後悔した。
プリンに手を伸ばすべきじゃなかった。
アイロニック・ダーリン
少しだけ日の傾きが早くなった夕刻。
刹那は一人コンビニに訪れていた。
夕食作りに取り掛かろうとした時点で、醤油が切れていることに気付いた。
スーパーまで行くのが億劫で、自宅から歩いてほんの1分程度のところにあるコンビニで済まそうと思った。
事のついでに、何か目ぼしいものがあったら買おうかも考えて。

ぼんやりとチルド食品のコーナーに足を運んだ。
ふと、目に付いたのが新商品と銘打たれたプリン。
自分は甘いものなんてほとんど食べない。
浮かんだのは、恋人の顔だ。
「コンビニスイーツは意外に上手いんだ」なんて、顔を綻ばせていたのを思い出した。

それで、手を伸ばした。
別の、同じくプリンを目指してたのであろう白い手と鉢合った。
思わず視線を動かして、それで、気持ちが一気に滅入った。

そこにいたのは、先日宣戦布告した恋人の上司だった。


しばらく沈黙が続いた。
その「しばらく」が経過して、また二人同時にプリンに手を伸ばした。
一つのプリンに、二つの手が付いていた。

「手を、離したらどうかね」
「アンタこそ、離せ」
「生憎私が先に目を付けた代物でね」
「嘘を吐くな。俺が先だ」

お互い譲らなかった。
「コイツにだけは」という対抗意識が芽生え、いい歳した男二人がプリンを奪い合おうとしていた。
否、プリンは既にオマケだった。
お互い、相手に「取られる」ということを、譲りたくはなかった。負けたくなかった。


またしばらく膠着状態が続き、今度は二人同時に手を離した。
これ以上同じことを続けても無駄だということを理解した。

男二人が並んでスイーツコーナーに立つ様は、傍から見れば異常であった。
もちろん、当人達はそんなこと気にはしていない。


「…おつかいかね」
「買い物だ」

「おつかい」という子どもに使う表現が気に入らず、刹那は棘のある返事をした。
グラハムは肩を竦める。

「最近、君の恋人にことごとく避けられていてね。困っているよ」
「自業自得だ」
「…まぁ、そうかもしれないな」

グラハムは諦めたように笑う。
刹那は、一つこの男に確かめなければいけないことを思い出した。

「一つ、聞いていなかった」
「何だね?」
「…何故、あんなことをした?」

ニールに自分という恋人がいることがわかっていた上で、この男はあのような行動に出たのだ。
仕事上今後も付き合っていかなければいけないのであれば、それはハイリスクに他ならない。
この男が、どういう男か詳しくは刹那は知らない。
だが、頭はいいのだろう、ということはなんとなく想像が付いた。
だからこそ、その無計画とも言える行動に刹那は疑問を持たずにいられなかった。

「君は、おかしなことを言うね」
「…は?」
「君にはないのかい?愛しい相手が、どうしようもなく欲しくなる、そんな男の欲望が」

何の躊躇いもなく、寧ろ得意げにグラハムがそう言う。

「…アンタと俺じゃ立場が違う」
「そうだね。だが、私には止められなかったのだよ。彼女に対する、私の中にいる愛と言う名の獣を」
「……」
「いいかね、少年。愛とは常に自分勝手で自己中心的なものだ。それは人の本来の姿であり、またあるべき姿なのだよ。
本来ならば私は理性を働かせなければいけなかっただろう。だが、それは出来なかった。
何故だと思う!?それは、彼女が愛しすぎたからだ!
車内で街灯に照らされる彼女の横顔は美しすぎた。シートベルトを外す彼女の手付きは女神のようだった」
「………」
「私は勝てなかった!私の理性は、いとも簡単に本能の前に敗れ去ったのだよ!」


刹那は悟った。

あぁ、この男は、馬鹿なのだ、と。


プリンはもうどうでもよかった。
とにかく、この男の前から早く立ち去りたかった。

そう思い、踵を返した。
だが、刹那の歩は進むことを許されなかった。

「まぁ、待ちたまえ少年」

がっちりと掴まれた肩を解放させる手立てを、刹那は持ち合わせていなかった。
グラハムのペースに乗せられるがままに刹那が連れて行かれたのは、ファミレスだった。
「好きなものを頼みたまえ」と、メニューを突き出された。
正直、帰りたかった。
ファミレスで夕食をご馳走になどならなくてよかった。
帰りたかった。寧ろ、ニールに会いたいと思った。
そのくらい、今の刹那は気が滅入っていた。

「先ほどはすまなかったね。つい熱くなってしまった」
「…」

返事をする余力も、刹那には残されていない。


「先ほどの話の続きをしよう」

グラハムが声色を変えた。
刹那は、思わず顔を上げた。

「君にも少なからずあるだろう。彼女を自分のものにしたい。彼女と一つになりたい。彼女を閉じ込めたい。
そういう衝動に、駆られる瞬間があるだろう?」
「…だから、何だ。それでアンタの行動が正当化されるのか」
「そうだとは言ってないさ。ただ、わかるだろう?君も男なら、その衝動が。私は一瞬でもその衝動に勝つことが出来なかった。
だから彼女にキスをした。
君が聞きたかったことは、そういうことだよ。何も特別なことじゃない。男だったら、誰しもが持つ本能だ」
「……」

真っ直ぐに瞳を捕らえるこの男を、やはり刹那は無視せずにいられなかった。
ただの馬鹿ではない。本当に、面倒な類の男だ。

がたりと、刹那は椅子から立ち上がった。
これ以上同じ空気を吸っていたくなかった。

「おや、帰るのかい。残念だ、もう少し君とは話がしたかったのに」
「…一つ、言っておく」
「何だい?」
「アンタと俺の決定的な違いは、アイツに好かれているかどうかだ。それを、忘れるな」

そう言って、もう一瞥もせずに刹那は店を後にした。


夕食は、作る気にもなれなかった。
ただ、ニールに会いたいと思った。
そしてそれを、悔しいとも思った。

グラハムの言っていることは、ある意味間違いではない。
あるのだ。刹那にも、本能に従いたくなる瞬間が。
あって、それをあの男のそれと同じだと思ったことが、どうしようもなく刹那に苛立ちをもたらせた。
その苛立ちは、今まさにニールに会いたいという衝動を突き動かしている。
それが、たまらなく悔しい。

けれどきっとこの苛立ちを鎮める方法も、彼女しか持ち合わせていない。


彼女の白い肌に、早く埋まりたいと思った。
09.07.12 日記掲載

title by=テオ


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前半の暴走グラハムさんが楽しすぎた。笑。