ソレをどう思うかは、人それぞれなのです そこに意味があってもなくても カランカラン、と、来客を報せるドアに付けられたベルの音が鳴る。 「いらっしゃ、…あぁ、」 反射的に客を出迎える言葉を発したが、それも途中で終わる。 何故なら、店に入って来たのが馴染みの人間だったからだ。 「『あぁ』って、刹那お前ね。それが客に対する態度かよ」 呆れたようにため息を吐きながら、ライル・ディランディは店の制服に身を包んだ刹那と向かいになるカウンター席に腰を下ろした。 「客は客でもお前なら別に問題ないだろう」 「せっかく来てやったのに何だよその言い草。もう来てやんねーぞ」 「そう言って、また三日後くらいには来るんだろう。もう何度目だ」 「……」 ライルはそれ以上言葉を紡がなくなった。 図星だったからだ。 たぶん間違いなく、三日後くらいには、またここに来るのだろう。 そのくらい、ライルは刹那がバイトをする、この小さいけれど趣のあるレストランに魅入られているのだ。 「いつものでいいか」 「あぁ、ヨロシク」 ライルの前に水の入ったコップを置き、刹那はコックでありこの店のオーナーであるセルゲイにオーダーを伝えた。 店内はとても静かだった。ゆったりとしたクラシックが流れている。 客はライルと、あともう一組、老夫婦が慎ましやかに食事を取っているだけだ。 平日の、しかも閉店に近い時刻だから、当然と言えば当然かもしれない。 「お前まだ夏休み?」 「あぁ、今月末までだ」 「いーよなぁ、学生は。二か月ものんびり休めてよ」 ライルはそう愚痴をこぼす。 刹那は、黙々とグラスを拭いていた。 その姿を見て、ライルは考えを改めた。 「…っつっても、お前はほとんどココだったか?」 「ココ」、と言って、店を指す。 「まぁな」 刹那は、淡々とそれを肯定した。 ライルは「ご苦労なこった」と返した。 「えらいもんだよ、お前は。今学費完全に自分で払ってんのか?」 「さすがにそこまでは行かない。少しくらい出してもらっている」 刹那はやはり淡々とそう答える。 話だけ聞くなら相当の苦労が伺える。 だが彼の言い回しや振る舞いを見聞きしていると、それが微塵も感じられない。 その姿に、少なからず感心はする。 親がいる身であれば普通学費など親から出してもらうというのに。 「親御さん元気か?」 「元気みたいだな。この間手紙が送られてきた」 「そーかい。今どこだっけ?アメリカ?イタリア?」 「イギリスだ」 「あ、イギリス、ね」 会話を交わしている間に、注文した品が出来上がったようだ。 運ばれたビーフシチューオムライスを見て、ライルはそれだけで満足げに笑みを浮かべた。 「いつもありがとうございます」 そう言ったのは、オーナーのセルゲイだ。 ライルは「こちらこそ」と返した。 このビーフシチューオムライスが食べたいがために、ライルは平均して三日に一度はこの店を訪れていた。 初めて口にしたときの感動は今でも忘れられない。 セルゲイは刹那と一言二言交わした後、店の奥に消えた。 ライルはオムライスから意識を少しばかり外し、ただその様子を見ていた。 ライルが、刹那が大学に通うための学費を自身で稼いでいると知ったのは、彼が大学を入学して少し経ってからだ。 初めそのことを聞いた時は正気かとも思った。 本人曰く「海外赴任でただでさえ金がかかるんだ。自分で出来ることはする」とのことだが、まぁ、彼らしいと言えば彼らしい。 彼の両親が仕事の都合で海外にいることは知っていた。 既に大学入学の決まっていた刹那を、何かあったらよろしく頼む、と彼の両親から直接、姉と共にお願いされていたからだ。 刹那の両親には、家族が亡くなってから世話になったという恩だってあった。 引き受けるのは当然と言えば当然だ。 元々家が隣通しだったこともあって関わりも深かったが、ニールとライルが社会人として働き始めてからは、昔ほどの付き合いはなくなってしまった。 だから、そうやってお互いに繋がりを得たのはひどく久しいことだった。 今にして思えば、刹那の両親の海外赴任が、姉と刹那の関係のきっかけであったと言っても過言ではないのだろう。 「今年も帰って来ないのか?おじさんとおばさん」 「いや、来週帰って来るらしい。手紙に書いてあった」 「じゃあ、久々に家族団らん、だな」 オムライスをスプーンですくいながら、ライルはそう言う。 別に他意なんてなかった。 素直に思ったことを、口にしただけだった。 「…悪いな」 だから、刹那からその言葉が出て来たとき、小さな憤りが生まれた。 それを言った刹那に対しても、未だにそういうことを言って皮肉っぽく聞こえてしまう自分に対してもだ。 ライルはスプーンを置いて、ため息を一つ吐いた。 「馬鹿、ふざけんなよ。何謝ってんだよ。別に深い意味なんてねーよ。ただ、普通のこと言っただけだろうが」 「…そうだな」 「わかってない。いいか、お前の両親が生きてることも、俺らの家族が死んだことも、別にお前が謝る必要なんて微塵もねぇんだよ。 むしろそれで謝る方が腹立つ。そんなに可哀想かよ、俺も、姉さんも」 「そうは言ってない」 「だったらやめろよ。お前に両親がいることは別に特別でもなんでもない。それが『普通』で、『あるべき形』なんだよ。 それに対してお前が謝らなきゃいけない理由も、負い目感じる必要も、何もねぇんだよ。わかったかこのガキ!」 だからコイツは嫌いなんだ。 口には出さずに、ライルは胸の内で愚痴をこぼした。 彼が謝罪をしなければならない理由は何もない。 両親と妹が死んだ事故に、刹那はこれっぽっちも関与していないからだ。 彼が言いたいことはわかる。 家族のいる刹那と、家族がいなくなったニールとライル。 その違いに、関与していなくても申し訳ない気分に、少なからずはなるだろう。 けれどそれでは他の人間と一緒だ。 家族がいない、小さい頃に死んだ、と言えば、誰もが同情の眼で自分たちを見る。 そんなのはもうたくさんだ。 可哀想、だと思われたくて、今の今まで生きてきたんじゃない。 刹那は普段自分たちを「そういう目」で見ない。 対等に、何も隔たりなく接する。 それは両親と妹が死んだときから少しも変わっていない。 だからこそ自分だってニールとの付き合いを認めているのだ。 それなのに、時折そうやって謝られるから、ひどく腹立たしくなる。 まるで自分達の生き方を否定されたような気分にすらなってしまう。 「…そうだな、すまなかった。気を付ける」 「わかればいいんだよ。わかれば」 刹那は小さく笑って言った。 彼がこういう顔を見せるときは、納得している証拠だ。 ライルは再びオムライスに口を付け始めた。 少し味が変わってしまったことを、心の中で小さく嘆いた。 「…姉さんに、絶対言うなよ、そういうこと。お前がそういうこと言ったら、姉さんが負い目感じるんだよ」 「わかっている。言わない」 「お前は『普通』でいいんだよ。それが、姉さんにとっても俺にとっても一番いいんだ」 「あぁ、ありがとう」 彼が嘘を吐かないことも、それが下手なことも知っている。 ライルはそれからただ黙々とオムライスを食べ続けた。 いつの間にか店内に流れるクラシックは変わっていた。ゆったりした曲調であることに変化はなかった。 老夫婦は、ライルがオムライスを食べている間に店を出たようだ。 コトリ、とライルの前にコーヒーカップが置かれる。 中身はいつものブラックではなかった。 匂いでわかる。 通い続けているライルも滅多に飲まない、この店で一番いい豆だ。 頼んでもいないそれを出されたその意図を察して、ライルは再び顔をしかめた。 「…お前、人の話聞いてないだろ」 「聞いていた」 「じゃあコレなんだよ。ちっともわかってねぇだろ。こういうのをやめろって言ってんだよ」 「それがどうかしたか?」 白々しく言葉を発する刹那に対して、ライルはますます顔をしかめた。 だが刹那は構わず続けた。 「俺がそのコーヒーを出したのと、今までの話はまるで無関係だ。誰がいつそうだと言った? それを出したのは、ただの俺の気まぐれで、そこに意味なんてない。 だから、お前が何かに言う必要も、ない」 ライルはしばらく返す言葉を見出せずにいた。 なんつーガキだ。 「あぁそうかい、なら飲んでやるよ。いいか飲むぞ。意味なんてねぇなら飲むからな。後悔しても知らねぇぞ」 「あぁ、好きにしろ」 滅多に口に出来ないずいぶん高級なそれを、ライルは味わう様子もなく一気に飲み干した。 喉を通るコーヒーの苦味は嫌なものではなかった。 「どうだ?」 「…不味いって言えないのが悔しいくらい美味い」 「そうか。ならよかった」 刹那はまた小さく笑った。 姉はコイツのこういう優しさに惹かれているのだろう、とひどく実感する。 そしてそれが、ひどく、悔しい。 完全に認めたつもりはない。 けれど仕方ない。 姉は、コイツに全身全霊で、惚れてしまっているのだから。 09.10.01 日記掲載 ――――――― 刹那とライルでした。 刹那は大人。ライルは大人時々子ども。笑。 |