消し去って、何もかも メーデー!メーデー!−2− やり切れない思いのまま、ニールは仕事に臨んだ。 寝不足で思うように動かない身体を無理矢理発起させた。 数回、刹那からの連絡があったけれど、罪悪感とか色んな思考がごちゃごちゃになって、出る気になれなかった。 連絡をしないことに後ろめたさもあったけれど、どう会話したらよいかわからなかった。 誰かに相談しようか迷ったけれど、口にするのも、他の誰かに知られるのも嫌だった。 上司の顔は、一日中まともに見ることが出来なかった。 時刻が終業時間を指そうとしていた。 時間が進むのがやけに遅く感じた一日が終わろうとしていて、少なからず安堵した。 少しだけ残った仕事を片付けて、そそくさとデスクを離れた。 自分に注がれていた上司の視線は、無視した。 階下に下がるエレベーターの中で、ニールはぼんやり考えた。 これから、どうするべきか。 否が応でも、刹那と会う日は来る。その時までに考えをまとめなければいけない。 隠し事は嫌いだった。 だから、おそらく言うのだろう、と漠然とした考えはあった。 どうやって伝えるかは、全く考えていない。 けれど、仮に伝えて、もしそれで敬遠されてしまったら。 考えただけで、身体が小さく震える。 嫌だ嫌だ。嫌われたくない、軽蔑されたくない。 刹那のあの眼が冷たく自分を見るのが、たまらなく怖い。 エレベーターが着いたことを知らせる音で、ようやく現実に引き戻される。 少しおぼつかない足取りで歩を進める。 とにかく、刹那に会ったときに何を言うかを考えておこうと思った。 そこまでしか頭が働いてくれなかった。 だから、会社を出たところで見慣れた黒髪を見つけたとき、頭が真っ白になった。 どうする。どんな顔すればいい。どうやって言えばいい。 今、どんな顔してる? どくりどくりと、やけに心臓がうるさかった。 刹那に会うのにこんなに背筋が寒くなるのは初めてだ。 「とりあえず、元気そうだな」 その場で固まったニールの元へ歩いてきた刹那が、そう言う。 一瞬、何のことかわからなかった。 「連絡しても何も返って来ないから、風邪でもこじらせたのかと思った。 マンションに行ってもいなかったから、無理して仕事してるんじゃないかと思った」 その、ひどく温かな優しさが今はただ痛かった。 違うんだ、ごめん。 そんな、いい理由じゃあないんだ。 刹那の真っ直ぐな眼が、怖くて見れなかった。 マンションに帰っても同じだった。 まともに刹那の顔が見れなくて、たどたどしい返事しか出来ない。 笑えてるか怪しかった。 「ニール」 玄関のドアを閉めた所で、名前を呼ばれる。 「…っやめ…!」 頬に手が触れられようとしているのがわかって、反射的にその手をはじいてしまった。 乾いた音が、響いた。 後悔したときにはもう遅かった。 空気が凍りついたのがわかった。 けれど、嫌だった。 刹那に触れられることがじゃ、ない。 他の男に触れられた自分に刹那が触れることが、嫌だった。 小さなため息と共に、ぐい、と無理矢理に顔を向けさせられた。 ぞくりと、昨日の光景が蘇った。 刹那の真っ直ぐな眼が、怖かった。 「いや、だ…っせつ、な…っ」 振り払い、隠れるようにうずくまった。 「ニール」 その声は、ひどく優しかった。 いつもの、安らげる刹那の、刹那だけの声。 それで、ニールの背筋を襲うぞくぞくとした感覚が一瞬でなくなった。 「何が、あった」 「…っ」 「俺はそんなに頼りないか」 ぶんぶんと、首を横に振る。 「俺に言えないことか」 その言葉に、びくりとニールの肩が揺れる。 言わなければいけない。 言わなければ、ずっと後ろめたいままだ。 けれど、口が思うように動いてくれなかった。 身体に腕を回され、またニールの肩が揺れた。 けれど、優しい抱擁に、心がほだされる感覚がした。 「ニール」 「…っ」 促すように、耳元で名前を呼ばれる。刹那の声は、心地よかった。 口が、ようやくそれで開いた。 「…っキス、された…っ」 一瞬だけ、刹那の身体が強張ったのが抱きすくめられる腕から伝わった。 「誰に」 「…っ上、司」 一度口から出た言葉は、涙と一緒に止まることを知らなかった。 「メシ、一緒に食って、送って、もらって、それで…。 …っ気持ち、悪かった!刹那じゃないヤツに、あんなこと、されて…っ。 何回もうがいして何回も拭ったけど、でも、全然消えない…!」 刹那だけがよかった。 優しい時間を共有するのも、この身体に触れるのも。 全部、刹那だけがよかった。 「…っごめ、刹那…ごめ…んっ」 最後まで言うことは出来なかった。 刹那が、ニールの唇を塞いだ。 その感触に、昨日のような嫌悪感は微塵も沸かなかった。 「消してやる」 「…っせ、つ」 「全部、俺が消してやる」 無我夢中だった。 お互いが、お互いの唇を奪い合った。 そこが玄関であることも、どうでもよかった。 ただ熱を分け合うのに必死だった。 溶けてしまえばいいと思った。 溶けて一つになったら、もう離れることなんかないのにと、思った。 翌日の夕方に、刹那は再びニールの会社の前にいた。 視界に、目的の人物が映ったのを確認する。 相手は刹那がそこにいることに目を丸めていた。 「…君の大切な彼女なら、もう帰ったよ」 「知っている。アンタに用があった」 「私に?」 「言っておきたいことがある」 刹那が、グラハムの視線をしっかり捕らえて離さなかった。 「アイツに手を出すな。俺のものだ」 刹那の言葉に、グラハムが肩を竦める。 「彼女には嫌な思いをさせた。だが残念ながら反省も後悔もしてはいないよ」 「自分勝手だと思わないのか」 「思うさ。だが恋愛なんてそんなものだろう?君だって彼女を自分のものだと発言している。立派な自分勝手さ」 「アンタと一緒にするな」 強く強く、睨みつけてやった。 この男が、ニールをそういう目で見ているのは、飲み会の時にすぐにわかった。 しかも、本気で。 ニールを連れて帰る時に見たこの男の目を、忘れたわけじゃなかった。 だから、隙が出来たのには自分にも責任があった。 「君は、いくつだい」 「21だ」 「大学生、か。若いな。彼女を支えきるには、若すぎる」 「アンタの物差しで決め付けるな。少なくともアンタよりはずっとマシだ」 刹那は踵を返して歩き出した。 だが途中でその歩をぴたりと止め、またグラハムの方へ戻った。 グラハムは、それを不思議そうに見た。 「忘れ物だ」 そう言って、グラハムの足を思いっきり踏みつけてやった。 グラハムの、声にならない声が響いた。 「次、何かしたら今度は顔だ」 踵を返し、また歩き始める。 ニールが待つ彼女のマンションまで、ただ真っ直ぐに歩いた。 刹那は消毒液みたいだ。 そう言って笑った彼女を、ただただ愛しいと思った。 09.06.26 日記掲載 ―――――――― 刹ニル♀シリーズのコンセプトは、目指せ少女マンガです。(… |