君は一人じゃない
塞いだ耳で世界が軋む音を聞いた−2−
その場の空気が一瞬で凍りついたのが、俯いていた刹那でも手に取るようにわかった。
当然と言えば、当然だった。
彼が何よりも大切に想っていた家族という存在を、自分はこの手で壊した。
その事実を、ロックオンが安々と受け入れるとは到底思えなかった。

否、きっと、受け入れられることは望んでいなかった。
だから言ったのだ。

彼はきっと自分を許さない。許してはくれない。
それでいい。
己のしたことは、それだけのことなのだ。
今あるこの一時の平和には、もう戻ることは許されない。
それが自分の罪であり、罰だ。
穏やかな時間に浸ることがそもそも間違いだったのかもしれない。
きっと母が警告を鳴らしたのだ。
忘れるな、と。
お前は、平和の中になど生きていけないのだ、と。

消え去ればよかったのだ、自分の存在など。
破壊することしか出来ないこの身体は、世界が変わったのと同時に、壊れてしまえばよかったのだ。


「刹那」

ロックオンの声は低く、存外に落ち着いたものだった。
俯いた刹那の頬に手を添えて、顔を上げるよう促した。
ロックオンの、その手入れの行き届いた綺麗な手に触れられるのが、恐ろしく感じた。
自分が触れてはいけないもののように思えた。
それでもなんとか、ゆっくりと刹那は顔を上げる。
目に映った空色の瞳は、ひどく澄んでいた。

「一つだけ、答えろ刹那。お前は、それを罪だと思ってるか?」

刹那は、少しの間を空けた後、こくりと、静かに頷いた。

忘れたことなどなかった。
それがどれだけの罪かということは、嫌という程に頭で理解している。
けれど、それを贖う術を、刹那は知らなかった。
頼もしかった父。
優しかった母。
そして計画の為に殺めた、多くの人間。
命を奪ったことの償いを、どうしたら出来るのかわからなかった。


「刹那、お前のやったことは、確かに許されないことだ」

低く、刷り込むように放たれた言葉に、刹那は小さく肩を揺らした。

拒絶されることを望んだ。
けれど、本能でそれを恐れる自分もいた。
自分はいつからこんなにも弱くなったのだろう。

「でも俺も、沢山、人を殺した」
「違う、お前は」
「違わない」

刹那の言葉を遮るように、ロックオンが言った。
同じではないと、刹那は思った。
同じではいけないと、そう思った。


「俺も、ずっと思ってた。何で俺は生きてるんだろう、どうして世界が平和になったのに
咎を受けずにいるんだろうってな」

刹那は、黙ってロックオンの言葉に耳を傾けた。

「あのな、俺思うんだ。きっと、俺達がこうして生き残ったことには、何か意味があるんだって。
たぶん、カミサマが俺達に、生きて償えって、言ってるんだって」

あ、お前さんは神信じてないっけ、とロックオンが小さく笑った。
胸が震えるような感覚が、刹那はした。

「死んだらそこでほんとに終わりだ。でも生きてる限り俺達はずっとそのことを覚えてなきゃ
ならない。犯した罪を、ずっと背負っていかなきゃいけない。
正直言っちまうとさ、怖いんだ。世界が、カミサマが咎を下すのが。
明日かもしれない。明後日かもしれない。そういう恐怖と、毎日隣り合わせで生きてる」

生きろ。
生きて、罪を償え。
いつしか来る裁かれる恐怖を、味わえ。

決して、忘れることは許されない。


「楽しいんだよな、俺、お前さんたちと一緒にいるの。なんつーか、飽きないってか心地いいってか。
本来ならこんな感覚すら持つこと許されないのかもしれないけど。
でも、それがいつか終わるときが来ると思うと、怖いよ」

仲間がいるという感覚を疎ましいと思わなくなったのは、いつからだったろう。
そこに自分の居場所があることが当たり前になったのは、いつからだったろう。
失くすことに恐怖を覚え始めたのは、いつからだったろう。

いつか受けなければいけない咎。
それは同時に、この生活と、そして共に戦った仲間との決別でもある。
失う瞬間は、おそらく突然だ。今日の自分のように。
忘れてはいけないのだ。
自分の犯した罪も。心地いいと思った時間も。そして、それがいつかなくなるという恐怖も。

生きて、それを常に胸に置いておかなければならないのだ。


ロックオンは、刹那の頭に手を添えて、自分の方へ寄せた。

「刹那、一人で抱え込もうとしなくていい。
俺も、ティエリアもアレルヤもいる。俺達は同じだけの罪を犯したんだ。
だから、同じだけのものを、背負わせていいんだ。
お前が両親を手に掛けたことを悔いているなら、俺もそれを忘れない。
俺がちゃんと、お前さんが罪を犯したことと、罪を償いたいって気持ちを、覚えてるよ。
刹那、お前さんは一人じゃない。俺もティエリアもアレルヤも、みんなが刹那のことを大事に思ってるよ」

溶けていくような、感覚がした。
凍りついた気持ちが、ほだされるような、そんな感覚。
ロックオンの言葉は、刹那の中に染み入るようにして入っていく。
彼だって大切な家族を自身の責任で失ってしまったのに。
それでも、同じものを抱えてくれると言う。
忘れてはいけないと思った。
彼の過去も、彼の優しさも、全部。

「ありがとう…」

精一杯の感謝を込めて、刹那が言った。
波の音が、優しく鼓膜を震えさせた。
玄関の扉を開けると、アレルヤがまず駆け寄って来た。
ティエリアも少し遅れて、刹那達の方へ歩み寄る。

「悪い悪い、遅くなった」

ロックオンがいつものようにそう言う。
アレルヤはひどく安堵した表情を見せていた。

「おかえり。ご飯、食べようか」

アレルヤの顔と言葉を聞いて、また少し刹那の心がほだされた。

温かいと、思った。
二人も自分を大事に思っているという、ロックオンの言葉を思い出す。
伝えたいと、言葉にしたいと、思った。

「心配を、かけた。すまなかった。…ありがとう」

するりと、何の無理もなく口にした言葉だった。
アレルヤもティエリアも、刹那の言葉に目を丸めた。
先に表情が動いたのはアレルヤだった。
ゆっくりと、目を細めた。

「どういたしまして。よかった…刹那が元気になって」

その二人の横を、ティエリアが通り過ぎようとしていた。
彼は刹那の隣でほんの少し立ち止まり、こつん、と刹那の頭を小突いた。

「夕食が冷める。食べるぞ」

ティエリアはそのままダイニングに歩を進めた。
彼なりの、精一杯の優しさ。
それをとても心地よく感じた。

ちらりとそのやり取りを見ていたロックオンに視線を動かした。
彼は、優しく笑った。
生き延びたなら自ら捨ててはいけないのだと思った。
心地いいと思えることを大事にしたいと思った。
生きていることに、意味を持とうと思った。
09.06.19


――――――
大丈夫、一人で泣いたりしなくていいよ