枯れない花を贈ります、もう寂しくなんてないでしょう
宇宙では、時間の変化はほぼないに等しい。
体内の感覚で動いていることが多く、特に今現在の、時間に縛られることのなくなったプトレマイオスでは余計にそうだ。
時間の感覚が正確でなくてもこれといって支障はない。
以前のようにミッションという形で与えられる責もなければ、手酷く追手を向けられることも少なくなったからだ。



そんな中であるが、刹那・F・セイエイは自室のベッドに座り込んで、デジタル表示で刻まれる携帯端末の
グリニッジ標準時刻に、じっと視線を向けていた。
14..15..16...と、ディスプレイに現れた時計は確実に時を刻んでいく。

この行為そのものが意味をなさないことは、刹那自身が一番よく理解していた。
時が刻まれるのをただじっと見て、その時が来るのをじっと待つ。
あまりに非生産的な行動だ。何か変化が起きるわけではない。
時は変わらずに進み続け、デジタル表示はそれを事実として表す。

2314.03.02 23:57
それが刹那の持つ携帯端末が表す時刻だった。

26..27..28..29...と、時が刻まれる度に、頭の中に一人の人間の様々な表情が浮かんでは消えた。
笑っていることが多い男だった。
この男が向けてくれる、優しげな顔が好きだった。
けれど所詮は自分の記憶の中のものでしかないそれが、少しだけ残念に思えた。
もっと、色々な表情が見てみたかった。
同じ時を生きて、同じ物を見て、違う感じ方をしてみたかった。

気付けば、携帯端末のディスプレイは23:59を表していた。
刻々と近付く、その時。
20..21..22...
アンタは、どう思うだろう。
33..34..35...
もう二度と現れることのないアンタの産まれた日を待ち続ける俺のことを。
48..49..50...
アンタは、どんな言葉を、かけてくれるんだろう。

視界と思考が、ぼんやりとしたまどろみに包まれ始めたことに、刹那は気付いた。
理由も原因もわからない。
けれど、正体不明のそれに抗おうとも、どうしてだか思わなかった。
ゆっくりと思考を引き込もうとするその感覚に、刹那は黙って従った。
不思議と、懐かしさを覚えた。
刹那がその目を覚ますと、やはりそこは自室のベッドの上だった。
知らないうちに、身体が休むことを欲していたのだろうか。
何も変化のないことに、少しだけ落胆している自身に気付いて、刹那は小さく自嘲的な笑みを浮かべた。

だがふと、何か違うものを感じる。
同じはずなのに、同じではない。
確かにここはトレミーの中の自分の部屋だ。
けれど配置されている物や、壁の感覚。そして、流れる空気。
刹那が変化がないと思い込んでいる物と、どこか、ずれを感じた。

「おーい刹那ぁ。寝てんのか?」

少し混乱していた刹那に、その考えをかき消すように扉越しに声がかかる。
聞き覚えのある声だ。
ドクリ、と心臓が音を立てて鳴った。
刹那の思考は、まだ少しまどろみを覚えていた。
頭に白い靄がかかっている感覚だ。

刹那はベッドからゆっくりと立ち上がり、扉の前に立った。
シュン、と空気の抜けるような音と共に、自動扉がスライドする。
眼の前に立っている男を、刹那はじっと見た。
彼は覆われていない方の目を丸め、瞬かせている。何が起きているのか理解出来ないようだった。

「ロックオン・ストラトス…」

大切なものでも扱うように、刹那は丁寧にその名前を口にした。
頭はまだぼんやりとしたままだ。刹那自身もこの状況をきちんと把握しているわけではない。
けれど、その中でも、理解出来ることがあった。
今の刹那にとってはそれで十分だった。

目の前に、ニール・ディランディがいる。
これはきっと、夢なのだ。


「ロックオン」
「え、はい…」

刹那が名前を再び呼べば、ニールはどこか気の抜けたような返事をした。
まだ状況が把握しきれていないのだろう。
少し珍しいその表情に、刹那は新鮮さを覚え、同時に記憶の中の彼が増えたことを喜んだ。

「今日は、いつだ。西暦から答えろ」
「今日?あぁ、えっと、2308年3月3日、だな」

あぁ、やはり。
刹那は靄のかかる思考の中で、一つの結論を見出した。
これは、彼が迎える最後の誕生日だ。
そこに、自分は訪れたのだ。
夢であろうがなんだろうが、刹那は構わなかった。
目の前に25歳を迎えたニール・ディランディがいる。それだけでよかった。

「…お前さん、もしかして刹那、か?」

戸惑いながらも発せられたその言葉に、刹那は驚きと、そして確かに嬉しさを感じた。
わかってくれたのだ、この男は。
状況が理解出来なくても、目の前の人間を刹那・F・セイエイだと認識した。
ニールらしいと思った。
その彼にまたこうして触れ合えることを、刹那は間違いなく喜んだ。

「やっぱそうなんだな。すげぇな、どんな仕掛けだ?あ、もしかしてドッキリか?」

新しい玩具を与えられた子どものように、ニールは面白そうに笑った。
彼は16歳の刹那が何かしらの変化を経て突然大きくなったと思っているようだった。
刹那はそんなニールに、微笑ましさに似たものを感じた。

「ロックオン」
「ん?」

呼べば、返事をする。
たったこれだけのことが、刹那の胸を震えさせる。

「誕生日、だな」

刹那がそう言うと、ニールは今まで見せた中で、一番嬉しそうな表情を見せた。

「お、すげーなお前が覚えてるなんて。こりゃ明日隕石でも飛んでくるかな」
「茶化すな」
「ははっ。悪い悪い。嬉しいよ。ありがとな、刹那」

目を細め、心から嬉しそうにニールは笑った。
刹那も穏やかな表情で返した。

これは、夢だ。
しかし、現実だ。
きっとこの後16歳の自分はトレミーから離れる。それがこの男との別れだ。
ニール・ディランディは片目を失ったまま戦場に出、そして仇であるアリー・アル・サーシェスと交戦。
その結果、死を遂げる。

もし、今自分がここで彼に少し先の未来のことを告げたらどうなるだろうか、と刹那は思った。
回避出来るかもしれない悲劇。
夢から覚めたら、この男はまたこうして自分に笑いかけてくれるかもしれない。

「…ロックオン」
「ん?何だ?」

刹那は口を開いた。
戦場には、出るな。
お前は今まだここで死んではいけない。
死んでほしく、ない。

喉の先までその言葉が出たのにも関わらず、刹那が実際口にしたのはあまりに呆気ない一言だった。

「…いいや、何でもない」
「何だよ、変なヤツだな」

刹那は一瞬にして悟った。
今自分の目の前にいる男は、ロックオン・ストラトスだ。
風のように掴み所がなくて、自分の主張は通すのに、他人、特に刹那の言うことは笑ってごまかす。
それなのに孤独を怖がって、人と一線を置きながらも交わりを求めようとする。
そういう、勝手な男だ。
その男が、今ここで刹那がこの先来るであろう未来を告げても、何も変わらないだろうと気付いた。
彼は戦場に出る。
どこの誰が止めようが、自分の命が失われることがわかっていようが、戦うのだろう。
それがわかったから、刹那は口を閉ざした。
かわりに、伝えたいことがあった。

「ロックオン」
「今度は何だ?」

ニールは、何度も名前を口にする刹那に少しだけ呆れを覚えたようだった。
小さく苦笑いを浮かべている。
けれど彼は、刹那の言うことに耳を傾けていた。

「アンタが、いてくれてよかった」

思いもよらないその刹那の言葉に、ニールは片方だけ見えるその碧を丸くした。
刹那は構わずに言葉を続けた。
後から後から頭に言葉が溢れた。こんなことは初めてだった。

「アンタが俺の世話を甲斐甲斐しくしたから、俺は人との繋がりが無駄じゃないことを覚えた。
アンタがやたらに俺に構ってくるから、人は温かいものだと気付いた。
…アンタが、変われと言ってくれたから、俺は、変われた」

それは、ずっと伝えたいと思っていた言葉だった。
彼がいなくなった時は、そんなこと言う暇さえ許されなかった。
後悔した。
思っていたのに、何故伝えなかったのかと。
言葉を紡ぐのが下手くそでも、言えばよかったのだ。
どんなに呆れ顔をされても、伝えればよかったのだ。
言葉一つで伝えきれないほどの思いでも、言葉一つだけでも届ければよかったのだ。

アンタに、ずっと救われていたのだと。


所詮これは夢にしか過ぎない。
だから、刹那が現実にニールにこのことを伝えられたかと言えば、答えはおそらく否、だ。
これは刹那の自己満足だ。
直接伝えることがもう叶わないことは充分に理解している。
それでも、口にしたかった。言葉にして、伝えたかった。
夢の中でも、ニール・ディランディという男に、感謝をしたかった。

刹那は、少し俯かせていた視線を上げて、ニールの顔を覗いた。
意図の掴めないその言葉に眉を顰めているかと思いきや、彼は存外、とても優しい顔をしていた。

「そっか。俺は…いてよかったか」
「…あぁ。アンタがいてくれて、よかった」

だから俺は、ここまで生きることが出来たのだ。

「そっか。じゃあ、よかったよ」

綻ぶように、優しく笑う。
刹那はその表情一つ一つを頭に焼き付けた。
忘れないように、消えないように。
ニール・ディランディを、刻み込んだ。

ぐらりと、視界が歪み始めた。
夢の終わりを告げていることに、刹那は気付いた。
思考はまどろみを強くし、視界は白い靄に覆われ始める。

「ロックオン」

ぼんやりとした視界は、もうニールをはっきりと映さなくなった。
それでも、刹那は名前を口にした。

「ん?」

ニールはとても優しい声で、刹那に応えた。

「アンタが今この瞬間に生きていてくれて、よかった」

思考が完全に止まるその直前。
「俺もだよ」という穏やかなその声が、刹那の耳に小さく届いた。
ふ、と音もなく刹那はその目を覚ました。
見覚えのある室内が視界に入る。
座り込んだままベッドに横になっていた身体をむくりと起こし、床に転がっていた携帯端末を拾い上げた。
ディスプレイを見れば、日付を越えてから五分ほどが過ぎていた。
刹那の思考を占めていたまどろみや靄は、いつの間にか姿を消していた。

「おーい、刹那ぁ。寝てんのか?」

扉越しに掛かる声は、よく耳に馴染んだものだ。
刹那はベッドから立ち上がり、自ら自動扉を開けた。
自分とは色違いの、グリーンの制服に身を包んだロックオン・ストラトスが、そこに立っていた。

「何回呼んでも出て来ねぇし…寝てたか?」

ライルは珍しいものでも見るような視線を刹那に向けた。
刹那も刹那でじっとライルのことを見ていた。
意図の掴めないその視線に、ライルは不思議そうに首を傾げていた。

「ライル」
「ん?」

刹那はライルのことを敢えてコードネームで呼ばなかった。
それは彼との違いを付けたいという気持ちからだったかもしれない。

「おめでとう」

ぽつり、と呟かれたその言葉を、ライルは最初きょとんとした顔で受け取った。
やがて、どこかくすぐったそうな笑みを浮かべる。

「何だよ、アンタそういうこと言うキャラじゃねぇのに」
「…そうか」
「そーだよ」

ライルがそう言えば、刹那もまた、可笑しそうに小さく笑った。

「兄にも言ったからな。お前にも、言っておこうと思って」
「…何だそりゃ。兄さんにでも会ったか?」

ライルの何気ない言葉を、刹那は拾った。
ふと記憶を辿ると、日付を越える前にはなかった男の表情が幾つか増えていた。
そのことに、刹那は穏やかに目を細めた。

「あぁ、会って来た」
(貴方がいてくれたから、今のわたしがここにいます)
10.03.04


title by=テオ


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一日遅れですが、ニルライ生誕記念。
ほぼ八割ニールさんっていうね…。苦笑。

何はともあれ、双子がこの世に産まれたことに、感謝を。