「おにいちゃん」 あぁ、どうしても探してしまうんだ。 その声を、その姿を。 もういないことは、わかっていても 雨傘とワンピース しまった。 ロックオンは、地下鉄のターミナル入り口で、思わず言葉を発する。 もちろん拾う者は誰もいない。 けれど周りをちらちらと見れば、ロックオンと同じように、同じような独り言を呟く人が、何人かいた。 たぶん自分と同じで、天気予報に騙されたんだろうな、と一方的に連帯感を持ったりした。 しかしよりにもよって、こんな時に降らなくてもいいだろう、と恨めしそうに空を見上げた。 もちろん、それで今こうして景気よく降っている雨が止めば、それこそ儲けものだろう。 会社へはいつも愛車で通勤していたが、今日に限ってバッテリーが上がってしまっていた。 仕方なく地下鉄で出勤したが、その結果が、現在の状態だ。 なんでよりにもよってこんなときに。 小雨ならまだしも、こんな風に降られては走って帰るわけにもいかない。 着ているスーツが、スーツでなくなる可能性だって、充分にある。 そのせいで風邪を引いて、明日仕事に出られなくなる可能性だって、充分にある。 それは困る。 ロックオンは諦めたようにため息を一つついて、せめて小雨になるまで、と気長に待ってみることにした。 ソレスタルビーイングから一時身を引き、マイスター四人で住むことが決まったとき、ロックオンが自身のことで一番最初に始めたのは、職探しだった。 もちろん金銭的に困っていたわけではない。むしろ支給される金額は普通の人よりあるほどだ。 けれど若い男四人で住んで、誰も働いている様子がなければ、それはそれで近所の人間が怪しむだろう。 だから、カモフラージュだ。 と、いうのが表沙汰にしている言い訳で、本当のことを言えば、ロックオン自身、それが憧れだったからだ。 14の時に家族を亡くし、それから狙撃手という職につき、つい数年前に世界に喧嘩を売った彼にとっては、それはとても遠い存在だった。 だからこそ、彼は今までとは全く違う生き方を望んだ。 とは言え、「ニール・ディランディ」はもうこの世にいないことになってるし、まさか「ロックオン・ストラトス」なんてふざけた名前で世に出るわけにもいかないから、やっぱり偽名になってしまったのだが。 もちろん、後者である本音の理由は、誰にも言わなかった。 ロックオンは、まだ降り続ける雨の音に、その眼を閉じ、耳を傾けた。 あぁそういえば。 昔もこんなことが、あったっけ。 まだ家族が生きていた頃、まだニールだった彼は同じように傘を忘れ、同じようにターミナルの入り口で立ち尽くしていた。 朝母親が傘を持って行けと言っていたのにそれを拒んだ手前、電話をして迎えに来てもらうことは、気前が悪い。 諦めたようにため息をつき、小雨になるのを待つことにしたときだ。 「おにいちゃん」 聞き覚えのある、かわいらしい声が耳に入ったのは。 視線をそちらに向ければ、自分と同じ顔の弟と、お気に入りだと以前見せてくれたワンピースを着た妹が、自分の傘を持ってこちらに向かって来ていた。 「ライル、エイミー」 「こんなことだろうと思ってさ、迎えに来たよ」 「はいおにいちゃん、カサ!」 まだ小さな手が、不釣合いに大きい傘を差し出す。 「ありがとな、エイミー」 くしゃりと、その柔らかな髪を撫でてやると、どこか誇ったように、妹が笑った。 「おかえり、おにいちゃん」 「ただいま」 その笑顔はもう、二度と見れない。 ゆっくりとロックオンがその眼を開ければ、雨は相変わらず降り続けていた。 あれからもう何年経ったか。 家族を亡くし、ただ生きているだけの日々が続き、それでも生にしがみ付き。 自分の居場所を探し、見つけては失くすことの繰り返し。 それらを思い、ロックオンはまた一つ、ため息をついた。 俯き加減のその視線に、見慣れた姿が三つ、入る。 顔を上げれば、間違いなく、見慣れた顔。 「あ、やっぱりいたいた」 「全く間抜けにも程がある。車のバッテリーが切れあげく雨が降っているというのに傘も忘れて」 ティエリアの小言も他所に、ロックオンは、ただ呆然と、三人の姿を見つめた。 「ロックオン」 刹那から差し出された傘に、ようやく我に返る。 やっぱり傘を持つ手は、少し小さい。 「刹那が、ロックオンが傘持って行かなかったから、って言って。じゃあせっかくだからみんなで迎えに行こうってことになったんだ」 「俺は反対でしたよ」 その経緯がなんだか容易に想像できて、ロックオンは苦笑した。 「ロックオン」 呼ばれ、刹那に視線を移す。 今はもう、自分を兄と慕ってくれる小さな女の子はいないけれど。 「おかえり」 その言葉と一緒に、あの柔らかな笑顔は見れないけれど。 「ただいま」 でもほら、こんなにもあたたかい。 09.01.04 title by=テオ |