たった一言、されど一言
「ですから、伯母様」

カップをソーサーに置いて、ニールは一度言葉を切った。

「何度も言っているでしょう?受けない、と」

ため息と共に出されたその言葉は、どこかうんざりとした口調だった。
実際、うんざりとしていたのだ、ニールは。

「そんな子どもみたいな言い分がいつまでも通ると思ったら大間違いですよ。
もう24なんです。跡継ぎのことを真剣にお考えなさい。貴方は、由緒正しきディランディ家の当主なんですよ。
今回の相手だって申し分ないんです。エイフマン伯爵の孫娘なのですよ」

気付かれない程度に、ニールが再びため息を吐く。
耳にタコが出来るくらいに聞いた言葉だ。
「もういい歳なのだから」「貴方はディランディ家の当主なのだから」
ニールからしてみれば、伯母の言い分の方がよっぽど子ども染みている。
どうせ、ニールと家の為という建前の理由を押し出して、自身の体裁のことしか考えていないのだから。
ニールはカップに入った残りのお茶を一気に飲み干した。
それに気付いた一人の少女が、淀みのない動きでカップに再び紅茶を注ぎ込む。
ニールは、その様子をただじっと見ていた。

赤褐色の瞳はただ真っ直ぐと前を見るだけで、脇目も振ろうとしない。
実に優秀だ。
使用人は、決して家の人間が話している内容に耳を立てたり、意識を傾けたりしてはいけない。
ただ与えられた仕事をこなしていく。
そういう観点から見れば、このニールの傍付きのメイドである刹那は、実に優秀だった。

ニールは少しだけ考えた後に伯母の方に顔を向け直すと、その口を開いた。

「自分の相手くらい自分で探しますよ。
それよりも、ご自分の老後を心配した方がいいんじゃありませんか?」

たっぷりと皮肉を込めたそれに、伯母は顔を真っ赤にして憤慨した。

「人がせっかく貴方の為に手を尽くしているというのに、なんですかその態度は…!」
「ご自分の為に、の間違いでしょう」

ニールはもう言葉を呑み込むことを止めた。
先に激情したのは伯母の方だ。
さっさと伯母を追い返してしまいたかった。

「貴方という人は…!」
「"大事な家のこと"なのでしょう?だったら、ちゃんと考えて相手を選びますよ。
貴方も満足するぐらいの、ね」

ニールはそう言って、歪んだ笑みを浮かべた。
それはやはり伯母の逆鱗に触れた。

「だったら早々に結果を見せてちょうだい!上辺だけの言葉はもうたくさんです!!」

伯母は一気にそれだけ言うと、目の前にあったカップのお茶を一気に飲み干した。

「おかわりは」

刹那はそう、淡々と、空気を読まない言葉を発した。
やはり、使用人としては優秀だった。
中身が空になったカップがあれば新たに継ぎ足す。
それはメイドの基本だ。

「結構です。帰ります!」

伯母はソファから立ち上がる時、刹那を睨んだ。

「いいですか、ニール。いつまでも好き勝手していられると思ったら大間違いですよ!」

伯母は見合いのことも刹那のことも全てひっくるめて、そう言った。
伯母とて弟を殺されたのだ。もちろん、刹那のことを良く思っているはずがない。
ニールが刹那を傍付きのメイドにしたとき、最も強く反対したのは伯母だった。

バタン、と強い音と共に扉が閉められる。
訪れたのは、静寂だった。
その静寂に、ニールはようやく少しの安堵を覚えた。

刹那は黙々と、空になったカップを下げていた。

夜、ニールはいつもと同じように刹那を抱いた。
伯母のせいでかき乱された心のせいで、いつもより激しい交わりになった。
刹那から発せられる嬌声が、いつもより少し多く、そして高かった。
それはニールの乱れた心を満足させるには充分だった。


欲望を全て吐き出し、ニールは刹那と離れた。
刹那の荒く激しい呼吸だけが、そこに音を立てていた。

ニールは自分の欲望を受け止めた少女を見て、口を開いた。

「…刹那…俺が伴侶を選ばなくちゃいけない時になったら、お前はどうする…?」

あれだけ荒かった呼吸が、その一言で止まった。
刹那は、目を見開いて当主を見た。

「…なんでもない。忘れていい」

ニールはシーツを引き寄せてベッドに横になった。

血迷ったことを、口にしたと思った。
自分が伴侶を見つけるときなど、刹那には何も関係ないのに。
関係あることを求めている自分に嗤った。
かき乱された心の欲求をぶつけられるだけで、充分だろう?

たった一言。
「お前がいい」

それは決して、口にしてはいけない言葉。


きっと朝になったら、少女はいつも通り隣にはいないのだろう。
まるで、自分と朝を迎えることを拒絶するかのように。
刹那は自室のドアを後ろ手に閉めて、そのままドアに背中を預けた。
ニールはまだ眠っている。
朝まで同じ空間で過ごすことを拒んでいるのは、刹那の方だった。
だからいつも、当主が眠りに就いている間にベッドを抜け出して、自室に戻る。
そこまで、自分を許してはいけない、と思った。
ただ、朝目が覚めたときにあの顔を見れたら、どんなに幸せだろう、とも思う。


『俺が伴侶を選ばなくちゃいけない時になったら、お前はどうする…?』

ニールの言葉が頭を巡った。

ただ驚いた。
当主が、自分に対してあんな言葉を言うとは思わなかったから。

気分が良くなかったのだろう、とは思う。
伯母が来訪した時、当主は大抵機嫌が悪くなるから。
それで、少し考えに羽目を外したのだろう。
そうでなければ、彼が自分にあんなことを言うとは思えない。
それを証拠に、当主は自分の返答も待たずしてその質問に区切りを付けた。

ただ、ニールがあの場で話を終わらせなければ。
言っていたのかもしれない。

「伴侶など、取るな」と。

ほんの一言。
けれど、その一言で、全て崩壊する。

刹那は唇を真一文字に結んだ。

余計な言葉など、この口から紡がれないように。
09.10.13

title by=テオ