのに。


「…さぁ。…子どもらしくないからじゃないか」

刹那のその言葉に、ニールはしばらく考え込んで、

「あぁ、なるほどね」

そう言って、納得したように笑った。
空は、やっぱりどこまでも青かった。
09.10.29 日記掲載

title by=テオ


――――――――
テンションに任せた変な話ですみません。(…