今は無理でも

いつかは必ず
平常心、平常心、ご帰還願います
リビングのドアを開けるのとほぼ同時に、深くため息を吐いた。
そして、「またか」と心で呟く。

リビングのソファでは、この家の主である女性が、キャミソール一枚に短パンというあらぬ格好で、惜しげもなくその美しい足を伸ばして寝入っていた。
髪が濡れているのを見る限り、またシャワーを浴びてそのままソファにその身を投げたのだろう。
もうこれで何度この状態を見ただろうか。
おそらく、片手の指だけでは足りないだろう。

一人でこの家にいるのならばまだいい。
だが、自分もいるのだ。
同居しているのだ。
それをわかった上でこの格好を何度も何度も見せられては、本気で自分は一人の男として見られていないのだろうと実感してしまう。
もしかしたらどのくらい耐えられるか試されているのだろうかとも考えたが、彼女に限ってそれはない、とすぐに却下した。

そもそも彼女が自分を迎え入れたのはそういう、男女の仲になりたいとかいう願望云々とかいうものは微塵もなく、むしろそこにあるのは家族愛で、さらに言ってしまえば今は亡き両親への恩返しとか、自己満足が色々組み合わさって成り立ったものだ。
だから男女の仲になりたいなんていう自分の下心は、正直、叶う可能性などゼロに近い。
この気持ちがいつから恋になってしまったのかなんて、きっと断言することなんか出来ない。
たぶん、本当にいつの間にか、なのだ。

最初はぎこちない以外の何物でもなかった。
それはそうだ。
施設での暮らしに嫌気が差して衝動的に飛び出した自分の目の前に現れて、成り行きで彼女のマンションに行って、現状の愚痴を言ったら、

「じゃあここに住め」

なんて言うのだから。

気付けばとんとん拍子に、この家の主、刹那・F・セイエイが自分の里親になっていた。
何故刹那が自分の里親になってくれたのか、というその最大の疑問は、刹那の家で暮らし始めしばらく経ってから知った。

本当に偶然だ。
英語の課題が出たにも関わらず辞書を学校に置いて来てしまい、仕方なく刹那の部屋からこっそり拝借しようとしたとき。
本棚にアルバムが挟まっていたのが目に止まった。
単純に、珍しい、と思ってしまったんだ。
家の中は基本的に物が少なくて、部屋を飾りつけるようなものもなくて、写真の一枚すらなかった刹那の家に、アルバムがあった。
今思えばその頃もう刹那に気持ちが向きかけてたのかもしれない。

興味本位で開いてみたら、そこにいたのは、自分の両親に囲まれて写真に写る、幼い刹那だった。

仕事から帰った刹那を問いただせば、あっさりと口を割った。
刹那も、幼い頃に両親を亡くして、それで、里親となったのが、俺の両親だったというのだ。
両親が刹那の里親だったのは彼女が12歳のときまでらしかった。
彼女が八歳の時俺とライルが産まれ、その四年後に母さんはエイミーを身篭った。
経済的に負担を掛けることを察した刹那は、自らその身を退いたらしい。
通りで、俺の記憶の中に刹那がいないわけだ。

ちなみにその話を聞いて「なんでもっと早く来てくれなかったんだ」と言って刹那の胸で大泣きしたのは、俺の中では葬り去りたいくらい恥ずかしい事実だ。
けれどその時頭を撫でてくれた優しい手は、今でも忘れられない。


はっきりと刹那への恋心を自覚したのは、そのことがあってから、しばらく。
今日みたいに、リビングのソファで下着よろしい格好で寝入る刹那を見て、一気に身体の熱が急上昇したのをはっきり覚えている。
それから刹那の意外に長い睫毛とか、綺麗な足とか、たまに見せる笑顔とかに、しばらく耐えられなかった日々が続いた。
もちろん外見だけに惹かれたわけじゃない。
彼女の、無表情の中にある母性とか、そういう、暖かいものに惹かれたのだ。




はぁ、と、わざとらしく、ため息を吐いてやる。
目の前の恋心を寄せる彼女は、未だ夢の中だ。

本当は、もっと余裕を持って彼女に接したい。
だって相手は八歳も上なのだ。
家族愛云々の前に、普通に他人同士だったら、絶対に相手になんて、してもらえない。
けれど自分はやっぱりまだ子どもで。
ちょっとしたことに慌て、ちょっとしたことに怒り、ちょっとしたことに落胆する。
そんな自分に嫌気が差す。
その度に刹那が遠くなっていってしまう気がして。

自分ばかりがこんなにやきもきするのは悔しいが、仕方ない。
恋なんて、そんなものなんだ。

きっと街を歩いているそこらの男よりは、ずっと可能性が高いはずだ。
だって一つ屋根の下で、寝食を共にしているのだから。
街を歩いているそこらの男に刹那を取られたら、それこそ、二度と立ち上がれない。


もう一度だけわざとらしくため息を吐いて、それから刹那の細い肩を揺する。

「ほら刹那、風邪引くってこんなとこで寝てたら」
「…ん…ニー、ル?」

それは、反則。
寝起きのはっきりしない声で自分の名前を呟かれるなんて、襲ってくれと言ってるようなものだ。
抱きしめたい、キスしたい。
そんな衝動を必死に抑えて、またちょっと肩を揺すってやる。

こんな無防備な姿を見ることが出来るのは自分だけだと、そう無理矢理優越感を感じて、納得させる。
今はこれが限界だ。
いつか絶対、振り向かせてやるんだ。

彼女のその余裕がなくなるくらい、自分でいっぱいにしてやるんだ。
09.03.26

title by=テオ