「この間の埋め合わせをしたい。来週の日曜、空いているか」

そう電話越しに耳に入った彼の落ち着いた声が、いつまでも耳を離れない。
ハッピーエンドはいつの間にか隣に座る
ニールは悩んでいた。
寝室に自身のワードローブを広げ、それを目の前にしてうんうんぐるぐると悩んでいた。

寝室の壁に貼ってあるカレンダーの明日の日付に、赤いペンで丸が付けられていた。
事の発端は刹那からの電話だった。
彼は「この間の花火の詫びがしたい」、と言ってニールの休みに合わせて日曜を空けてくれたようだった。
律儀だな、と思うより先に、申し訳ない気持ちになった。
今刹那は夏休みの真っ最中だから、休日でなくても会おうと思えば会うことは出来る。
それに日曜なんて日は、彼のバイトしているレストランは特に込み合う。
それを、休みをもぎ取らせてしまったのだ。
刹那がバイトしているのは単純に小遣い稼ぎではないことを知っているだけに、罪悪感に駆られた。
けれど、刹那自身はそんなニールの気持ちすら見抜いていたようで、

『俺が会いたいと思った。それでは駄目か?』

と、ニールが何も思う必要がない言葉を、さらりと言ってのけた。
それが、先週の日曜日の話。
思い返せば刹那と昼間に会うのはほとんどなかった。
大抵、休日前お互いのどちらかの家で夜を過ごしていたから。
だから完全な私服で会うのはあまり機会がない。
それが、ニールの頭を悩ませる根源だった。

果たして何を着ていけばいいのか。
普段休日に着ているのは、当たり障りのない、それなりに流行に乗った洋服たち。
ライルのデザインした服もいくらか入っている。
落ち着いた、あまり派手過ぎない雰囲気のものが好きだった。
けれど、明日は所謂、デート、というやつで。
しかも昼間で、外に出るから、当然、それなりに着飾ってはいきたい。
それに刹那の隣を歩くのに、差し障りがないようにしたい。
しばらく頭から消えてくれていた「八歳差」という言葉が、急に蘇ったりした。

この一週間頭の中はそればかり。
普段読んでいるファッション雑誌よりも、少し年齢層の若いそれに目を通したりしてみた。
花柄のふわふわしたワンピースや、惜しげもなく綺麗な足を出してショートパンツを着こなすモデルたちに、
目が眩みそうになった。
あぁ、刹那の周りにいる子たちは、こんな感じなんだろうな。
そう、改めて実感してしまう。
若い子のような服は諦めた。
自分らしく行った方が自然だ、と開き直ったのはいいものの、それはそれで悩む羽目になった。
果たして自分の持っている服で、どうやってデートを盛り立てることが出来るだろうか。
いや、盛り立てなくていい。
刹那が自分の着る服に対してあれこれ言った事はない。
この間の浴衣は、だから特別だ。
それでもニールがこれだけ悩んでいるのは、せっかくの貴重な時間を無駄にしたくないという、個人的な
願望からだった。

ちらりと時計を見た。
もう短針が10の位置を指している。
夕食後から、かれこれ二時間ばかり考え続けているが、どうにもいい方向にいかない。
一人ファッションショーを幾度となく開催したが、やっぱり納得がいかない。
どうする。どうすればいい。
気持ちが焦るばかりだった。
せっかく刹那が休みを取ってくれたのだ。
せっかく久しぶりに昼間に会うことが出来るのだ。
それを、台無しにしてしまうようなことだけは、したくない。

ニールのぐるぐるとした思考を断ち切るかのように、インターホンが軽快に音を鳴らした。
こんな時間に一体誰だ。
一秒でも時間が惜しいのに、それを遮断されたことに少しだけ苛立ちを感じながら、ニールは
玄関の扉を開けた。
だがそこに立っていた人物に、ニールは後光を見た気がした。

「よ、姉さん。夜遅くに悪いな。近くまで来たもんだからさ」

あぁカミサマありがとう。
俺のこと見捨てないでくれてありがとう。

「…っライル…!!」

現れた救世主とも呼べる双子の弟に、たまらず抱き付いた。
心の中で、いらっとしてごめん、と謝った。
「で、服が決まらない、と」

ライルのその言葉に、ニールはこくり、とただ頷いた。

「別に姉さんセンス悪くないんだから、普段通りでいいだろ」

寝室に広げられたワードローブを見て、ライルが少し、呆れ交じりにそう言う。
ニールはライルの言葉でも納得しないようだった。

「だって…せっかくその、デート…なのに…」

デート、というその言葉を口にするのがなんだか恥ずかしくて、口ごもった。
そんなどこか初々しい姉を見て、ライルは惚気か、と小さく吐き捨てた。

「しょうがねぇなぁ。こんな時間だからどこの店も閉まってるし、可愛い姉さんの為に俺が選んでやろう」

やっぱり救世主だった。
ライルのデザイナーという仕事を、今日ほど感謝したことはなかった。
待ち合わせは駅だった。
待たせるのが嫌で、とニールは約束の15分前には駅の入り口に立っていた。
ガラスに映る、自分の姿をちらりと見た。
白のインナーに、胸元が開いた、あまり裾が広がらないタイプの黒のシフォンチュニックを合わせて、ボトムは濃いベージュの
クロップドパンツ。
そして首には、モノトーンの中で目を引くモスグリーンのストールが巻かれていた。
ライルはヒールの高い靴の方がラインが綺麗に見えると言ってくれたけれど、ニールは敢えてローヒールのものを選んだ。
目線は少しでも刹那と近い方がよかった。

変じゃない。うん、おかしくない。
弟が選んだのだ。間違いはないはずだ。


約束の時間の五分前になって、刹那が姿を現した。

「すまない、待たせた」
「全然。だって、約束の時間前だ。俺が早く来ただけ」

ニールがそう言うと、刹那はもうそれ以上何か言うことはなかった。
代わりに、小さく笑ってニールに「行こう」と駅のホームへ促した。

電車にしばらく揺られると、窓からすぐ近くに見えていた街がずいぶんと小さくなっていた。
緑が多くなっている。
乗客の数も、駅を通過するごとに減ってきている。
ニールは行き先を告げられていない。だから、どこへ行くのかは全くわからない。
けれど、聞いてしまうのもなんだかもったいない気がした。
電車内では、二人で他愛もない話をぽつりぽつりと交わした。
目的の駅で降りてしばらく歩き、そうしてニールの目に入って来たのは、木々や花々が広げられた、
鮮やかなイングリッシュガーデンだった。

驚いた。敷地内に入るほんの少し前ですら、こんな広々とした土地があるなんてわからなかったから。
テレビでは見たことはあった。
広い敷地に、リンゴやカエデが植えてあって、バラを中心に様々な種類の花が色鮮やかに咲いている。
でもそれが、今こうして目の前にあるとは、思いもしなかった。

「すご…」

ぽつりと、それだけ口にする。正確には、ただそれしか言うことが出来なかった。

「話には聞いていたが、すごいな」
「刹那が、見つけたんじゃ…」
「俺じゃない。同じ学科の人間だ。どこに連れて行ったらいいかと相談したら教えてくれた」

きっと、考えてくれたのだろう。
自分が行っても不自然でない、でも、とても充実した場所。
その気持ちだけでも充分すぎるくらいだ。

「嫌いではないと思ったが…どうだ?」
「うん、すごい。すごい好きだ、こういうの。ありがとな、こんなとこ連れて来てくれて」

ニールがそう言うと、刹那も口元を緩めた。


昼食は庭園内にあるレストランで取った。
コテージのような建物で、これも雰囲気がよかった。
案外にも値段がリーズナブルで、良心的だった。


「ごめん刹那、ちょっとトイレ、行ってくる」
「場所はわかるか?」
「うん、さっき見えたから」

食事を済ませてしばらく庭園内を散策している途中で、ニールがそう言って一度刹那と離れた。
トイレの内装も、施設内の雰囲気にしっかりと合っていた。

問題はトイレから出た後だった。
来たはずの道順を辿ったつもりが、どうやら間違えてしまったらしい。
いつの間にか見覚えのない場所に来ていた。
くぐって来たワイヤーでかたどられた草木のトンネルを入り口に、初めて見るような白や黄色などの
色とりどりの花たちが咲き誇っていた。
中心にあった噴水の淵に、ニールは腰を下ろした。
手に持っていた鞄が、ぶるぶると振動した。
中を探ってその振動の正体である携帯電話を取り出せば、案の定、刹那からだった。

「もしもし刹那?うん、ごめん迷っちまった。目印?あーえっと…噴水…のあるとこ…」

漠然と、とりあえず自分が座っているところを言う。
どうにも説明しようがなかったのだ。
周りは草花ばかりで、目印に出来るようなものがない。
入り口にあったトンネルは他にもあった気がした。
だが刹那は、ニールのその言葉だけで「とりあえずそこで待っていろ」とだけ言って電話を切ってしまった。
刹那とてここに訪れたのは初めてのはずだ。
果たして今の説明だけでわかるだろうか。
しかし待っていろと言われた以上、大人しくここに座り続けることにした。


刹那を待つ間、ニールは周りの景色をのんびりと眺めた。
日曜日だけあって、訪れる人間はそれなりにいる。
自分達のような恋人同士。思い出を作りに訪れた家族連れ。ゆっくりとした時間を過ごす老夫婦。
どれも、幸せの形だ。
日常を忘れさせる情景が、温かなものを作り出していく。

あの家族連れのように。あの老夫婦のように。
自分はこの先も刹那と一緒に歩いていくことが出来るだろうか。
わからない。もしかしたら、違う道が待っているかもしれない。
何か困難が起こるかもしれない。
やはり八歳という年齢が、ネックになるかもしれない。
自分にはふわふわのワンピースも思い切り足を出すショートパンツも似合わないのだ。

でも出来ることなら。

出来ることなら、このまま刹那と手を取って、一緒に幸せを作り出していきたいと願う。
「ニール」

名前を呼ばれ、ニールは顔を上げた。

「すごい…。何でわかった?」

刹那が、立っていた。

「なんとなく、だな」
「はは、すごい」

ニールが笑うと、刹那も小さく笑った。

「まだ見てないところがある。行こう」

そう言って、刹那が手を差し出した。
ニールは目を細めて、その手を取った。

「うん、そうだな」
出来ることなら、君と手を取り合って、未来を紡いでいきたい
09.08.19

title by=テオ


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大変にお待たせいたしました…!
相互させていただいているBrombeereの望月銀兎さまよりリクエストいただきました。
昼間デート、ということで、こんな形になりました。
リクエストありがとうございました銀兎さん…!
フリーですので、欲しいという方はどうぞお好きにお持ちください。