眠れないのなら、おいで
どこまで信じていいですか?
会議が思いのほか長引いた。
結論は結局同じなのだから、無駄に回り道などくどいことをせずさっさと決めてしまえばいいのに
校長共め、と悪態を付きながら愛車を帰路へと着ける。
いつもより長く感じた帰り道の末にようやく着いたマンションの駐車場に車を止め、足早に
エレベーターに乗り込んだ。
刹那は今頃どうしているだろうか。
もう一人で夕食を済ませてしまったろうか。
そんなことを頭の中で考える。
ライルは帰ってきてはいるけど、おそらく写真家の仲間と外食にでも行っているのだろう。
写真家である双子の弟は、世界中を旅しながら各地の写真を撮り続けている。
そこそこ有名だ。
だから、家に帰ってくることは滅多になく、帰って来たとしても大抵外で食事を取るか、家で寝てるかしかない。
別にライルがいないからどうとかいう問題ではないが、ニール自身、刹那を出来る限り一人にはしたくなかった。


「ただいまー。…せっちゃん?」

リビングのドアを開ける。
電気も付けられておらず、暗闇が広がっていた。
スイッチを入れ電気を付けると、テーブルの上に一人分の夕食があった。
あぁ、一人で食べたんだな、と少し落胆する。

刹那の部屋の戸をノックする。

「せっちゃん、ただいま。ごめんな、遅くなって」

中からの返事はない。
寝ているか、無視しているか。
おそらく後者だろう。
苦笑いを浮かべつつも、ニールはリビングへ戻った。
とりあえずは帰ったことを報せることが出来ればよかった。



一人きりの夕食を済ませ、持ち帰った仕事をやってシャワーを浴びた。
その間、刹那の部屋からは物音一つしない。
時計をちらりと見れば、もう日付が変わろうとしている。
寝る前にもう一度だけ刹那の部屋の前に立つ。

「刹那、せっちゃん。…寝てるか?俺ももう寝るけど、布団ちゃんと掛けて寝ろよ」

相変わらず返事はない。
一つため息を吐いて、自分の部屋へ戻った。


ベッドに腹ばいになった状態で、ヘッドランプだけを付けて読みかけの本を開いた。
寝る前には何か読まないと、眠気がやって来なかった。


読みふけり、ふと気付いてベッドサイドに置いた目覚ましを見ると、午前一時になろうとしていた。
少し集中しすぎたようだ。
さすがにもう寝ないとまずいと思って、ヘッドランプに手を掛けようとした、その時だ。

かたり、と小さくだが、物音がした。
リビングの方から聞こえた気がした。

あぁ、と思った。
刹那だと、すぐにわかった。
小さく苦笑いを浮かべる。
部屋から出てリビングの扉を開ければ、中は真っ暗だった。
だが人のいる気配はする。
手探りでスイッチを探し、電気を付ける。
刹那は、ソファで膝を抱えてうずくまっていた。
苦笑いを浮かべたまま一つため息を吐いて、ニールは刹那の方へ歩を進める。

「どーした?寝れないか?」

刹那は答えようとはしなかった。
顔を膝に埋めたままで、その姿はまさに殻に閉じこもっているようだった。
ニールはそんな刹那の隣に腰を下ろし、小さな肩を抱き寄せた。

「学校でやなことでもあった?」

刹那は何も答えなかった。

「んー…じゃあ、一人で寂しかった」

やっぱり刹那は何も反応しなかった。

「…怖い夢でも、見たか?」

ニールがそう言って少し間が空いて、それから、刹那はゆっくりと膝に埋めていた顔を上げた。
どうやらこれが正解らしかった。
ニールは刹那の癖毛を優しく撫でた。

「よしよし、悪かった。ごめんな、気付かないで」

刹那の視線は前を向いたままだった。何も反応はない。
だが、いつもはある拒絶も、今はなかった。


「…別に」

しばらくして、ようやく刹那がぽつりと話した。
ニールは黙ってそれに耳を傾ける。

「別に、謝る必要は、ない。…俺が寝ないことに、アンタに非はない」

どうしてこの子はこうなんだろうな、と苦笑いをする。
もっと頼ればいいのに。
こんなに近くにいるのだから。
きっと、人に頼るということを、忘れてしまったのだろうなと思った。


刹那は時々、悪い夢を見る。
悪い夢を見て、うなされて起きて、けれど、誰にも助けを求めようとはしない。
助けを求めるということを望まなければ、自分で悪いものを忘れる術も知らない。
いつの間にか自分の中に溜め込んで溜め込んで、気付いたら病院もの、なんてことは暮らし始めた頃よくあった。
だからニールは何よりも刹那の心の状態に気を遣う。
ほんの少しのサインも見逃してないか、刹那が色んなものを心に溜め込んでないか。


「そんなこと言うなって。気付けなかったのは俺が悪いんだから」
「別に、気付いてほしいとは言っていない」

あぁ言えばこう言う。
まさに言葉の追いかけっこだ。

「せっちゃんが寝れないのは、心配。大事な大事なせっちゃんなんだから」
「…生徒誰にでも平等な"ディランディ先生"が、そんなことを言っていいのか?」

いぶかしむような、そんな言葉。
思わずニールは苦笑いをする。
きっとやっぱり「大人」を、信じることが出来ないのだと思った。

「それは学校の話。今は、せっちゃんを大事に想う、せっちゃんだけのお兄ちゃんです」
「…いつから兄になった」
「せっちゃんが俺のこと『ニル兄』って呼んでくれたときから」

に、と歯を出して笑う。
刹那はどこか呆れたような顔だ。


「さてせっちゃん、夜も遅いし、もう寝るとするか」

そう言って、刹那の肩を抱いたまま立ち上がる。
向かう先はニールの部屋だ。

刹那は何も言わなかった。
ただ黙って、ニールに付いて行った。
09.05.20

title by=テオ