君に贈る
グリニッジ標準時では夜中を指す頃だ。 ライルは特にすることもなく、次に介入予定の紛争の情報を自室のベッドに横になりながら 眺めていた。 突然、だった。 データを映し出すためにコードを繋いでいた相棒である独立型A.I、ハロがその目のライトを赤く 点滅させ、声を上げ始めた。 「セツナ!セツナ!」 「ぅえ!?」 比較的リラックスした状態の空気を読まないにも程があるほど予告もなしにけたたましく声を張り上げられ、 ライルはびくりと肩を揺らした。 そんなライルの様子などお構いなしに、ハロは同じことを繰り返し繰り返し発している。 それは、聞き覚えのある名前だった。 「セツナ!セツナ!セツナ!」 「…は?刹那?…なんでいきなり?」 同じ艦に乗るマイスターの名前を、飽きることなく言い続けるA.Iに、ライルは眉を顰めた。 ソレスタルビーイングの技術を持って製造された万能のA.Iも、ついに寿命を迎えてしまったのだろうか。 そんな風にも考えたが、どうも違う気もしてくる。 何故、と聞かれても勘だ、としか答えられないが、どうにも訴えてきているような気がしてならない。 A.Iが何かを訴える、何ていうのもひどくおかしな話だが、とにかく彼の名前を連呼しているのであれば、彼の元に 連れて行けば何かわかるかもしれない。 そう思うが早いか、ライルは未だに刹那の名前を言い続けるハロを抱え、自室を後にした。 刹那が自室の扉を開けると、何とも奇妙な光景が目に入った。 自分の名前を連呼し続ける独立型A.Iと、それを抱えるマイスターである男。 男の方がどこか困惑気味な表情を見せているから、ますますどうしたらいいかわからない。 「…何だ、これは」 「こっちのセリフ。さっきから止まんねーんだよ」 そう言われても、刹那には全くと言っていいほど心当たりがなかった。 そもそもハロとはほとんど時間を共にしないのだ。 なのに突然自分の名前を連呼し続けるから何とかしろと言われても困る。 イアンに相談した方がいいのではないかと口を開きかけたが、それを遮るようにハロがまた同じことを繰り返す。 「セツナ!セツナ!」 ぽん、とライルの腕から抜け出し、ハロは鉄の床を跳ねて刹那の元に飛んだ。 刹那は、跳ねて来たハロを両の手で受け止めた。 パタパタと羽根のような頭部の部品をはためかせているその姿は、どこか喜んでいるようにも見える。 犬が尻尾を振っているのと似たようなものだ。 機械であるハロに感情がないことは百も承知であるのだが。 「セツナ!セツナ!セツナ!」 やはり言うことは同じで、ずっと自分の名前を繰り返している。 その姿はまさに機械らしい。いや、機械なのだが。 ライルはと言えば、自分の手を離れたのをいいことに、ずいぶん肩の力の抜けたような顔をしていた。 「ま、アンタに用があるみたいだし預けるよ。じゃ、オヤスミ」 「おい、」 丸投げも当然のライルの行動に刹那は眉を顰めたが、彼はとっとと自室に戻ってしまった。 諦めたようにため息を一つ吐いて、刹那は部屋の中に戻った。 ハロを部屋の中に放てば、相変わらずパタパタと羽根を動かして、床を跳ねた。 刹那はベッドに腰を掛ける。そうすると、ちょうどハロが跳ねた時の頂点と同じくらいの目線になった。 「セツナ!セツナ!」 ふぅ、とまた一つため息を吐く。 このA.Iがこんな風に自分の名前を言い続けるのも初めてのことで、というよりかは、同じことをこれだけ繰り返し 言ったこともない。 ―――いや、あった。 一度だけ。 宇宙で散った「彼」を、ずっとずっと呼び続けていたことが、過去に一度だけ、あった。 それをふいに思い出して、刹那は表情に影を落とした。 こんな形であの時のことを呼び起こすことになるとは思いもしなかったものだから、予想外に刹那の心に重く圧し掛かった。 暗い暗い宇宙で、たった一人投げ出されていた姿が頭を掠めた。 「セツナ!セツナ!」 「…なんだ」 「セツナ!」 「…俺は、ここにちゃんといるぞ」 アイツとは違う、という意味を込めて刹那がそう言うと、ハロはそれを理解したのか、目の部分に当たるライトを赤く点滅させた。 「セツナ、タンジョウビ!セツナ、タンジョウビ!」 刹那はそれに目を丸めた。 ハロがようやく違うことを言ったことにと、その内容にだ。 言われて見れば、日付も変わってグリニッジ標準時では2313年4月7日。自分の産まれた日だ。 おそらくデータベースから読み取って、そうして声に出しているのだろう。 まさかA.Iにこんな風に祝われると思わず、しかし決して嫌な気はしなかった。 圧し掛かるような重い気持ちが少し軽くなり、刹那は穏やかな顔を見せた。 相変わらず床を跳ね続けるA.Iにお礼を言おうかと口を開いたが、それが言葉になることはなかった。 「セツナ、タンジョウビ!ロックオン、メッセージ!」 「…な、に?」 またも変わったハロの言葉に、刹那はいよいよ目を見開いた。 ハロは再び同じことを繰り返し始めた。 「セツナ、タンジョウビ!ロックオン、メッセージ!」 何度も何度もハロはそれを繰り返した。 まるで刹那に訴えているようだった。 しばらく呆然としていた刹那だったが、ようやく、何かに突き動かされるように端末を取り出してコードをハロに繋いだ。 そして、端末を幾らか操作すると、一つのファイルに行き当たった。 どくり、と心臓が音を立て、それを皮切りにずっと刹那の心臓は大きく揺れ動いていた。 ボタンを押す指が、微かに震えていた。 ハロは、それまでの騒がしさが嘘のように静まっている。 まるで刹那がそうしたことで声を出す必要がなくなったかのようなタイミングだった。 ファイルを立ち上げれば、ディスプレイにひどく、懐かしい顔が映し出された。 『おーす、刹那。上手くいったか?これちゃんとお前さんの誕生日に映ってるか?』 ディスプレイに映る男は、刹那の記憶の中のままだった。 どこか軽い調子で、笑い顔を浮かべて。 叫びだしたいほど、懐かしさが込み上げた。 「なんだ、これ…。こんなの、知らない…」 何も聞かされてなどいなかった。 こんなムービーが残されていることなど。 あの男は、そんなこと一言も伝えずにいなくなった。 『22歳おめでとさん、刹那』 優しい表情を浮かべた後、ロックオンはそう言った。 とても丁寧に、それは大事なものを扱うような口調だった。 22歳、と彼は言った。 つまり、これは本当に、2313年の刹那の誕生日に映し出されるように設定したものだったのだ。 『22歳迎えたお前さんに、お兄さんからのサプライズプレゼントだ。ありがたく受け取れよ?』 に、と子どものように笑った。 今の自分よりもまだ年上のくせに、悪巧みを楽しそうに考える子どものように笑っている。 本当に、馬鹿な男だ。 込み上げる感情に堪えるように、刹那は目を伏せた。 『なぁ、刹那』 ディスプレイの中の男は少し声色を変え、刹那に優しく語り掛けるように話した。 刹那が促させるようにディスプレイを見れば、その声と同じように、片方だけ覗く目を細め優しげな表情を見せていた。 それは先ほどの、子どものような笑い顔とはまた違った彼の表情だった。 刹那の心を、ゆるりと絆していったそれだ。 『今、幸せか?笑ってるか?』 優しく優しく、けれど、案じるように。 ロックオンは、丁寧に言葉を紡いでいた。 刹那は口を開こうとしなかった。そうする必要がないかのように、ただ黙ってロックオンの言葉に耳を傾けた。 『俺は、22の時刹那に会って楽しかったよ。 だから22歳になったお前さんも、たくさん笑ってられるといいなって思うよ』 『俺達はソレスタルビーイングで、稀代のテロリストってまで言われてる存在だ。 お前さんの過去とか性格とかそういうのもひっくるめて、幸せになるだとか楽しいだとかいうこと、もしかしたら 程遠いのかもしれない。 けれど、それでも俺達は一人の人間だ。 この世界に産まれて育っていった、他の人間と変わらない存在だ。 だから、ほんの少しだけでも、喜びを感じていいと思うんだ。 俺がお前さんに会って色んなこと感じ取ったように。刹那も、刹那の生きる時間の中で、刹那自身の 嬉しいことや楽しいことを感じ取ってくれたらなって、思うよ』 静かな空間が広がっていた。 とても優しい、静かな空間だった。 それを刹那自身も感じ取っているのに、どうしてだか、胸の中がざわめいた。 こんなもの残していったりして。 まるで、自分が生きる未来がないような話をして。 悟ったような顔をして緩やかに目を細めて。 これでは、まるで、 『なぁ刹那』 刹那の思考を遮るように、再びロックオンが口を開いた。 『お前さんは、もしかしたらこれが俺が残していく最期の言葉だと思ったりするかもしれない』 それは、今ちょうど刹那の頭を過ぎったことだった。 刹那がそれを思うのにも無理はなかった。 何故なら、ロックオンがこのムービーを残していったのは彼が死を迎える直前だからだ。 利き目を覆う眼帯がそれを物語っていて、ただ刹那の胸をざわつかせた。 優しい顔をして、未来の自分にメッセージなど残していったりして。 もう、生きることを投げ出していたのではないかと。 もう、死ぬことを受け入れていたのではないかと。 そんな考えばかりが刹那の思考を占めた。 『それだけは、誤解しないでくれな』 ディスプレイの向こうのロックオンが、優しく口を開いた。 『俺は、生きるつもりだよ。こんなとこで死んだりしない。 俺はただ、俺の22歳が意味あるものだったから、刹那にとっての22歳も、意味あるものになってほしいって、 ただそれだけの気持ちでこれを作ってるよ。 だからさ、お前さんがこれを見てる時には、その隣に俺がいて、それでもってすげー恥ずかしい思いしてる んだって信じてるよ』 ロックオンは白い歯を覗かせて、また子どものように笑った。 あぁ本当に。 隣にいたら、腹を抱えて笑ってやったのに。 今までそんなことしたことないけれど。 アンタが今もし隣にいて、バツの悪そうな顔をしてたら、心の底から笑ってやったのに。 馬鹿だな本当に。アンタは馬鹿だ、ロックオン・ストラトス。 刹那の脳裏に再び、彼が宇宙で散ったときのことが過ぎった。 手を伸ばしても届かなかった。 手を伸ばす暇さえなかった。 宇宙に投げ出された彼は、生きるという術を何も持っていないようにすら見えた。 生きるつもりだと言っているロックオンの言葉が嘘かどうかは、刹那には見破れない。 嘘の上手い男だったから、刹那はいつもはぐらかされたり騙されたりしていた。 昔は、成長すればこの男の嘘も少しは見抜けるようになるのだろうとうっすら思っていたりした。 けれどこの歳になっても、やはり見破れそうにはなかった。 少し悔しさは残ったが、余計なことは考えるのは止めた。 それが嘘でも本当でも、ニール・ディランディという人間がこの世界からいなくなったということは、 紛れもない事実なのだ。 ただ、 『刹那、誕生日おめでとう。22歳のお前さんが、たくさん笑ってられることを祈っているよ』 優しく笑って贈られた言葉は、信じてもいいのだと思った。 グリニッジ標準時では、朝を迎えようとしていた。 ライルが呼ばれて自室の扉を開ければ、そこにはハロを抱えた刹那が立っていた。 「おぅ、どうだった?何かわかったか?」 「あぁ。もう何か変なことを言うことはないだろう」 「そうかい、なら何より」と肩をすくめて、ライルはハロを受け取った。 「なぁ、結局何だったんだ?」 ハロを手渡して踵を返そうとした刹那に、ライルが問いかけた。 刹那はしばらく逡巡した後、ライルの方に顔を向けた。 「そうだな。一言で言ってしまえば、アンタの兄は、やはり馬鹿だった、ということだ」 「…は?何で兄さん?」 薄っすら笑みを浮かべてそう言う刹那は、ライルが呼び止める暇もなく、通路を渡って行ってしまった。 その背中はとても真っ直ぐで、ある種の清々しさすら覚えた。 「…なぁハロ、お前知ってんだろ?何だったんだ?」 手に持った独立型A.Iにそう問いかけた。 「ヒミツ!ヒミツ!ハロトセツナトロックオンダケヒミツ!」 ぱたぱたと上部の部品を動かすその様は、何だか悪巧みを抱えた子どものようにも見えた。 10.04.29 ―――――――― やっと書き上げた…!! もうホント、今さらという感じですが、どうにか書き上げたかったのでやりました。 せっちゃん誕生日おめでとう!大好きです!! |