※若干のグロ表現あり。 想いを告げる言葉はどうして私を縛る呪詛にしかなり得ない 闇は深く、辺りに静寂をもたらした。 人の手で不便がない程度に整えられた道からは、街灯は遥か遠い位置に見えている。 そんな中を青年が歩いていた。 着ているスーツも、羽織るコートも、誰が見ても値が張るだろうということは一目瞭然。 そんな中を馬車も使わず徒歩で暗い夜道を通った。 彼の側には、黒いコートを羽織った小柄な少女が、一人だけ。 「ディランディ、その命もらった!」 茂みから背後に現れたのは、大柄の男だった。 手には刃渡りの長いナイフがあった。 男は大きく、そのナイフを青年に振り下ろした。 だが、その刃が青年に届くことはなかった。 代わりに青年の視界は黒い何かに遮られた。 青年の側にいたはずの少女はいつの間にか男の背後で跳躍していた。 男の首筋には彼が所持していたナイフよりもずっと細い、だがずっと鋭い凶器が刺さっていた。 青年の視界を覆った黒いものが重力に従って落ちるのとほぼ同時に、男の身体もゆっくりと倒れていった。 頚動脈を刺したのだろう、少女は大量に返り血を浴びていた。 青年は返り血を一つも浴びなかった。 代わりに、少女が羽織っていたはずの黒いコートが、血を吸ってその色を濃くしていた。 「ご苦労さん、刹那」 「お怪我は」 「ないよ」 目の前で自身の命を奪おうとした人間の死体が転がっていたが、青年は怯える様子が欠片もなかった。 少女も、体中から血の匂いがしてもその目色を変えることなく、淡々と青年の安否を気遣った。 「あぁ、でも」 ぐい、と少女の顎を持ち上げ上を向けさせる。 少女の眼に、青年の空色の瞳が映った。 「汚れちゃったな、刹那は」 そう言って、青年は歪んだ笑みを見せた。 そこに見えたのは、狂気だった。 ディランディ家は近世のルネサンス運動が盛んになり始めた頃から百年以上続く、由緒正しい一族だった。 現在の当主はニール・ディランディ。 歳は24とまだ若かったが、他の家に劣らないほどの社会貢献と、一族の維持に寄与していた。 屋敷に戻った青年、ニールは使用人に湯を沸かすように指示を出した。 当主と共に屋敷を出た少女が血みどろで帰って来たことに使用人はいぶかしげな表情を見せたが、ニールが二の句を継げさせなかった。 「刹那、おいで。血を流そう」 「…一人でも、」 暗に共に湯に浸かろうと言う当主に、刹那と呼ばれた少女は躊躇った。 「せつな」 その名を呼ぶ。 刹那の瞳が、一瞬だけ揺れた。 「命令だ。来なさい」 その言葉に、刹那は首を縦に振るしかなくなった。 ニールが刹那を拾ったのは、もう二年も前になる。 雪が深々と降る寒い日だった。 馬車で森を抜けていたニールは、茂みで服とは呼べないボロ切れにうずくまる刹那を見つけた。 その時刹那はすでに呼吸も浅く危険な状態だった。 ニールは、側にいた使用人の反対を押し切って刹那を屋敷に連れて帰った。 刹那が、ニールが弱冠14という歳でディランディ家の当主とならなければいけなかった要因であるクルジス国の人間であることは、誰の目からも明らかだった。 「なぜ」「どうしてよりによってクルジスの人間を」 使用人は皆口々にそう言った。 先代の当主であったニールの父、そして母と妹は、久々に得た休暇を利用して出掛けたとき、クルジスの人間に襲撃され、その命を落とした。 だからニールにとって、クルジス国の人間は恨む対象以外の何物でもないことは、使用人の誰もが知っていた。 ニールが刹那を側付きのメイド兼護衛にすると言ったとき、使用人達はいよいよ疑惑の目を持って当主を見始めた。 「当主はお優しい人だから、例え仇であっても見捨てることは出来ない」 女性でありながらニールを支える人間として最も近しいところにいるスメラギが使用人達にそう吹き込むことで、事態は収束していった。 だがそのスメラギ自身もまた、当主の行動の真意を理解することは出来ていなかった。 刹那は、周囲の予想を裏切る形でよく働いた。 使用人としても、そして、護衛としても。 湯から上がったあと、ニールは刹那を自身の部屋へ連れ込んだ。 もう毎晩のことだ。 こうして部屋に連れられ、そして身体を重ねる。 それは刹那の意思は全く反映されない、強制的な行為だった。 いつもと同じようにベッドに身体を沈められる。 刹那の目に映ったのは、ニールの空色の瞳だった。 二年前と何一つ変わらない、その瞳だった。 ニールに拾われた日のことを、刹那は今でも鮮明に覚えていた。 戦乱渦巻く故郷から脱走し、森で最期を迎えようとしていたときだ。 意識が遠のく中で聞いた声。 そして、あの空色の瞳。 忘れようと思っても忘れることは出来なかった。 体力が回復して、刹那はニールから彼の家族が同胞によって殺されたことを聞かされた。 そのとき既にニールが自分を見る目は、狂気で染まっていたと刹那は思う。 「これは復讐なんだ」 ニールがそう言う。 お前の命を救った。だから、代わりに側にいて、自分の命を護れ、と。 同胞の罪をお前が代わりに償え、と。 刹那はただ、首を縦に振った。 故郷で少年兵として沢山の命を奪い、もう、死んでも構わないとすら思っていた。 だが救われた。 だからその見返りとして命を護ることは、刹那にとっては充分だった。 これは償いで、主人の「命令」は絶対。 それが例えどんなものだとしても、逆らうことは刹那には許されなかった。 けれど刹那は、その「命令」をどこか享受していた。 逆いや躊躇いの意思は、いつの間にか消えていた。 ニールの瞳が映る度に、この眼は自分を、自分だけを見ているのだと自負していた。 「命令」があれば、ニールと繋がっていられる。 自分は使用人で、被復讐者で。 ニールと自分を繋いでいるのは、そんなシビアな関係だ。 だからそれ以上を求めることは、決して、許されない。 「何を、考えている?」 刹那の緋色の瞳を覗きながら、ニールが言う。 「…、何も」 「……そうか」 それだけ言うと、ニールはまた刹那を激しく求めた。 関係という名に繋がりを求めているのは、ニールも同じだった。 刹那を側に置き、自分の命を護らせることは、間接的な復讐だった。 刹那には何の罪も関係もない。 少女の生まれ持った名前を捨てさせ、新しく名を与えた。 自分だけに仕えられるように。 ただの自己満足だった。 最初はそれで充分だった。 自分の家族を奪ったクルジスの人間に自分の命を護らせる。 こんなに滑稽なことはない。 そう、思っていた。 当主と使用人という関係。 そして、復讐者と被復讐者という関係。 絶対のようだった。 けれど、絶対ではない。 この関係がなければ、ニールが刹那を傍に置いておくことは出来ない。 「命令」という、その言葉だけが、刹那を自分の物に出来る術だった。 あまりにもろく、崩れやすい。 これは、独占欲だ。 復讐という名の狂気は、いつの間にか形を変え、独占欲となって、刹那を求め続けた。 自身の狂気を滑稽と嗤いながらも、ニールは決して刹那を手離そうとはしなかった。 それが例え刹那の心を遠ざける行為であっても。 「命令」がなければ傍に置いておく事は出来ない。 「命令」がなければ傍にいることは出来ない。 09.03.21 title by=テオ |