その手を引くのは僕の役目ではない。
けれど君が道を間違えたとき、後ろから教えてやれることは出来る。
きっとこの距離が、自分たちにはお似合いなのだろう
いつもの朝がやって来た。
今日の朝食の当番である刹那も、昨日の様子が嘘のように淡々と家事をこなしている。
否、少しの変化はあった。
彼は、昨日よりもほんの少しだけ、前を向いて生きようとしていた。


「お、刹那おはよーさん。寝坊しないでちゃんと起きたな」
「誰がするか」

以前と変化なく返す刹那に、ロックオンは少しだけ目を細めた。
そして、優しく癖のある黒髪を撫でた。

「ん、いい子いい子」
「触るな」

優しい手付きのそれを、刹那はやんわりと振り払う。
ロックオンは笑ったままだ。
彼の中で起きる小さな変化を、ロックオンは気付き、そしてそれをとても喜ばしく思った。


アレルヤとティエリアも起きてきて、四人揃ったところで朝食を取った。
しばらくは黙々と食事をしていたが、やがてアレルヤが気付いたように口を開いた。

「そうだ、僕も今日は出掛けるね」

その言葉に返したのはロックオンだった。

「朝からか。珍しいな」
「クリスから呼び出し。たぶん、買い物の荷物持ちだね」

肩を竦めて言うアレルヤに、ロックオンは苦笑いしか出来なかった。

「そういうわけだから、今日は二人に留守番頼むね」
「了解した」
「問題ない」

淡々と、刹那とティエリアはそれだけ返した。
当人達の言葉とは裏腹に、ロックオンとアレルヤは素直に任せる、と言うことが出来なかった。


朝食を食べ終え、身支度を整えたロックオンとアレルヤは、揃って家を出た。
家の前に止めてある愛車に少しだけ寄りかかり、ロックオンはため息を吐く。

「大丈夫かねぇ、あの二人…」

アレルヤも苦笑いを浮かべた。

「まぁ、なるようになるでしょう」

あの二人が基本的にあまりいい仲でないことは、三年経った今もあまり変わらなかった。
それでも昨日、ティエリアが刹那に見せたほんの少しの彼の気遣いを信じて留守を任せるのだが。

不安要素は他にもあった。
刹那は料理が上手かった。
ただ、彼がこなせる家事と言えばそれくらいのものだった。
ティエリアは普段家事と言えるものはほとんどしなかった。
しなくていい、と当人も、そして他の三人(特にロックオンとアレルヤ)は思っているからだった。
彼に家事を任せたときの惨事は、忘れることが出来なかった。
「さて、まず何からすればいい」

ロックオンとアレルヤが家を出た後、ティエリアが切り出した。

「そうだな、まずは洗濯だ」

料理以外の家事が苦手な刹那だったが、洗濯機を回すぐらいのことは出来た。
ロックオンが洗剤の量から操作方法まで懇切丁寧に教えたからだった。
その間、刹那はティエリアに朝食の後片付けを任せた。
水音に紛れて皿の割れる音が一二度聞こえた気がしたが、無視をした。
終わったと言われキッチンを覗いてみれば、シンクが水害に遭っていた。
後始末は刹那がやった。(ティエリアに任せると二次災害が起きるような気がしたからだ)

掃除だと思って行っていたものは、結果を見れば掃除をしたとは言えない状況になった。
これはティエリアだけでなく刹那も同じことだ。
お互いが、お互いを責めるような視線を送り合って、それで止めた。
昼食の時には再び刹那がキッチンに立った。
ティエリアに任せるとどうなるかぐらい、刹那にも理解が出来た。
出来上がったものを、ただ黙々と食べ上げた。


午後になってから、洗濯物を畳んだ。
干した段階で皺になれと言っているような干し方をしたことにお互い気付いていなかった。
ただ刹那は、いつもの皺のない状態と違うことに疑問を持った。
二人して、黙々と洗濯物を畳んだ。
窓から入ってくる日の光は穏やかだった。


正直、刹那はこの状況をありがたく思った。
心持が変化してきているとは言え、昨日の今日だ。
まだ精神的に不安定であることは否めなかった。
アレルヤがいれば、そのことにすぐ気付いて色々と気を回したのだろう。
刹那はそのことをあまり芳しく思わなかった。
アレルヤの気遣いはありがたい。
だがそうされると、余計なことまで考えてしまいそうな気がした。
気を回される必要があるのだと、自分でそう認識せざるを得なくなる。
だから、詮索も気遣いも一切しそうにないティエリアと過ごすことになったのは、刹那にとって
少し気が楽だった。


「…君が、」

沈黙の中にぽつりと放たれたその言葉に、刹那は顔を上げた。
ティエリアは洗濯物を畳みながら続けた。

「君が何を抱えているかなど、僕は知らないし、知ろうとも思わない。
…だが、君は君のやり方で、楽になる方法を探せばいい」

ティエリアは洗濯物を畳み続けた。
それは一種のごまかしだったのかもしれなかった。
刹那にはわからない。

だが、彼なりの気遣いだということは、よくわかった。

詮索もしない。余計な気回しもしない。
けれど、考えては、いる。
刹那に何かあったのだということと、それによってもたらされる刹那の変化を、頭の片隅には、
置いていると、そう、考えているのだと思った。
心配を、してくれているのだ。
意外ではあった。
昨日の気遣いもそうだが、彼が自分に対してそのような言葉を掛けるとは、思ってもみなかったから。
だが刹那はありがたく思った。
彼の彼による、彼なりの気遣いを。

「…なんだ、言いたいことがあるなら言え」
「いや…。ティエリア、」
「なんだ」
「ありがとう…」

ティエリアは何も返さなかった。
ただ黙々と、洗濯物を畳んだ。


何かあるのだろう、とは思っていた。
昨日、夕方に真っ青になった顔を見て。
また過去の何かが、彼を蝕んだのだろう、と思った。
自分と違って、他の三人は過去に何かしらのものを抱えている。

だが詮索する必要も、気を回す必要もないと思っている。
自分はその役目にはない。
それはあまり良く思っていない刹那だけでなく、誰に対しても同じだ。
どうすればいいかわからない、というのもある。
だがだからこそ、わからないものを背負ったまま彼等に必要以上に接するのは、事を荒げるだけだと、
ティエリアはそう認識している。
刹那の異変にロックオンがすぐ気付いたように。
アレルヤの何かを刹那が感じ取ったように。
動く人間は自分ではない。

自分は、ただ知っていればいい。
彼等が何かを持ち、何かに苛まれているということを。
そうして、彼等が道を踏み外しそうになったとき、後ろから正してやればいい。
あるいは、その間違った行く手を遮ってやればいい。

彼等が彼等のままでいられるように、見ていればいいのだ。



洗濯物を全て畳み終わった。
その有様を、刹那もティエリアもただ見ているだけしかなかった。

「…もう少し畳みようというものがあったんじゃないか」
「人のことを言えるのか、君は」
「そもそも干す時点で何か違ったように思えてならない」
「そうなのか?」
「ロックオン達が干したものはもっと皺がなかった」
「まぁいい。アレルヤが帰って来たときにでもやらせればいいだろう」
「……」
中庭に面した大きな窓を開放して、二人並んでそこに座った。
吹いてくる風が心地よかった。
アレルヤの作ったクッキーを二人で摘んだ。
沈黙がずっと続いた。

だが決して、そこに重苦しさはなかった。
「ただいまー」

どこか間延びしたような言い方で、家に入って来たのはロックオンだった。
家の中が静まり返っていることに疑問を持ち、辺りを見回した。

「おかえりなさい、ロックオン」

そう言って顔を出したのはアレルヤだった。

「おぅただいま。アイツ等は?」

ロックオンが刹那とティエリアを指してそう言うと、アレルヤはくすくすと笑って、人差し指を
立てて口元に持っていった。
そのことにロックオンは小首を傾げたが、アレルヤが視線を動かしたその先を見て、納得した。

刹那とティエリアが二人揃って、寝息を立てて眠っていた。

「仲良く添い寝とは、こりゃ意外だな」
「でも良かった。思ってたより、いい方向に進んでるみたいで」

アレルヤの言葉に、ロックオンも笑った。
昨日のティエリアの気遣いは、決して気まぐれでなかったことの証明だった。


ただ、並んで眠る刹那とティエリアの隣で、ロックオンとアレルヤは二人の家事の後始末に勤むことになった。
09.07.12


――――――
不器用な二人による不器用なやり取り。