情けないくらいに、君がだいすきです!
だから言ったのに
空気が重苦しかった。
もう何年も住み慣れた我が家の、ダイニングのはずなのに、だ。
いや、実際そう感じているのはニール自身だけかもしれなかった。
すぐ向かいに座っている幼馴染兼後輩兼、絶賛片想い中の彼女は、黙々と宿題に取り組んでいるのだから。
心からライルを恨んだ。
わかってる。やり場のない感情による、八つ当たりというやつだ。

あぁ、胸が重たい。
ニールの胸の重たさの始まりは、学校にいる時にまで遡る。
昼休み、昼食を食べ終え教室に戻ろうとした時だ。
クラスメイトの女子が、大きなダンボールを持って廊下を歩いていた。
いかにも歩きにくそうだ。
小柄な彼女には、いささか無理のある大きさだ。
ニールは見兼ねて、彼女の持つダンボールに手を伸ばした。

「俺持つよ。どこまで運べばいいんだ?」
「え、いいよ、昼休み終わっちゃうよ?」
「俺が持った方が断然早いだろ。どこ?」
「助かる…!教務室なの」

ああいうのを、見て見ぬフリは出来ない性分だった。
ふと、双子の弟が以前言っていた「あまり他の子に優しくすると勘違いされる」という言葉がふっと頭に
蘇ったが、未だにニール自身その意味が理解出来ていなかった。
自分が他人に優しくすることと、幼馴染の彼女とが、どうにも結びつかなかったのだ。


教務室が近くなるまでは他愛もない話が続いた。
時々笑い声を上げたりして。

ニールのそれがぴたりと止まったのは、教務室前の廊下で、彼女を視界に入れたときだった。

彼女もこちらに気付いていた。
真っ直ぐな赤褐色の眼が、ニールを捉えている。
心臓がうるさかった。
どんな顔をすればいいかわからなかった。
どういう風に声をかけたらいいのかわからなかった。

だから、顔を逸らして、挨拶も何もしないで、通り過ぎてしまった。

通り過ぎて、後ろの方で刹那が何か言ったような気がしたけれど、今更振り向く勇気はニールにはなかった。
「どうしたの?」とクラスメイトの女子が尋ねてきて、それでようやく顔を上げた。
「なんでもねぇよ」と、無理矢理笑ってごまかした。

心の中で、自分の情けなさにさめざめと泣いた。


それからずっと、ニールの胸は重たいままだった。
その重さに拍車をかけたのが、夕方、家に帰ってからだった。

「あ、ニール。今晩父さんも母さんも出かけるからね」

帰宅早々に母が言った。
「あぁそう」と適当に返事をした。
ニールの頭の中は、今そんなことを入れられるだけの容量が残されていなかった。
だが、次の言葉で真っ白になった。

「セイエイさんとご飯食べに行くの。刹那ちゃんこっちに来るから」

…は?

「は!?」

思わず勢い良く母の方を向いた。
母はニールの思いもよらない反応に少し驚いたようだった。

「だって、一人じゃ寂しいでしょ。だったらウチに来てご飯食べればって言ったら、じゃあそうさせて
もらおうかしらってなったのよ」

なったのよ、じゃない!!

「聞いてない!!」
「当たり前でしょ。今言ったんだから。あ、エイミーは友達の家に泊まりに行くって言ってたから」
「…っ」

母のすっぱりとした物言いに、ニールは何も返す言葉が見つからなかった。
あんまりだ。あんなことのあった後に、そんなのは。
これは新手の躾なのだろうか。
どんな逆境にも耐え抜けという、母からのメッセージなのだろうか。
いやだが、刹那と一緒にいれる。
その事実は、少なからずもニールに嬉々とした感情ももたらしていた。
一緒にいれる。でも、一緒にいなければならない。
ひどい矛盾を、ニールは頭の中でぐるぐるぐるぐると巡らせていた。

そんなことを悶々と考えていると、玄関のドアが開いた音がした。
「ただいまぁ」と少し間延びしたような声は、ライルのものだった。

そうだ、ライルだっている。
何も二人きりになれって言ってるんじゃあない。
だったら、少しはマシだ。

母がライルにニールと同じように今晩のことを話していた。
ニールは、まるで救いを求めるかのような視線を双子の弟に注いだ。
それに、間違いなく彼も気付いていた。
なのに。

「あ、俺今日デートだから。アニューと仲直りデート。ってことで兄さん、あとヨロシク」

この人でなし…!!

昨日また浮気現場見られたって言ってたのはどこのどいつだよ!と、心の中で叫んだ。
言葉にする元気はもはやニールには残っていなかった。
そういう過程を踏んで、絶賛片想い中の彼女、刹那が夕食を終えて片付けも済ませて、今は宿題に黙々と
取り組んでいるわけだが。
刹那が家に来てから交わした言葉は、せいぜい、二、三程度。
口がからからに渇いて、思うように言葉を発してくれなかった。
ニールはどこまでも自分の情けなさに泣いた。
広げた数学Vのテキストは、さっきから一問も解いてなかった。

考えるふりをして、刹那のことを、ちらりと盗み見た。
下を向いているせいで伏せ目がちになっていて、それが心臓を高鳴らせた。
睫毛長いな、とか。
相変わらず癖毛だな、とか。
色々なことを考える。

やっぱり、どうしようもなく好きだ。


そんな視線に刹那が気付き、顔を上げる。
どきり、と心臓が音を立てた。
慌てて視線を数学Vのテキストに戻したが、遅かっただろう。
ばっちり、視線が噛みあってしまったから。
自分の咄嗟の行動に、やっぱりニールは泣いた。

その思考を断ち切るように、刹那が、口を開いた。

「…帰る」

心の中で流れた涙はその言葉でぴたりと止まった。
顔を上げれば、彼女は教科書をしまい、本当に帰り支度をしようとしている。
これにはニールは焦った。

「か、帰るって、なんで…。危ないだろ、一人で家にいたりしたら…」
「別に、平気だ。もう子どもじゃない」

自分の考えが、全部伝わってしまったのではないかと、ニールはそう思った。
刹那を好きだという感情。
その全てが見抜かれて、それで、愛想を尽かしてしまったのではないかと。
一番、ニールが恐れていたことだ。

いや、けれども。
けれどもそんな場合じゃない。

「なぁ、ほんとに危ないから。もしなんかあったらどうすんだよ。ここにいろよ。な?」

もし一人のときに強盗に入られでもしたら。それこそ取り返しがつかない。
刹那がいなくなるのは、絶対にいやだ。

「だって、お前は嫌だろう?」
「…え?」

「ニールは、俺と一緒にはいたくないだろう?」

刹那の思いもよらない言葉に、ニールは驚いた。
一緒にいたくない?刹那と?
そんなこと、と一蹴したかったが、心当たりが一瞬でもあった。
そのせいで、ニールは言葉を発するタイミングを失った。

「誰にでも優しいお前が、俺に同じようにしないのは、俺のことが嫌いだから、だろう?」

刹那のその言葉で、ようやく、ニールは理解した。
ライルの言った、「勘違いされる」という意味を。
あぁ、馬鹿だ。どうしようもないくらい、馬鹿だ。
本当に、情けなくて涙が出てくる。

刹那は何も言わないニールの態度に、それを肯定だと受け取ったのか、踵を返して玄関へと向かった。


本当に、どこまでも情けない人間だ、自分は。
臆病になりすぎて、近付かないでいて、そうして仕舞いには勘違いされる始末。
救いようのない馬鹿だ。


でも、情けないまま、終わりにしたくなかった。



玄関に向かって駆けて、靴を履いている彼女を、後ろから勢いのままに抱きしめた。

「…ニー、ル?」
「…っだ!」
「は?」

「好き、だ!俺、刹那が好きだ!大好きだ!」

彼女の細い肩に顔を埋めて、とにかく口を開いた。
全部、ぶつけた。

「嫌な思いさせて、悪かった!俺…刹那の『幼馴染のお兄ちゃん』でいられなくて、それで、刹那に
嫌われるの怖くて、だから、昔みたいに出来なくて!
…っ好き、で!刹那がほんと、どうしようもないくらい、好きなんだ!」

告白するときまで情けなかった。
本当に、どうしようもないくらいに、情けなかった。

「…ニール、放してくれ」

刹那から放たれたその言葉に、ニールの胸はつきりと痛んだ。
敬遠されてしまっただろうか。

そう思っていたニールだったが、次の瞬間には、今度は刹那がニールの身体に腕を回していて、本日
何度目かわからないが頭が真っ白になった。

「せ、せせせ、せ、つな…?」
「そういうことは、もっと早くに言え」
「ごっごめん…っ」
「全くだ」

玄関の段差によって、刹那の頭はちょうどニールの腹の辺りにあった。
彼女の癖毛が腹に触れて、少しくすぐったかった。

「もう一度、言え」
「へ?」
「さっき言ったこと。もう一度、言え」

刹那の言っている意味を理解し、ニールは一呼吸置いて、息を整えてから口を開いた。

「好きだ。刹那が、大好きだ」

少し間を置いて、刹那がニールから離れた。
刹那からの言葉を待ったが、発せられたのはニールの期待したものではなかった。

「帰る」
「は?」

彼女はそう言って、履きかけていた靴を再び履き直した。
ニールは、ただ呆然とその様子を見るだけだった。

「あ、の…刹那、さん…?」

恐る恐る、ニールが口を開く。
刹那は、くるりとニールの方を向き直った。

「今まで散々待たされ焦らされ続けたんだ。少しくらい、お前もそういう側の気持ちを思い知れ」

そう言って、バタンと、玄関のドアを閉めてしまった。
一人ぽつんと取り残されたニールは、ただ彼女が閉めていったドアを見つめるだけしか出来なかった。
(二人が並んで歩くのは、もう少し、ほんの少し、先の話)
09.10.09 日記掲載


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続きが読みたい、とうさぎ王国の遠藤さんが言ってくださったので、書いてみました。
どこまでもニールヘタレ!救いようのないくらいヘタレ!
ライルとエイミーの行動は兄に対する思いやりです。笑。
遠藤さんリクありがとうございました!