刹那・フェルト→高校一年
クリス→二年
ロックオン→三年
見上げた空の光の中の、ただ一点だけが、強い強い赤だった。
それが、とても印象的で、今でも忘れられない。
モノクローム・レインボー
三限目の授業の終わりを告げるチャイムが鳴り響く。
教室内がざわめく中で、フェルト・グレイスはただ黙々と教科書やノートを仕舞っていた。

「フェルトー!」

陽気な、でも低くて聞いててとても心地いい、彼が名前を呼ぶ声をする。
廊下の方を見れば、ひらひらとフェルトに向かって手を振っていた。
彼の登場に、教室内のざわめきが少し色を変えた。
積極的な女子は、「ディランディ先輩こんにちわ」と声を掛けている。
彼はそれに笑顔で応えていた。

「ロックオン…」

ぽつり、と小さい声で彼の名前を呼んでも、それがわかったようで、笑顔を見せてくれた。
それがなんだか嬉しい。

「今日は屋上行こうぜ、天気いいし。な、刹那」

ロックオンは最後の方だけ、フェルトの方ではなく彼の少し後ろで立っていた少年に向いて言った。
その、彼の瞳に、やはりフェルトは目を奪われた。
やはり、というのは、これが初めてではないからだ。
彼と初めて出会った時から今日の今まで、フェルトは幾度となく刹那のその瞳に目を奪われた。

真っ直ぐで、迷うことを知らない眼。
とても、うらやましいと思った。
「でな、俺がせっかくフォローしてやってんのに、コイツそれぶち壊し!
人の苦労も知らねーでよー」
「助けてくれと頼んだ覚えはない」
「可愛くないっ。お前さんの、そういうとこが可愛くないっ」
「男が可愛いと言われても何も嬉しくない」

ロックオンが主に話し、刹那がそれに淡々と答える。フェルトは、黙ってそれを見ている。
いつもの昼食のスタイルだった。
時にはロックオンが一人話し続けることもある。
こんな、少し奇妙な昼食の情景は、フェルトが高校に入学してしばらく経ってからだから、 三ヶ月近く続いている。
刹那の瞳を初めて見たのは、桜が散って若葉が生い茂り始めた頃だった。
髪の色が気に入らない、と上級生に呼び出されて、校舎の裏で色々と文句を言われた。
言葉だけならまだも、さすがに鋏を出された時は少し焦った。
切られる、と思った時だ。
ばさばさと、上から教科書やらノートやらが景気よく降って来た。
これに上級生達も人に見られたと焦ったのか、そそくさと逃げ出した。
教科書が降って来た上を見上げたときだ。

強い強い赤が、目に飛び込んできた。

逆行で、その本人の顔すら見えづらかったのに、それだけは、はっきりと見えた。

「刹那お前っ何してんだー!」

焦ったような別の人間の声で、ようやくフェルトは我に返った。

「鞄の中が落ちた」
「落ちたんじゃなくて落としたんだろーがっ。買ったばっかだろー!」
「使えれば問題ない」
「使えるかわかんねぇだろうがっ。せっちゃんのアホたれっ」

小さく聞こえた喧騒で、フェルトはあの彼が助けてくれたのだとはっきり理解した。
ばらけた教科書やノートを拾って、下りてきた彼に渡した。
助けてくれた、と彼の隣にいた上級生に弁解すれば、ブラウンの髪をした彼はなんだかおもしろそうに、
でも嬉しそうに笑っていた。
それが出会いだった。
それからしばらく校内で顔を合わせれば挨拶をするようになって、気付けば昼食を毎日一緒に取るようになった。
フェルトにとってはそれが、一日の中で唯一心地いい時間だった。
「せーつな」

昼食を食べ終わってしばらくして、ロックオンが含み笑いを刹那に向ける。
合図、とでも言うように拳を挙げる。
刹那も意図を理解したようで、ロックオンと同じように構えた。
二人共、その眼は真剣だ。

「じゃんけんぽんっ」

二人同時に、構えていた手を動かす。
ロックオンがグーで、刹那がチョキだった。

「俺の勝ちー。せっちゃんいい加減チョキばっか出すクセやめなさい」
「……」

チョキを作ったままの自分の手を、刹那はどこか恨めしそうに見ていた。
二人の間にある、恒例のイベント。
じゃんけんをして、勝った方が、食後のひと時を共にするものを買って来る。
もうずいぶんと長いこと行っているらしいそれは、二人の暗黙の了解だった。

「俺コーラねー」

ロックオンがひらひらと手を振って刹那を送り出そうとする。
だが刹那はくるりと向き直った。

「…お前は?」

フェルトに向かって、そう言った。

「わたし、別に、」
「…」

あ、駄目だ。

「じゃあ、コーヒー」

思わず、そう言う。
せめて紅茶と言えばよかった、と刹那が去った後に小さく後悔した。

刹那のあの眼は、何と言うか、何かを言わなくてはいけない気持ちになる。
フェルト自身言葉で表現しづらかった。
ただとにかく、刹那に真っ直ぐ見られると、それに応えなくてはいけない気分になった。


「フェルト」

優しい声で、名前を呼ばれる。
両親の付けてくれたそれが、なんだか特別なものになった気がする。

「家、どうだ?最近は何もないか?ひどくされてないか?」

心から気遣うように、丁寧に言葉を発するロックオン。
それがフェルトにとってとても嬉しかった。

「平気。最近は、落ち着いてる」
「そっか、ならよかった」

ロックオンが安堵したように笑った。
その笑顔を見て、フェルトも心が温かくなる。
ただ、表情には上手く出せなかった。
それを悔しいと思った。
もっと笑えて、もっと伝えたいことを伝えられればいいのに、と思う。
だがフェルトにとって何より難しいことだった。

「クリスティナも、仲良くしてくれてるから、大丈夫」
「じゃあ、安心だな。でも何かあったら、すぐ言えよ」

そう言って、ロックオンはフェルトの頭を撫でた。
それが、フェルトにはとても心地よかった。

「お、おかえりー刹那。ごくろーさん」

ロックオンの言葉に、屋上の入り口の方を見れば、刹那がペットボトルや紙パックのジュースを持って 帰って来ていた。
忘れていた。そういえば、思わずコーヒーと言ってしまったのだった。
内心焦りがあったが、こういうとき、自分の動かない表情は役に立つ、とフェルトは思った。
刹那が、自分に買って来てくれたのであろう飲み物を受け取る。
だがそれは、フェルトの誤って頼んだものとは違った。

「…ミルク、ティー」

思わず、刹那を見る。
刹那もその視線の意図を理解しているようだった。

「嫌いなら、買い直して来る」



刹那の優しさは、言葉には表されない。
だから周りは、彼のことを暗いだとか、怖いだとか、何を考えているかわからないと言う。
フェルトも始めは、刹那の真意を掴みにくかった。
彼の中のわかりづらい優しさを知ったのは、刹那と初めて会って少し経った頃だ。


前の日の夜、叔父の仕打ちがいつも以上にひどくて、どうにも授業を受ける気になれなかった。
叔父に付けられた傷を、誰かに見られたくなかった。
人の目を気にしているわけではない。それが原因で上級生達にまた嫌味を言われたりするのが億劫だった。
一つ上の学年のクリスティナは、いじめられているのを助けてくれたのがきっかけで仲良くしてくれて、
とても嬉しいけれど、今会いたいとは思わなかった。
気晴らしに行った屋上の扉を開けると、刹那が入り口の壁に寄りかかって既にそこにいた。
誰にも会いたくないと思っていたはずなのに、刹那がそこにいたことに、驚きつつ嫌な気分がしなかった。
それでも隣に座ることはさすがにはばかられ、入り口を挟んで反対側に、フェルトは腰を下ろした。
ずきずきと、叔父の叩いた頬や殴った腕が痛んだ。
刹那はフェルトの存在に気付いていたが、何も言わなかった。
自分に似て人とあまり関わらないのだろう。
彼は、何を考えているのだろう、と思った。
しばらくすると刹那は立ち上がって、校舎の中に入って行った。
元々静かだったそこは、一人いなくなると余計に静けさを増した。
こんな風に傷の付いた顔をしていれば、誰だって関わりたくはないだろう。
少し、落胆する自分がいた。
そう、思っていた時だ。
頬に、ひどく冷たい感触がして、思わずフェルトは肩を揺らした。
ちょうど叔父の叩いた場所だったから、余計に冷たく感じた。
驚いて顔を上げれば、そこには先ほど出て行ったはずの刹那がそこにいた。
視線を上げたことで、自分の頬に当てられた物が缶ジュースであることもわかった。
フェルトが目を丸めて刹那を見上げていると、刹那が口を開いた。

「生憎、手当てできるようなものを持っていない。それで我慢しろ」

そう言って、フェルトに缶を渡す。
逆らう理由も見つけられなかったから、素直に頬に缶を当てた。
刹那は、自身にも購入した缶を開けて、口を付けていた。

「聞かないの」
「何を」
「傷」
「聞けばいいのか」
「どっちでも」
「…聞かれたくないことの一つや二つ、誰にだってある」

刹那はそう言った。
フェルトは、刹那の顔を見た。
彼は視線を前の方に向けていたから、見れたのは横顔だけだった。
それでも、あの瞳は見れた。

うらやましかった。
強い、瞳。揺れることのない、真っ直ぐな眼。
信念を持ったようなその瞳が、生きることに迷いが見られなかった。

「…痛いか」

視線をそのままに、刹那がそう尋ねる。

「少し。でも平気。もう慣れてる」
「…痛みに慣れることが、いいことだとは思わない」
「嫌でも、慣れる」
「泣かないのか」
「強くなったから」

慣れた。
叔父の暴挙にも、叔母の罵声にも、同級生の冷たい視線にも、上級生のいじめにも。
自然に身体が慣れた。
最初はそれこそ泣いた。
身体が痛くて心が痛くて。
けれど泣いてもどうしようもないことに気付いた。
だから、泣くのはやめた。
痛みが重なって、慣れて、きっと自分は強くなった。
そうだと、思っていた。


「…泣かないことが、強いわけじゃない。泣きたいときに泣く強さだって、ある」

刹那のその言葉が、フェルトの胸を震えさせた。

「けれど、痛みに耐えて毎日を生きる人間は、偉い。
…俺の、知り合いが言っていた」

偉い。
そんな風に、言われたことはなかった。
認められようと思って耐えているわけではなかった。
色んなことに向き合うことをやめた自分が、そんな風に言われる日が来るなんて、
思ってもみなかった。
彼のように強い眼も持たない。
生きようとすることにいつも迷っている。
そんな自分が。

自分のことで涙を流すのを忘れたのはいつだったろう。
両親のことで泣いたりすることはあった。
最後に自分のことで泣いた時を、もう覚えてはいなかった。
だから、頬を流れる感触に、フェルトは驚いた。
後から後から、それが溢れて。
止めることは出来なかった。
みっともなく泣き崩れた。

刹那は、ずっとフェルトの隣を離れることはなかった。




初めて会って助けてくれた時も、学校で一人でいることの多い自分を、ロックオンを介してだが
昼食に誘ってくれた時も、そして今、苦手なコーヒーの代わりにミルクティーを買って来てくれたことも。
刹那は、言葉に表さない優しさを、たくさん持っている。
みんなそれに気付かないだけ。
もったいない、と思う。

「……ありが、とう」

ぽつり、と言う。
ロックオンは、嬉しそうに刹那の頭をわしわしと撫でてやっていた。
刹那はそれが癪に障ったのか、ぱしり、とロックオンの手を叩き落とす。
それでもロックオンの表情は嬉しそうだった。
じゃれ合う二人を見て、フェルトもほんの少しだけ、顔を綻ばせた。


「ごめんごめん、遅くなったー!」

そう言って屋上に現れたのは、クリスティナだった。
「うちの委員会話長くて嫌になっちゃう」とぶつぶつ文句を言いながら、フェルトの隣に腰を下ろした。
フェルトの顔を見て、クリスティナが何か気付いたような顔をする。

「フェルト、いいことあった?なんか嬉しそう」
「…うん、あった」

珍しく顔を綻ばせるフェルトに、クリスも嬉しそうに笑った。

「聞いてくれよクリスー。せっちゃんてばさー」
「うるさい黙れっ」


にぎやかになった屋上。
今はそれを、とても嬉しいことだと、フェルトは感じた。
貴方に出会ったあの日から、わたしの世界に色が付きました。
09.06.23

title by=テオ


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現代パラレルで刹フェル。
恋人未満のこの二人を書くのが楽しい。
兄さんとせっちゃんは幼馴染というわりとどうでもいい設定。